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dellでいいでる

1 :私事ですが名無しです:2006/12/10(日) 22:24:51 ID:bSyWOF33
http://forums.kingsnake.com/viewarch.php?id=343392,347961&key=2004

http://forums.kingsnake.com/viewarch.php?id=759160,759204&key=2005

2 :私事ですが名無しです:2006/12/10(日) 22:41:12 ID:???
z

3 :私事ですが名無しです:2006/12/10(日) 23:11:21 ID:LFLm3/Be
==  「 ヤフオクDELL見積作成代行屋 」に ご注意  ==

・このスレの情報で自分の売り上げが落ちるので妨害したいらしい。

・Inspiron 1300や 640m スレもよく荒らすがすぐ袋叩き。

・ノート複数台で即バレ自演するが、叩かれると皆同一転売屋と思えるらしい。

・ウザイ連投、特有の金額スペックコピペ、独特の低脳な発言。

・自称高2、知能はサル並のキチガイニートらしい。

・各DELLスレで四六時中出没、ことごとく激しく嫌われている。

・サカモト又はクボの仮称を持つ。

・最近ID換えを覚えて自演や出没が特定できないと思っている。

・誰でも利用できるDELL見積書(ヤフオク)で金せしめて生活している。

・商品もないのに出品するのはガイドライン違反と自覚して悪事を働く。

・通報されても削除されないのが謎

・ヤフオクでもやはり複数自演捨てIDを持っている。

・ゲームロムDVD配布履歴、ビジネスソフト転売履歴あり

・悪徳オクで得た収入で生活しているが、税金未納滞納は基本らしい。



4 :私事ですが名無しです:2006/12/11(月) 20:41:17 ID:qnRKs+7h
すぱぱぱぱん

5 : ◆vGEDtPCuQo :2006/12/17(日) 23:34:11 ID:??? ?PLT(10001)
http://fuzzyfunction.com/gipsy/trailer.wmv

6 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 20:27:31 ID:???

豊かな社会では、貧しい人々は目に見えない存在になっている。彼らが占める場所に、金持ちが踏み込
んでくることはない。グローバルな通信複合企業が好んで描く進歩の壮大なドラマで、貧しい人々は通
行人の役を与えられているにすぎない。国際ニュースの中で貧しい人たちが取り上げられるのは、主に
こけおどしやチャリティの呼び物としてである。
 欧米諸国は、自分たちの国の貧しい人々に消失の手品をかけている。今や、人目を引く犯罪、暴動、
人種問題がからんだ騒動、ドラッグ売人宅への警察の手入れ、サッカーのフーリガンといった形で噴出
しない限り、貧しい人々は統計上だけの存在となっている。彼らは、繁栄し、忙しく、上り調子である
社会の主流からは排除されているのである。
 欧米の貧しい人々は民主主義の死せる魂である。彼らは非参与者、落ちこぼれ、消えた者たちであり、
選挙人名簿や公式のリストから漏れている。夜逃げした人間、痕跡も残さず去る短期滞在者であり、世
間から拒絶された年寄り、つまり真夏にカーテンを閉めた部屋の中、かごの中でさえずっている鳥の脇
で、午後のテレビを付けっぱなしのまま居眠りしている老人である。
 死せる魂は市場の落伍者、数に入れられない存在であり、宝くじを買ったり、本のパズルを解いたり、
カフェの合成樹脂のテーブルに広げたタブロイド紙の漫画を読んだりして時間をつぶしている。死せる
魂はばくち打ち、生き残りであり、闇経済の経済的影、最終収益の確保に失敗して絶望した者たちであ
る。隠れた欲望にサービスする人間、欠乏の文化が誘発する不道徳な欲求に奉仕するダンサー、未成年
者の売春や不法映画の供給者、すでにあまりに頻繁に変化してきた精神をさらに変える薬物の密売人で
ある。


7 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 20:28:38 ID:???

 避難所を求めて拒絶された、住処のない人たちは、ドイツの都市の環状道路内側のスラム街や、パリ
やマルセイユの郊外のスラム、トリノやミラノの周辺地区、北ロンドンのヴィクトリア朝時代に建てら
れた建物などで暮らしている。天井から雨漏りした水を受けるポリバケツが置かれ、洗っていないシャ
ツや汗まみれの足のにおいが充満している。隙間風が入るのを防ごうと、ゆがんだ窓はぼろきれで塞い
である。ワット数の低い電灯のぼんやりした光が、一面に小便のシミの広がったでこぼこのマットレス
を照らしている。臭いトイレにはキノコが生えている。そこは迷える人々、怠惰な行方不明者の隠れ家
である。
 イギリスでは、十代の家出人の数は年に一〇万人にのぼるが、その四分の一が三回以上家出している。
一万八千人は親に追い出された者たちである。成人もまた、もう耐えられないという走り書きのメモを
残して家から出て行く。子供を置き去りにした父親の五〇パーセントが二年以内に子供たちと音信不通
になっている。


8 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 20:29:43 ID:???

―ジョアンとキャス

二人は三〇歳台半ばで、ロンドンのヴィクトリア地区で野宿していて出会った。今、彼らは簡易宿泊
所で同居している。幹線の駅のコンコースで、二人はリンゴ酒(アルコール度数五パーセント、一び
ん三ドル相当)を飲み、なぜ昨晩キャスが拳で窓を破ったかについて議論している。「ひどい擦り傷
ができちゃったじゃないの」「あんたを傷つけるくらいなら私が傷ついたほうがましよ」二人ともデ
ニムの服を着ている。ジョアンはデボン出身、キャスは南ロンドン出身だ。「ジョアンは私のパート
ナーよ」とキャスは、彼らの関係に内容を与えてくれるように見えるこの言葉を自慢げに使う。「私
たちは一日一日を大事に生きているの」。キャスは母親が死んで以来、家族に会っていない。ジョア
ンは姉妹たちがどこにいるかも知らない。「母さんがニュー・クロスにいるって聞いたから、行って
みたけど、母さんのことを知ってる人はだれにもいなかったわ」。


9 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 20:34:23 ID:???

 身分証明書、変身、偽造文書、偽の出生証明書、偽装結婚、死んだ人間になりすますことなど、市民
権の忌避にむけた商売は繁盛している。人々は借金を重ねるために他の人間になりすまし、盗んだクレ
ジットカードで買い物をしまくり、用なしの小銭入れや空になった札入れをゴミ箱に捨てる。
 セーフティネットからこぼれ落ちた人間、精神的な傷や情緒障害を持った人間、鉄橋の下でプラスチ
ックや木を燃やした煙の多い焚き火に顔を照らされて、ビール缶を手にしているホームレス、ドラッグ
で生気を失い、暗闇をあてもなくうろつく人々。
 破れたビニールコートを着た若者たちが、鎖でつながれた汚い犬を連れて、市民会館の外で物乞いを
している。偽物のニナ・リッチやグッチ、ロレックスを売る露店商は商品を一枚の人工芝の上に並べ、
警官が姿を現すやいなや、手品師のように荷物を一まとめにして消えうせる。ショッピング・モールの
熱烈な信仰者である黒人の少年たち。かつての奴隷の子孫は今や多国籍企業のロゴの奴隷となっている。
アジアの都市の灯りのない郊外で働く若い女性たちも同じもののとりこである。密輸されたマールボロ
を売るのは、栄養不良で顔に吹き出物のできた、東欧からの流れ者だ。情熱の炎が薬で消されたことを
示すうつろな眼をしたトランキライザー中毒患者。レバノンやオハイオで印刷された、サタンが世界を
支配しているというパンフレットを街行く人たちの手に押し付ける錯乱した女性、自分がどこに住んで
いるのかもわからなくなった部屋着姿の老女、理不尽な世の中のせいで正気を失った人たち。


10 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 20:40:06 ID:???

 死せる魂はさまざまな区域に存在する。風の強い公営団地に住み、チャリティショップで手に入れた
衣服を着た人たち、野犬や洟をたらした子供たちに踏み潰された草、折れた若木、放置された乳母車や
路上に散乱するビニール袋、高層建築〔スラム化した民営アパート〕で暮らし、施しや給付金に行列す
る見下された人たち。
 これらの人々は、体裁を気にする社会の不用品、歴史から削除された者たちである。野宿する者、深
夜、飲み物の配給車に引き寄せられるぼろを着た不眠症患者たち。さらに、目に見えない存在として、
家に引きこもった人たち、おびえた広場恐怖症患者、認知症患者たちがいる。ドアの向こうで内部の恐
怖に対してバリケードを築いて、弱くて孤独な人間たちが自分の頭の中にこだまする声だけを聞いて暮
らしている。これらの人目に触れないで正気と狂気の瀬戸際で生活している人たちは、ある役目を果た
している。彼らの低賃金で表に出ない労働が賃金を安く保っているし、彼らのみすぼらしい貧困は、あ
んな風にはなるまいと他の人たちに思わせるための悲惨な警告、実例として利用されているのである。


11 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 20:47:48 ID:???

合衆国での底辺の生活

合衆国でも、貧しい人たちは見えないところへ追いやられ、豊かさの圧倒的なイメージによって覆い隠
されている。
 合衆国には約六〇〇万人の不法移民がいる。農業での求人が人間の密輸を急成長させた。ABCニュ
ースによれば、「コヨーテ」と呼ばれる運転手たちが不法移民を雇用主に売りつけている。農作業の賃
金が低下を続けている一方で、コヨーテへの支払い額は上昇している。不法移民がコヨーテに料金を支
払えなかった場合、労働で支払うことになる。農場への警察の手入れによって、彼らは都市へと追い立
てられる。カリフォルニア、ニューヨーク、フロリダ、テキサス、ニュージャージー、イリノイ、アリ
ゾナの各州の都市で、彼らは家事労働者、季節工、露天商、労務者など、あらゆる低賃金労働へと散っ
て行く。
 アメリカ合衆国移民局によれば、国内の地域によって、移民の出身国が異なっている。全体として見
ると、不法移民のうち最大の割合を占めるのは、メキシコからの移民である(五四パーセント)。カリ
フォルニア州では、年間総計二〇万人のうち、六万四千人がメキシコから、二万三千人がフィリピンか
ら、そして一〇〇〇人が中国からの移民である。ニューヨーク州では、十五万四千人のうち、二万五千
人が旧ソ連から、二万一千人がドミニカ共和国から、一万一千人が中国から来ている。フロリダ州では、
七万九千人のうち二万二千人がキューバ、八千人がハイチ、四千人がコロンビア出身である。ニュージ
ャージー州では六万三千人のうち六千人がインドから、五千人がドミニカ共和国から、三千人がコロン
ビアからの移民である。
 貧困を測定する指標はおそらく膨大な数え落しを含んでいる。公式の数字の背後で、かつての現象が
再現しつつある。初期の工業化時代に「労働貧民」と呼ばれたものの亡霊である。つまり、いくら懸命
に働いても、自分自身と家族とが食べていけるだけのお金を稼ぐことができない人たちである。


12 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 20:53:51 ID:???

アメリカ合衆国の貧困

著述家のバーバラ・エーレンライクは、アメリカの低賃金経済の中で生きていくのがいかに困難である
かを検証するために、数ヵ月間実際に生活してみた。ウエイトレスをしたり、老人ホームで働いたり、
販売員や清掃員になったりした。そして、人知れず労働をし、普通考えられないような時間に働きに出
たり帰ってきたりする、目に見えない人たちへの優れた洞察を示した。時に彼女は、食べていくために
二つの仕事をしなければならなかった。家賃が払える住居を見つけるのは大仕事だった。トレーラーハ
ウスや借間さえ、低賃金労働者の資力を超えていた。家賃を払うと、給与小切手をもらうまで、食べ物
を買うお金がなかった。あちこちに問い合わせた結果、働く貧困者も食料引換券がもらえることがわか
った。「私の夕食の選択は、次のうちのどれか二つに限られていた。一箱のスパゲッティ、一びんのス
パゲッティ・ソース、一缶の野菜、一缶のベークトビーンズ(煮豆)、一ポンドのハンバーガー、一箱
のハンバーガー・ヘルパー、あるいは一箱のツナ・ヘルパー。生野菜や果物はないし、チキンもチーズ
も、そして不思議なことにヘルパーがあるのにツナはない。朝食に食べられるのは、シリアルとミルク
かジュース……。結論:七ドル二セント分の食べ物が電話と移動に七〇分かけた末にもらえるが、そこ
から電話代二ドル八〇セントを差し引かなければならない。


13 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 21:00:47 ID:???

 エーレンライクはさらに、姿を消しつつある貧困者についても書いている。ジェームズ・ファローズ
の記事を引用しながら、エーレンライクは、裕福な人たちは盲目だと言う。「公立学校や公共サービス
が悪化している中、財力のある人たちは、子供を私立学校に入れ、余暇を公園ではなく私立のヘルスク
ラブなどで過ごしている。彼らはバスや地下鉄には乗らない。雑多な人間が近隣に住む地域を離れ、郊
外の塀で囲ったコミュニティや守衛のいる高層アパートに住む。彼らが買い物をするのは、広く行き渡
った『市場分断』に従って、富裕層だけを対象にした店である。富裕な若者も、夏休みを救助員やリゾ
ートホテルのウエイトレスや皿洗いをして、『残り半分のひとたち』がどのように暮らしているかを学
ぶのに費やすことをしなくなっている。『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば、最近彼らは、長い間
彼らに割り当てられていた骨の折れる低賃金の退屈な仕事よりは、サマースクールや企業研修など、将
来の職業に関連した活動を好むようになっていきている」。
 失業が貧困を生み出すことは、誰でも知っている。だが、完全雇用もまた、最低生活賃金が支払われ
ないとしたら、同じ結果を生むのである。エーレンライクによれば、一九九九年にマサチューセッツ州
の各食料庫は、食料サービスへの需要が前年と比べ七二パーセント増加したと報告している。ウィスコ
ンシン州の「極貧」層(連邦の貧困線の五〇パーセント以下)に占めるフード・スタンプ(食料配給券)
利用家族の割合は過去一〇年の間に三倍になっている。


14 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 21:05:08 ID:???

 貧困撲滅のための機関「ブレッド・フォー・ザ・ワールド(世界にパンを)」は、三三〇〇万の人々
(一三〇〇万人の子供を含む)が飢餓あるいは飢餓の危険を経験していると述べている。これは、合衆
国の一〇世帯に一世帯にあたる。
 二〇〇〇年八月には、一九七〇万人がフード・スタンプ・プログラムを利用した。米国市長会の二〇
〇二年の報告では、緊急食糧援助の要請は平均一九パーセント増加している。調査によれば、緊急食糧
援助を要請した人たちの四八パーセントは子供を持つ家族であり、要請した成人の三八パーセントは仕
事に就いていた。
 アメリカ最大の食糧銀行ネットワークである「アメリカズ・セカンド・ハーベスト」の報告では、二
〇〇一年に二三三〇万人が彼らの配給を受けたが、これは一九九七年と比べ二〇〇万人以上の増加を示
している。そのうち四〇パーセントは勤労者世帯だった。

15 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 21:14:24 ID:???

貧困者の封じ込め

貧困者が目立たない理由は他にもある。多くの人たちが拘禁されているのである。合衆国は、自由への
強い愛着を絶えず公言する一方で、攻撃的なまでに拘禁が多いという奇妙なパラドックスを示す社会で
ある。世界のどの国よりも、刑務所に収監されている人間の率が高い。そして、そのうちの圧倒的多数
が貧困者、黒人であることはよく知られている。
 重犯罪は公民権を剥奪されるので、合衆国には犯罪歴のために投票資格を失った者が一七五万人いる。
一四〇万人の黒人男性が選挙権を喪失しているが、これは黒人男性人口の約一五パーセントにあたる。
 一九八〇年から一九九六年の間に、合衆国の刑務所収容者は一三三万人から一六三万九四〇人へと増
加した。その後も増加を続け、現在では二〇〇万人以上になっている。この間に、刑務所関連の支出は
四〇億ドルから四〇〇億ドルへと上昇した。司法当局の門を一度でもくぐったことのある者を含めると、
およそ四〇〇万人が司法制度に関与している。
 刑務所制度の民営化とともに、刑罰は経済成長の大きな源泉となってきている。貧困者を尊敬すべき
市民の目から隠すのに、これよりも効果的な方法があるだろうか。もちろん、これは目新しいことでは
ない。イギリスの救貧法を学んだことのある人間ならすぐ気づくだろうが、一九世紀の救貧院への拘禁
は、頑固で強情な貧民に、所有者階級の打ち出した価値に従うことを強制しようとしたものだった。
 一九八二年以後の一五年間に、ニューヨーク州だけでも五〇の刑務所が新たに建設され、これに五〇
億ドルが費やされた。黒人が刑務所に入る確率は白人の八倍も高い。一九九七年の物価で、監房一つ作
るのに一五万ドル近くかかる。囚人一人の維持費は年五万ドルである。それでもなお、ニューヨークで
は、釈放された囚人の四七パーセントが一年以内に再び犯罪を起こしている。


16 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 21:18:23 ID:???

 イギリスは、ここまで収監者は多くない。ただ、二〇〇三年二月に、収監された人口の比率が、EU
の中でポルトガルを追い越したという点で人目を引いた。
 統計の中に埋もれている貧困には、もう一つの秘密がある。犯罪は、別の社会的役割を担っている。
それは、社会的公正の民営化を代表しているのである。事態の改善のために集団で行動するやり方は、
社会主義の死の公式な宣言にともなって力を失い、それに代わって個人での活動が活発化してきた。犯
罪は、社会的に生み出された不正に対する個人の対応である。それは主流となっている価値の戯画化
(犯罪者もまた、自分たちの活動に大きな冒険心と創意とを示す)であると同時に、グローバルになっ
た資本主義の中心で、英雄的個人主義を賛美することを意味する。


17 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 21:21:41 ID:???

貧困と不平等

貧困は、どんな場合でも、社会的公正と容易に切り離すことはできない。才能をもった人間が報いられ
る「実力主義」の社会について語るのはいいが、それが取り残された人々、サッカー選手なみの賃金や
多大な報酬を期待できるだけの才能がない人たちにもたらす結果は悲惨である。実力で成功した人たち
が取り残された人たちに示す「同情」は、彼らを満足させることはないだろう。
 アメリカの社会学者リチャード・セネットは、機会と同情との結びつきは不幸な結婚だと語っている。
フランクリン・デラノ・ルーズベルトのニューディール政策以来、アメリカ政府は有能な貧困者に教育
と仕事を与えようと努めてきた。実力に報いようという情熱は、ドライなレーガン大統領時代にさえ維
持されてきた。この戦略はおおむね成功してきた。才能ある若者でいい仕事や奨学金をもらえない人間
はほとんどいない。福祉国家は黒人のプチ・ブルを生み出す手助けをしてきた。
「だが、この『エリート優遇戦略』により、持てる者と持たざる者との間のギャップは広がるばかりだ
った。 社会学者〔クリストファー・ジェンクス〕が『普通の恵まれない人々』と呼ぶ人々は、過去四〇年の間
に生活水準を下げてきた。社会的流動性を重視したことが、これら取り残された人たちへの温情ある配
慮を弱めてきた」。
 合衆国とイギリスの生活から貧困者が(象徴的な数字上は別として)「消失」したのは、おそらく、
こうした動きのためだった。


18 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 21:25:22 ID:???

世界の貧しい人々の周縁化

豊かな世界で、国内の貧困がうまく覆い隠せたとしたら、世界的なレベルで貧困の問題を隠蔽すること
は容易である。いずれにしても、金持ちが訪れる場所といえばたいてい、豪華なパンフレットや旅行案
内に載った所である。旅行者が求めるのは、手付かずの自然が残った海辺や息を呑むような景観、そし
て澄んだ水をたたえたプールの脇でにこやかなウェイターがサービスし、エキゾチックな衣装をつけた
地元民が客をもてなすために伝統的なダンスを見せることである。
 旅と観光とは区別できるかもしれない。旅とは、貧乏人が豊かだと想像した場所に必死で向かうもの
であり、観光はその鏡像である。金持ちが行楽に行く世界は、絵のように美しく風光明媚に作り上げら
れている。最貧国のいくつかさえ、今では観光地として売り出している。ガンビア、タンザニア、南ア
フリカ、ケニアは、透き通った水や印象的な野生生物、目のさめるような景色を売り物にしている。こ
れらの国々は、何百万人もがエイズで死に、暴力犯罪が日常的に起こり、情け容赦のない社会的不公正
が蔓延している場所でもある。しかし、この事実は、金持ちが自分たちのために購入した楽しいひとと
きに影響を及ぼしはしない。
 世界の貧困が、慌しく話題を追い求める豊かな人たちのメディアに登場するのは、彼らの慈悲心に訴
えようとする場合である。よりよい生活のために、寄付の小切手を切ったり、子供のスポンサーになっ
たりしてもらおうというのである。純粋な、心からの利他主義への訴えかけは、感傷的行為の賞賛で終
わってしまい、特権と貧困との間の基本的な関係にはなんら変化を及ぼさない。
 時折、二つの世界は衝突する。避難民がグラスゴーの路上で刺殺される。フランクフルトの移民宿泊
所が放火される。フランスのクレテイユで、モロッコ人が腹を立てた公営住宅の居住者に撃たれる。と
きに、よりよい生活を求めて送り込まれた人間たちを待ち受けているのは、生活の改善ではなく、死と
の約束なのである。


19 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 21:29:31 ID:???

貧しい人々の維持

貧困の軽減がすべての政治家、国際機関、援助供与者、慈善事業の主要な目標であるということは、今
では常識となっている。だが、彼らの熱意は、貧しい人々を維持しようという点に向けられているので
ある。あらゆる歴史的記念物と同様、「貧困者保存協会」があるにちがいない。しかし、それはグロー
バル経済の構造そのものに書き込まれているがゆえに、特別な措置を必要としないのである。個々の貧
困者が死ぬ可能性はいくらでもあるが、貧困が根絶する可能性は皆無である。


20 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 21:35:12 ID:???

貧困線

イギリスでは、貧困線は中位の所得の六〇パーセントに設定されている。金持ちがより豊かになるにつ
れ、中央値も上昇し、外見上、より多数の人間が貧しくなった。この定義は、貧困が永遠に続くことを
保証するものである。それは、貧困が不断の成長というモデルに組み込まれていることを是認している。
したがって、貧しい人たちを食い者にしている人間たちが生活手段を失う見通しは全くない。貧しい人
たちは、ただ経済の浮力、豊かさの上潮によって引き上げられるのを待つだけの、不活性の塊として扱
われている。彼らは、少なくとも社会主義の死が公式に宣言された以上、自分たち自身の解放者にはな
れないだろう。彼らは開発の対象なのである。
 貧しい人々が集団で行動すると、すぐさま結託して「暴徒」となり、石や爆弾を投げたりして、社会
秩序を攪乱するとされる。彼らが存在を認められるのは、他の人たちの、もちろん金持ちの人たちの、
気高い行為の対象となるときだけなのである。
 貧しい人たちは自己主張しない。国内の貧困者も世界の貧困者も、消音ボタンを押されている。サイ
クロンで家が破壊されたとか、内戦、環境破壊などで大きな被害を受けた後、苦痛にゆがんだ顔、飢餓
で膨れた腹などを哀れんで、救援の手が差し伸べられる。こうしたイメージは何も語ってはいない。C
NNやBBCのコメンテーターは、いつでもこう語る用意ができている。「これらの人々はすべてを失
いました」「これらの人々には行くところがありません」「これらの人々は生きるか死ぬかの崖っぷちに
立たされています」。


21 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 21:42:39 ID:???

「これらの人々」。貧困によって口を閉ざされ、無言になった彼らは、沈黙の誓いを強いられてきたの
だ。なぜなら、もちろん、言うべきことがないからだ。
 こういった人々は、どんな話をするだろうか、すべきだろうか。金持ちの代弁者が腹話術的に貧困の
説明をするのには、もっともな理由がある。貧しい人たちの声が求めるのは、安全、充足、必要なもの
や次の世代を育てるだけの空間が手に入ることだけである。贅沢な暮らしを望んでいるのではなく、平
和に、生活に困らないで暮らしたいのである。
 そして、これらのものこそ、彼らが手にできないものである。富の創造の原動力は、なによりも不安
定性、無限に満足や経済成長を追い求めることにある。みすぼらしい空腹な懇願する人たちというイメ
ージは、企業家や野心家、働き者や富の創造の信奉者に対し、経済的能力を発揮してより大きな成果を
挙げるように刺激する働きをしている。貧困のイメージがなければ、われわれにのしかかるストレスや
暴力、残虐行為を誰が甘受するだろうか。落ちぶれて、時に容赦なく「持たざる者」といわれる人たち
の仲間になることへの恐怖感が、われわれを押しとどめているのである。
 貧困は、遺伝学的に決定されている病気のように「不治」だということはない。これは、グローバル
なメディアの支離滅裂な合奏で自分たちの声をかき消された貧しい人たちの慎み深い主張である。
 彼らは実際、金持ちにとって危険な存在である。しかし、彼らがそうだと説明されてきたようにでは
ない。彼らが猿ぐつわをはめられるべきだと決められたのは、彼らの願望の単純さゆえであった。彼ら
の必要とするものは容易に手に入るのに、剥奪されたままでいなければならなかったのは、全くイデオ
ロギー的な理由からであり、欠乏とは何の関係もなかった。
 貧しい人たちを引き上げるために必要なのは、より大きな経済成長ではなく、富を構成するものと、
それが生み出す貧困のより厳密な評価である。そのためには、貧困緩和に懸命に取り組むふりをすると
いう、盛んに行われている狡猾な活動以上のものが要求される。


22 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 21:45:13 ID:???

アジアやアフリカの多くの文化に共通する民話には、金持ちになろうという知恵に疑問をさしはさむも
のがある。例えば、こうである。

漁師が木陰で昼寝しているところに旅人が通りかかった。旅人は眠っている男を起こし、なぜ魚を捕
まえないのかと尋ねた。「家族の夕食に、もう二匹捕まえたよ」。「もっと大きい網で、もっと長い時
間漁をすれば、一〇匹は捕まえられるのに」と見知らぬ男は言った。「でも、二匹しか要らないのに、
一〇匹も捕まえてどうするんだ」。「売ればいいだろう。毎日同じようにすれば、舟を買うお金が貯ま
るよ」。「それで、どうするんだ」。「もっとたくさん、魚を捕まえるのさ。人を雇って、もっと魚を捕
らせることもできる。金持ちになれるよ」。「金を持って、どうするんだ」。「楽しい毎日が過ごせるさ。
くつろいで、楽しく木陰で寝ることができるだろう」。「今やっているみたいに?」と漁師は聞いた。

 貧困について学ぶ必要があるのは誰か。地球上のほとんどの人間は、貧困になじみがある。多くの人
たちは、再び貧乏に捕まるのではないかと恐れているし、他の人たちは貧困からできるだけ遠くへ逃げ
てきた。
 さまざまな統計が出されている。援助団体、国際機関、人道組織が啓蒙活動をしている。これらの事
実がなぜ、世界で拡大しつつある不公正にほとんど影響を与えないでいるのか、というのが本書の中心
問題である。


23 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 21:56:33 ID:???

不平等

貧困を考察するには、他の方法もある。その一つは、国家間および国内の不平等の増加を見ていくこと
である。貧困と不平等とをはっきりと区別することが重要である。貧困は絶対的窮乏の状態(生きるた
めになくてはならない必需品の欠如)を示すのに対し、不平等は社会的不公正の指標である。不平等が
増大する一方で、貧困は減少しているかもしれない。
 どのような方法で考察するにせよ、社会的不公正が増大し続けるかぎり、極貧は存続する。このこと
は、貧困をめぐる議論に強い影響を与える。というのは、グローバリゼーションが体現している改善の
モデルは「金持ちが今よりはるかに金持ちになったときにのみ、貧乏人は少しだけ貧乏でなくなる」と
いうものだからである。


24 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 22:02:29 ID:???

―寸描

貧困状態で生活している人間の数はよく知られている。だが、数字は物語っているのと同じだけ多く
のことを隠蔽しているのである。
●世界で八億四千万人以上が栄養不良の状態にある。
●毎年六〇〇万人にのぼる五歳未満の幼児が栄養失調で死んでいる。
●世界で十二億人の人々が、一日一ドル未満で生活している。世界の人口の半分が一日二ドル未満で
 生活している。
●世界で最も豊かな一パーセントの人たちの収入は、最貧五七パーセントの収入の合計に等しい。
●発展途上国では、一〇〇〇人中九一人の子供が五歳未満で死んでいる。
●年に一二〇〇万人が水不足のせいで死んでいる。一一億人が浄水を手に入れることができず、二四
 億人が適切な衛生設備なしで暮らしている。
●四〇〇〇万人がエイズに罹患している。
●発展途上国の一億一三〇〇万人以上の子供が基礎教育を受けていない。そのうち六〇パーセントは
 女児である。
●女性は今でも、貧困の最下層に置かれている。絶対的貧困層の七〇パーセントは女性である。
●女性は、世界の労働時間の三分の二を働き、世界の食糧の半分を生産しているにもかかわらず、世
 界の所得の一〇パーセントしか稼いでいないし、世界の資産の一パーセント未満を所有しているに
 すぎない。


25 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 22:06:39 ID:???

 発展途上国全体の人口の五分の一近くが、四〇歳を越えるまで生きられない。シエラレオネは世界で
最も平均寿命が低く、およそ三八歳である。これは、日本(八〇歳に達している)の半分以下である。
最貧国で生まれた子供の二〇パーセントが五歳未満で死亡しているのに対し、最富裕国では、五歳未満
で死ぬ子供は一パーセントに満たない。
 先進工業国で寿命が延びているのは、公衆衛生、環境衛生の目覚しい改善、とりわけ衛生設備と水質
の改善の結果である。このことは、生活水準の向上、栄養と住宅環境の改善とあいまって、豊かな世界
に病気の新たなパターンを生み出した。伝染病や飲料水媒介の病気から心臓病や癌などの慢性疾患へと
変わってきたのである。南の国々の特権階級の間にも、同様の変化の兆候が見られる。だが、最貧の人
たちは今でも、十九世紀初頭のイギリスで一般的だったような種類の病気の犠牲になっている。
 南の世界では、寿命の延びと幼児死亡率の低下はわずかである。衛生設備の改善はまだ不十分である
(世界で二八億人が十分なゴミ処理システムなしに暮らしている)が、数字が多少よくなったのは、安
価な薬が入手できるようになったこと、とりわけ抗生物質と経口補水塩療法のおかげである。
 欧米の「発展」への道筋が世界中で繰り返されるのが当然と考えるべきではないだろう。インド、中
国、ブラジルあるいはインドネシアの政府にとって、豊かな世界の保健インフラを作り出した莫大な公
共支出の実施は、近い将来には不可能と思われる。


26 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 22:09:05 ID:???

―貧困を確認する

一般に用いられている方法のいくつか

消費
●世界人口の最富裕層五分の一が、世界の肉・魚の四五パーセントを消費している。最貧層五分の一
 の消費量は五パーセントである。
●最富裕層五分の一が総エネルギーの五八パーセントを消費している。最貧層五分の一の消費量は四
 パーセント未満である。
●最富裕層五分の一は世界の電話の七四パーセントを持っており、最貧層五分の一は一・五パーセン
 トである。
●最富裕層五分の一は紙の八四パーセントを消費し、最貧層二〇パーセントの消費量は一・一パーセ
 ントである。
●最富裕層五分の一は世界の車両の八七パーセントを所有し、最貧層五分の一が所有するのは一パー
 セント未満である。


27 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 22:12:58 ID:???

識字能力
●世界には一〇億人の読み書きできない成人がいる。その三分の二は女性であり、その九八パーセン
 トが発展途上国で生活している。
●読み書きができない人々の五二パーセントはインドと中国にいる。
●サハラ以南のアフリカで、小学校の在籍者数は一九八〇年の五八パーセントから五〇パーセントへ
 と減少している。
●後発発展途上国では、四五パーセントの子供が就学していない。
●識字率が五五パーセント未満の国の一人当たりの所得は平均六〇〇ドルである。
●識字率が五五パーセントから八四パーセントの国の一人当たりの所得は平均二四〇〇ドルである。
●識字率が八五パーセントから九五パーセントの国では、所得は三七〇〇ドルに達する。
●識字率が九六パーセント以上の国の所得は一二六〇〇ドルにのぼる。

寿命
●最富裕国では、平均寿命は一九五〇年に六七歳だったのが、一九九五年には七七歳まで延びた。
●発展途上国では、同じ期間に四〇歳から六四歳へと延びた。
●後発発展途上国では、三六歳から五二歳へと延びた。しかし、アフリカの大部分の地域では、HI
 V・エイズのため、平均寿命は再び低下している。
●一九五〇年には、発展途上国で生まれた一〇〇〇人の子供のうち二八七人が五歳未満で死亡してい
 た。一九九五年には、その数は九〇人へと減少している。


28 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 22:28:40 ID:???

貧困に関するさまざまな考えが、いかに限りない経済成長を、そして際限のない欲求を前提としている
か。絶対的貧困と相対的貧困――開発の植民地主義、充足の植民地化、富の貧困。

村の家族が貧乏なのは子供が多すぎるからだ、と人口問題の専門家は批判する。母親は腹立たしげに一
二人の子供を小屋の外に並べ、彼に向かって言う。「この子たちを見てちょうだい。いったい、どの子
とどの子がいなければよかったっていうの」。


29 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 22:30:46 ID:???

貧困は定義を必要としないと思われるかもしれない。誰もが、毎日のように世界中のテレビ画面に現れ
る「貧しい人々」を目にしている。中央アフリカの戦闘地域を逃れた、あるいは東南アジアのサイクロ
ンの被害を受けた、またはジンバブエやエチオピアの旱魃地帯で暮らす、やせ衰えて疲れきった子供た
ちや老人の映像に見覚えのない人がいるだろうか。栄養失調で膨らんだお腹と退色した髪の毛、骸骨の
ような姿でだるそうに横たわる人たちの目のあたりにハエが群がっている映像である。
 これは、何も持たない人々、生きていくための基本的な資源の欠如のために、その生命が絶えず脅か
されている人たちの「絶対的貧困」である。
 貧困はわれわれの顔を覗き込む。ある意味で、貧困はわれわれすべてに常に連れ添っている。貧困の
存在、あるいはむしろその存在の象徴は、さまざまな目的のために利用されている。
 物にあふれた世界での欠乏に心を揺り動かされたせいであれ、悪霊を追い払うという迷信のためであ
れ、貧困を目にした人々は慈善行為へと向かう。だが、善意はせいぜい最悪の事例に歯止めをかけ、大
災害に遭った人たちに一時的な慰めを与えるにすぎない。
 生きるか死ぬかの瀬戸際にある人間の姿は、恐ろしい警告という意味ももつ。人々は言う。「見てご
らん、一生懸命働かないと、どんな目にあうか」。彼らは抑止力である。貧困者のたどる運命を知らな
い者はいない。これが人々を経済的努力へと駆り立てる。とりわけ、われわれと最も貧しい人たちの状
況との違いが、自分の手で働くことと自分の頭で創意工夫することだけという場合はそうである。
 この種の貧困は援助団体や政府、国際金融機関の関与の対象である。地球上で最も力を持つ人たちの
決断があれば、こうした過酷な窮乏はすぐさま解消し、こういった光景は世界から姿を消すはずである。
それがいまだ実現していないというのは、この時代の不思議の一つである。富裕な者たちがこれほど貧
困の削減に努めているのに、どうしてこのような悲惨さが続いているのだろうか。


30 :私事ですが名無しです:2006/12/21(木) 22:33:07 ID:???

飢餓

飢餓と飢饉の脅威は、貧困の最も強力なシンボルである。世界のどこかで周期的に起こっている飢餓の
映像は、人々の関心を、テレビの昼メロやコカ・コーラから最も遠く隔たったところへと向けさせる。
それは富の創造を至上命令とするシステムに最大のダメージを与える告発である。世界には、全人口が
毎日三五〇〇カロリーを摂取できるのに十分な食糧がある。食糧不足が問題なのではなく、栄養不足の
人たちに市場で食糧を入手する購買力がないことが問題なのである。二〇〇三年についていえば、少な
くとも八億の人々が南アフリカおよび東アフリカで大規模な飢饉にさらされたのは、分配の公正さが欠
如していたせいだった。
 空腹を感じたことのない者に、絶え間ない飢餓のことを理解させるのはほとんど不可能である。
 ついこの間まで、欧米においてさえ、飢餓は常に身近なものだった。私の祖母は、子供たちを昼寝さ
せるとき、窓を布袋で覆って、今は夜でお腹は空いていないと思い込ませようとした。ある老婦人が話
してくれたが、一八九五年の皮革工場のストライキのとき、彼女はレンガの壁の陰になるじめじめした
場所からカタツムリを集めてきて、二四時間塩水に漬けてから茹でて食べた。同じようなことは、食糧
が不足している国々では、現在でも行われている。伝統的文化は、果物、塊茎、山菜といった「飢饉食
物」の保存法を伝えている。だが、これらの多くは、慣れ親しんだ環境が変化し、森が切り開かれ、景
観が破壊されるにつれて、姿を消していった。


31 :私事ですが名無しです:2006/12/22(金) 06:34:36 ID:???

―ファリダ・ビビ

ベンガル湾に面したバリサール近郊の村で、三人の子供を持つ土地なしの女性ファリダ・ビビは暮ら
している。彼女の唯一の収入源は、季節労働の賃金である。
「朝は水でうすめたご飯を少し、昼は働いている農園の人たちにパンをもらうの。夕飯はご飯と野菜。
お金がもらえない季節には、ロティスに、少しでも味をつけるために唐辛子と塩をかけて食べるしか
ないのよ。
 いつも食べ物のことばかり考えてるわ。朝が怖いの。だって、お腹がすいて目を覚まして、子供た
ちが泣いているのを聞かなければならないから。子供たちになにかしゃぶらせようと思って、人が食
べたあと捨てたサトウキビを拾ったこともあるし、木の葉や根っこだって煮て食べるわ。土地もない
し、市場で何かを買うお金もないから、市場のそばには行かない。手に入れられないものを見ている
のは、拷問だからね。
 飢えは、生き物みたいに体の中を動くの。最初は落ち着かない気分だけど、そのうち疲れた感じが
してくる。動き回ってエネルギーを無駄にはしない。眠るのがただひとつの逃げ道よ。世の中への興
味もなくなる。飢えが体の肉を食べるの。子供に食べさせることだけで頭がいっぱいよ。ほんの少し
のお米か野菜をもらうために、近所の人たちのところで働いてます。食べていないと体が小さくなっ
て、食欲もなくなる。そうなると、食べ物のことはもう夢ではなくなって、怖くなるの。これまでど
うやって食べていたのか、わからなくなる。食べ物のことはどうでもよくなって、自分の体もどうで
もいいと思うようになるのよ。
 ぼろきれをしゃぶったこともある。娘は町へ女中に出したわ。一〇歳よ。これで娘の食べ物の心配
をしなくてすむ。家に帰ってくるとき、娘は雇い主の家の食卓から何か持ってくるから、その日はお
祭りみたいよ」。


32 :私事ですが名無しです:2006/12/22(金) 06:35:26 ID:???

―ひとりぼっち

タンザニアの六〇歳台の女性は言う。「七人の子供たちがエイズで死んだから、生活に困っているよ。
年取ったときに面倒を見てくれると思っていた人間が先に死んじゃったら、誰に頼ればいいの?」
 南および東アフリカの一部地域では、エイズが原因で、若年成人の人口が激減している。高齢の女性
が、残された孤児の世話をしているが、この子供たちも一部はHIV感染者である。これは自然の秩序
に反している。「自分の子供が死ぬのを見る以上につらいことはないわ。大事に育ててきたのに。子供
を育てたのは何のためだったの。無事に育て上げたら、年をとったとき面倒を見てもらえるはずだった
のに」。
 貧困と人口をめぐる議論のほとんどは、豊かな国々での事実を無視している。人々に子供の人数を制
限させるのは「教育」でも「産児制限」でもなく、もちろん「自己抑制」でもない。それは安全なのだ。
年をとったときに面倒を見てもらえることがわかると、一家の子供数は少なくなる。これが西の世界で
起こっていることである。貧しい人々にとって、子供は、将来欠乏から逃れられることを意味する。安
全こそ人々が欲しているものであり、避妊薬や避妊手術、性的禁欲に関する助言ではない。
 タンザニア、マラウィ、南アフリカの村々は、人生を全うできなかった人たちの亡霊でいっぱいであ
る。土饅頭は、避けられたはずの病気で死んだ子供たちだけの墓ではない。働き盛りで死んだ大人た
ち、生命を永らえるための薬を供給しなかったグローバル・マーケットの犠牲者の墓もたくさんある。
 世界のほとんどの人たちにとって、貧困に対抗するための唯一の資源は、生活保護支給金という「セ
ーフティ・ネット」ではなく血肉のネットワーク、つまり親類や家族である。これらのものだけが、
人々に住まい、食べ物、病人や老人の介護といった保護を提供するのである。「開発」は、人々が生活
手段を求めて移動することによる都市化、移民、家族の崩壊を通じて、こうした関係を蝕む。南の国々
は、大きな、かつて行われたことのない実験の実験場となっている。それは、安全の古い形式が崩壊し、
政府が財政的にこれに代わるものを用意できない場合、何が起こるか、という実験である。


33 :私事ですが名無しです:2006/12/22(金) 06:35:57 ID:???

―エビの養殖

バングラデシュのサンダーバンズに近いサトキラ。海岸近くにあるエビの養殖場は、近隣の水田を塩
水の流入で荒廃させた。稲作をしてきた農民は、養殖場の作業員になった。マングローブの沼で手に
持った網を引くという伝統的な小エビ漁をしてきた人たちも生活手段を失った。というのは、養殖池
に入れるために小魚が獲られてしまい、彼らの網にはほとんど何も掛からなくなったからである。
 マムタズ、シャジェダ、ファティマは一日一二時間水の中に立っている。エビ産業がマングローブ
林を破壊する以前は、一日一〇〇タカ(二ドル)稼いでいた。今では、二〇から三〇タカ稼げれば上
出来だ。この女性たちは三人とも土地を持っていない。ファティマの夫は一五年前に死んだので、彼
女は自分の家族の土地にいる。マムタズは夫に捨てられ、道端の小屋に住んでいる。シャジェダは祖
父の家で暮らしている。
 ジェハナラとアンチャラもここで働いている。彼らは自分の年齢を知らないが、おそらく一〇歳か
一一歳だろう。一年中頭を垂れ、細い腕で網を使う。
 ここでは、経済的な暴力が文字通り目に見えるものとなっている。それは、肉体につけられた傷の
ように生々しい。今の環境は、彼らに刃を向けている。かつて優しかった自然は、敵意をむき出しに
する存在へと変えられてしまった。彼らの疲れ果て、やせ衰えた体からは、人々を農村経済から追い
立てる力がここでも働いているのが見て取れる。彼らはまもなくここを離れ、クールナのスラムに家
を借り、家政婦になるだろう。


34 :私事ですが名無しです:2006/12/22(金) 06:40:09 ID:???

相対的貧困

多くの、おそらくほとんどの人々にとって、貧困は相対的なものである。つまり、われわれは自分を周
りの人たち、とりわけ自分よりいい暮らしをしている人たちと比較するのである。これは、電子メディ
アが伝える悲惨な映像よりも、われわれの心をひどく傷つける。われわれは、自分と同じくらいの暮ら
し向きの人間に目を向け、彼らが自分よりうまくやっているかどうかを気にする。
 直接的な比較は大きな力を持つ。それは、隣人や知人との競争へとわれわれを駆り立てる。社会的公
正の意識が最も強く刺激されるのは、自分自身の価値が正当に評価されていないと感じるときである。
なぜ看護師あるいは消防士である私は、教師あるいは建築業者よりも悪い暮らしをしなければならない
のか、というのが特徴的な疑問である。だれが私より「価値が高い」というのか。


35 :私事ですが名無しです:2006/12/22(金) 06:41:18 ID:???

―ハウラ駅

コルカタ(カルカッタ)のフーグリー川沿いの大きな帝国時代の建造物。群集に混じって、家出少年、
孤児、捨て子など、多くの子供たちがここで暮らしている。彼らは旅行者にお金をもらったり、切符
を持たないまま、とがめられることなしにインド中の鉄道に乗り、客車内の掃除で小銭を稼いだりし
て食べている。
 八歳から十四歳の少年の一群が列車の入線を待っていた。人々が列車から降りるや否や、彼らは列
車に突進し、空のミネラルウォーターのビンを拾う。それを一本につき半ルピー(一米セント)で売
るのだ。中間業者が水のみ場でそれを洗って、水道水で満たし、露天商に一本五〜六ルピーで売る。
露天商はそれにプラスティックのふたをし、ろうそくの火ですこし溶かして「再封印」する。それを
町で一〇〜十二ルピーで売るのである。一人の少年が言った。「この生活には教育はいらない。頭が
よくなくちゃできないよ」。


36 :私事ですが名無しです:2006/12/22(金) 06:41:54 ID:???

 この相対的剥奪のよく知られた目安は、イギリスではときに「ジョーンズ家の人たちに遅れをとるな」
と言い表される。ジョーンズ家とは、われわれ自身よりも少しだけ生活水準が上の家庭を代表する架空
の家族である。ジョーンズ家の人たちが遅れないようにしている相手はだれか、ということは問題には
ならない。それはそうだろう。この家庭的な家族のイメージは、人間のニーズとは関係なく、経済的必
然性と深いかかわりを持つような頑張りを正当化するものなのだから。経済が人間に仕えるのだろうか、
それとも人間が経済に奉仕するようになっているのだろうか。


37 :私事ですが名無しです:2006/12/22(金) 06:42:55 ID:???

金持ちの貧困

これとは別の、裕福な人たちを悩ます貧困もある。金持ちは、より多くの休暇、別荘、新しいプールな
ど、彼らの手に入らないものについて、しばしば不平を言う。剥奪という主観的な感覚は、豊かな欧米
社会のほとんどすべての人に影響を与えている。このことは、ジョーンズ家の人たちが遅れをとらない
ようにしているのは誰なのかという問題のヒントを与える。それは他人の地位や所有物、ライフスタイ
ルを追い求めることとは関係ない。それが関係しているのは、グローバル経済のほとんど際限のない生
産能力である。世界経済の年間総生産は四一兆ドルである。世界に広がる大型スーパーマーケットにあ
ふれかえる品々を前にすれば、誰もが自分は貧しいと感じざるをえない。
 人間の願望には際限がない。昔から、ずっとそうだった。われわれは不可能なことにあこがれる。そ
れが手に入るものなら、不死や全能を願わない者がいるだろうか。ことによると、継続的な経済成長の
最大の魅力は、それが人間の果てしない欲望を満たすといっていることにあるのかもしれない。人間の
欲望とわれわれの短く脆弱な生命との間の矛盾は、さまざまな時代の偉大な宗教の教えの対象となって
きた。自己抑制、資源の適正使用、倹約、物質的なものに執着しないことは、知恵の始まりとみなされ
てきた。これらの教えがしばしば人々の社会的支配のために利用されてきたということは、宗教の教え
を無効にするものではない。もちろん、貧しい人たちは常に、財宝は天国に蓄えるべきであり、日々の
必要物のことで煩わないで、不死の魂のことを考えなさいと言われてきた。だが、宗教を他の目的(僧
侶階級や支配者、権力をもったエリートの自己防衛)のために悪用することと、人間の精神的欲求とを
混同してはならない。精神的欲求は食べ物や水への欲求と同じくらい基本的なものである。


38 :私事ですが名無しです:2006/12/22(金) 06:44:38 ID:???

 節約と禁欲の教義は脇へ追いやられてしまった。消費主義が、古くからある。そして実現不可能な人
間のあこがれをひとつの社会的経済的制度へと結びつけた。この制度は、人間の欲求に応えることがで
きないとしたら、少なくともそれに代わる慰めを提供するとうぬぼれている。人々に天国あるいは死後
の世界での報いを約束してきた伝統的な宗教と、いかに異なることか。グローバル資本主義は、今ここ
で、物を手に入れることができる、という。これが貧しい人たち、欠乏している人間にはたまらない魅
力なのだ。
 問題は、富が増大すると、貧困もまた増大するということにある。貧困は人間性を傷つけ、発達を妨
げるという大きな真実は、人間の生活は個人が享受する富の量に正比例して高められるという、より大
きな嘘を隠している。貧困の反対は富ではなく充足である。満足、安心、安定した暮らしができること、
これが貧しい人々の望むものである。それに代わって、彼らは豊かさの追求を与えられる。これは充足
をすり抜けて進み、満足をどんどん手に入れにくいものにしていく。
 貧困の定義がたいへん難しい理由はここにある。政治的、経済的な議論では、貧困は単純で機械的な
公式へと還元される。人々の所得を考慮に入れて、基本的必需品の「バスケット」の費用を計算すると、
不足分が彼らの貧困の大きさと強さを表す、というのである。
 残念ながら、ことはそれほど簡単ではない。


39 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 03:56:38 ID:???

官僚的定義

経済学者、政治家、人道主義者たちはしばしば、世界で一二億の人たちが一日二ドル未満で暮らしてい
ると言う。これは、言語を絶する剥奪の証拠として語られ、このことを聞かされた人間はショックと驚
きを示す。
 だが、これは物語の全体を語るものではない。これがまやかしであるのは、グローバルな市場の外で
自給自足の生活を送っている人々の富を無視しているからである。もし自分ですべてのものを調達でき
るのだとしたら、所得がほとんどゼロだということは屈辱的なことではない。自分の食べ物を栽培・飼
育し、住まいを自分で建て、衣服を自分で作るなら、市場で購入しなければならないものなど、たかが
知れている。
 他方、一日二〇〇ドルの所得があっても、すべての生活必需品を市場で入手しなければならず、それ
には二〇〇ドルでは足りないとしたら、貧しいということになるだろう。
 経済学者らが言う貧困の説明は、あまりにも多くを当然のこととしている。彼らは工業社会での貧困
の意味を解釈し、それを地球全体へと適用しているのである。


40 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 03:59:14 ID:???

 国際機関、援助団体、援助供与者らによるほとんどの議論は、貧しい人たちはグローバルな市場への
関係によって定義されるという誤った前提に基づいている。開発の目的は世界中の人々を一つの経済シ
ステムへと徐々に包摂していくことにあるようだ。グローバリゼーションは、まさにそれを示唆してい
る。だが、世界にはグローバルな市場に完全には参加していない人たち、ごく一部しか参加していない、
あるいは全く参加していない人たちが何億人もいる。彼らは「後ろ向き」あるいは「未開」と思われて
いる。開発の目的は、彼らをグローバルな市場に強制的に参加させること、あるいは彼らが望むと望ま
ざるとにかかわらず「工業社会のあらゆる便宜を享受する」のを保証することにある。
 このような仮定には、二つの誤りがある。一つは、グローバル経済から排除された者はだれも貧困化
するにちがいないということ、もう一つは、経済成長だけが貧困を「解決できる」ということである。
 貧困には歴史がある。開発・発展の物語は同時に貧困化の物語でもある。「発展」するために、人々
はまず、特定の方法で貧しくならなければならないのである。


41 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 04:04:15 ID:???

先住民の富

グローバル経済に対する最も強い抵抗を示すのは先住民である。彼らの生活は、場合によっては何千年
もの間、直接的に彼らをとりまく環境の資源基盤に依拠してきた。「持続可能」という、ひどく乱用さ
れている言葉が現在の世界で持つ意味を理解するためには、欧米の経済学者たちのシンクタンクに頼る
のではなく、自分たちを守る生態学的地位の直接的表現であるさまざまな文化の中を生き残ってきた
人々に目を向けるべきである。


42 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 04:10:33 ID:???

―丘陵地帯の人々

七〇歳になるキサ博士はバングラデシュのチッタゴン丘陵地帯に住むチャクマ族の医師であり歴史家
である。彼はベンガル人の「開拓者たち」がやって来る以前の文化を思い起こして語る。
「チャクマの社会にはお金というものは存在しなかった。年貢はムガール人の綿花王たちに納められ
た。丘陵地帯が綿花王国と呼ばれたのは、この理由からだ。丘では、焼き畑農業で稲、ゴマを作り、
間作として野菜を育てた。食べ物は消費するために、綿は衣服のために、ゴマは取引のために栽培さ
れた。外から入手しなければならなかったのは塩、干し魚、調理に使ったり水をためておいたりする
ための陶器だけだった。昔の人たちは腕のいい機織りだった。今でも、織っているかもしれない。彼
らはジャングルから豊かな補完食料品を手に入れた。筍とか、さまざまな種類のヤム芋、何十種類も
の魚、カニ、かたつむり、とかげなどだ。彼らは竹で作ったワナで魚を捕った。樹皮を粉にしたもの
を水に溶かすと魚の動きが鈍くなって、ワナに入るのだ。彼らは薬草を知っていたが、そのうちのい
くつかは多国籍企業が化学的に合成している。私は一九三三年生まれだが、子供のころは、店で米を
売っているところなんか、見たことがなかった」。

 先住民の文化は、いたるところで似たような物語を持っている。彼らの社会は貧困によっては損なわ
れない。洪水、旱魃、サイクロンといった自然災害によって窮乏化することはあったとしても、自分た
ちの生まれ育った土地をだめにすることは決してなかった。他人の領域――「空いている」ように思わ
れた土地、とりわけアメリカやオーストラリア――への外国からの侵入は、長期にわたる植民地主義の
帰結である。植民地主義というのは事象ではなくプロセスであり、それは今日でも続いているのである。


43 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 04:18:07 ID:???

―共有財産

「一九世紀の終わりまで、すべての時代にわたって、インドの自然資源の少なくとも八〇パーセント
は共有財産であり、ほんの二〇パーセントが私的に利用されていたにすぎない」と著述家のチャトラ
パティ・シンは言う。「この広大な共有財産が、非貨幣、非市場の経済に資源基盤を提供していた。
あらゆる種類の必要な資源が人々の手に入った。木材、潅木、牛糞が炊事や暖房に使われた。泥、竹、
松葉が住居を作るのに使われた。草や潅木は家畜の飼料になり、そしてさまざまな果実や野菜が食糧
になった」。


44 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 04:24:15 ID:???

 森や耕地、海辺や川辺の環境を支える資源基盤の大部分は破壊され、それは、自然の変動により断続
的に起こる貧困とは違った仕方で人々を貧しくした。このことは、世界的な機関の主導で現在行われて
いる貧困をめぐる議論に決定的な影響を与えるものである。これらの機関は、ほんのわずかな人たちだ
けが、何世紀にもわたって生活してきた環境に依存しているにすぎないと決め込んでいる。
 これは、多くの貧しい人々にとって、悲劇的な間違いである。すべての人間は、無償で与えられたも
の、相互援助の貨幣によらない交換、寛容と好意の大きな貯水池、物質的報酬を超えた発明と創造性の
豊かな可能性、自然に与えられた人間の才能に大きく依存している。これが、市場で購入できるどんな
ものよりも、われわれの生活を豊かにしているのである。ある社会では、自分自身や他人に提供するも
のの範囲はとても広いし、ある社会(とりわけ「先進地域」と呼ばれるところ)では、その範囲は縮小
している。人々が食糧を自給し、住まいを自分で建てている場合、市場への依存は少ない。市場は地域
のコミュニティで、重要ではあるが、二次的な役割を果たしている。豊かな社会では、市場が支配して
いる。すべての必需品は「購入」され、家族や地域の生産者によって提供されるのではない。
「開発」とは前者から後者への移行である。これは欧米の勝利である。欧米は最初、他人の土地の征服
と併合、つまり植民地主義と帝国主義によって、世界全体を支配した。公式に非植民地化が行われた時
には、市場社会と市場文化の基礎はすでに世界規模で確立していたのである。社会主義は、市場を国家
へと置き換えることによって、ある程度までグローバル市場の成長に制限を加えた。社会主義制度に伴
う官僚的非効率性と政治的抑圧が、とりわけソ連で見られたように、国家主義社会の崩壊を招いた。こ
れは、市場が唯一の道だということの証拠として西側が行う解釈である。最近は、市場経済がより強力
に推し進められている。それがまた、市場社会、そして市場文化を生み出している。グローバルな貧困
への影響は広範に及んでいる。


45 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 04:42:18 ID:???

 その結果として、貧困を測る尺度が、今ではすべて純粋に貨幣価値で示されるようになっている。
「先進(発展した)」諸国は金持ちであり、「発展途上(発展しつつある)」諸国は彼らのようになること
を目指している。これは単純化しすぎであり、欺瞞的である。あらゆる国は発展しつつある。「発展し
た」国は何に向かって進んでいるのか、という疑問はめったに問われることがない。
 経済活動は人々を、充足を越えた果てしなき追求へと駆り立てる。それは、貧しい人たちが望む「十
分」(安定した満足)ではなく、「もっと多く」(経済成長)を追い求めることを人々に強いるのである。
発展の指標(国連の人間開発指数に具現されている)には貨幣所得だけでなく識字能力、平均寿命も含
まれている。しかし、これらは、貨幣所得と同様、人間の豊かさの全体を測定できるものではない。


46 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 04:52:12 ID:???

―インドの先住民

著述家のウィニン・ペレイラは書いている。「ウォーリ族(インド、北マハラシュトラの部族民)の
多くは読み書きはできないが、数え切れないほどの世代にわたって親から子へと口伝で伝えられた膨
大な知識を持っている。だが、支配的な社会は、彼らの識字能力のなさを無知と同一視する。彼らは
書く必要がないのだ。なぜなら、即座に自分たちの知識にアクセスしない限り、彼らの厳しい環境の
中で生きていくことはできないからである。彼らの記憶は、知識を確実に蓄えておくために拡大して
きた。各個人が知識のあらゆる面における専門家であり、何かに特化するということはない。このこ
とが、分業の少なさとあいまって、彼らが平等であることに大きく寄与している。
 一二歳の少女ラジ・ヴァヴルは百を超える草、潅木、樹木の名前とそれらのさまざまな使い方を知
っている。これらは穀物中心の彼女の食生活を補い、必須たんぱく質、ビタミン、ミネラルの摂取に
役立っている。彼女はどの植物から繊維が取れるか、どれが燃料や灯りになるか、どれが薬として使
えるかを知っている。彼女はどうやってカニを穴の中から捕まえるか、どうやって魚をワナに掛ける
かを知っている。野ウサギやウズラ、ヤマウズラを捕まえることができるし、鳥の巣の見つけ方も知
っている」。

 私は非識字がいいと言っているわけではない。それが金持ちあるいは貧しい人々にとって何を意味す
るかについて、もう少し寛大な見方があっていいだろうと言うのである。ウォーリ族に見られる記憶の
弾力性、精神の俊敏さ、足元の確かさは、知性の指標である。貧困を金銭だけで測定するという大雑把
なやり方では、人間のもつ無形で賢く美しいものを評価することはできない。グローバリゼーションは
これらを根絶しようとしているのである。


47 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 05:00:43 ID:???

いかにして植民地主義が開発へと引き継がれたか

南の資源は囲い込まれ、私有化された。それは、イギリスやその他の西欧諸国で、共有地に関して、中
世後期と産業革命との間の時期に起こったのと同じことだった。
 植民地主義は大英帝国時代に輸出のために存在しただけではない。帝国の人民に対して行使された暴
力は、すでに母国で実験済みだった。カロデンの大虐殺の後に行われたスコットランドのハイランド地
方の文化の破壊、より利益を生む羊のためのクロフター(自作農)の追い立て、共有地の囲い込み。こ
の囲い込みによって地域の人々は、家畜を放牧したり、燃料や野生の果実を集めたりすることができな
くなった。市場の力への妄信は、一八四〇年代のアイルランドで人口を半減させた。これらはすべて、
後に植民地で実践されたことを予示するものだった。


48 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 05:06:55 ID:???

―先住民の文化の消滅

一八二〇年代のニュー・サウス・ウェールズの流刑囚居住地がアボリジニーに与えた影響について、
歴史家ロバート・ヒューズは語っている。「白人の都市文化の周辺に住む先住民の退廃はひどいもの
で、それはまた広く蔓延していた。同情的な目で見れば、まるで疫病のようだったが、人種差別主義
者から見ると、野蛮な物笑いの種だった。一番安物のラム酒に酔っぱらって、結核から梅毒まで、侵
入してきたあらゆる病気に罹り、囚人たちの汚い言葉や隠語を片言で真似て物乞いをするなど、彼ら
は悲惨さの戯画化であった。
 一世紀半の後に書かれた、ブラジルの先住民に対する扱いに関するフィゲイレドの報告には、オー
ストラリアへの強制移住者の無知のような情状酌量の余地さえ認められない。五〇〇〇ページにのぼ
る資料は、残虐行為の一覧表である。大量殺戮、拷問、細菌戦が記録され、奴隷化、性的虐待、窃盗、
放置が報告されている。これらは主として、報告に先立つ七年間に行われたものである。パタソ族の
集団は故意に天然痘に感染させられたという報告がある。タパユナ族は砒素と殺蟻剤を盛られ、マシ
ャカリ族は土地所有者からアルコールを与えられ、酔ったところを射殺された。
 これらの残虐行為によって刑務所へ送られた者は一人もいない。


49 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 05:12:17 ID:???

 先住民の文化への攻撃は、ヨーロッパ人が自分たちの国ですでに仕上げたことの延長だった。イギリ
スの工業化時代の全体を通じて、富の創造を原因とする人民の貧困化に対する抗議は広がっていった。
手織り職人の仕事は家庭内で行われ、家族全員が関わっていたが、工場システムによって息の根を止め
られた(時には文字通りの意味で)。機械化は、「ラッダイト(英語で「進歩」に反対する人間を非難す
るのに今でも使われている)」による機械の打ち壊しを引き起こした。デモや暴動が起こり、時として
軍隊が労働者に向かって発泡することもあった(一八一九年にマンチェスターで起こった事件はピータ
ールーの虐殺として知られている)。歴史家E・P・トムソンが『イングランド労働者階級の形成』で
述べているように、一九世紀初頭に人々の貨幣所得が上昇したとしても、都市の不潔さや強制的移住、
農村での生活手段の喪失は、人々にとって改善ではなく剥奪と感じられた。それが今、世界中で起こっ
ているのである。


50 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 05:21:12 ID:???

 イギリス、フランス、スペイン、オランダが帝国主義の触手を伸ばした地域で、自国での体験は人々
の生活手段を暴力的に奪う上で非常に役立った。彼らは非貨幣経済を転換させ、市場のための作物を作
らせた。藍やアヘンを栽培するよう強要されたインドの農民は、大きな暴力の犠牲者であった。彼らは
自分たちの家族を養うことができなくなった。こうした介入は古代からの文化や文明を崩壊させた。
人々は食べるためではなく、売るための作物を作らされた。これは今では世界規模で「当たり前」にな
っている。農民たちはコーヒー、紅茶、ココア、バナナ、パイナップル、タバコ、ゴムなどの「一次産
品」を生産する。これらの世界市場での価格が下落すると、彼らはかつて自給によって容易に入手して
いた食べ物を買うことができなくなる。彼らはしばしば、欧米のスーパーマーケットで見かけるアスパ
ラガス、豆類、グリーンピース、ブロッコリ、マンゴーあるいはパイナップルと交換に、欧米から安い
加工食品を購入する。
 植民地主義が抑圧に成功しなかったものを、今や「開発」とグローバリゼーションは抑圧し続けてい
る。欧米が現在、持続可能性を日常的に呼びかけているとするなら、それは持続可能性をより効果的に
破壊するためなのである。
 これまで述べてきたことから、現代の貧困は真空の中で生まれたのではないことがわかるだろう。そ
れは長く苦渋に満ちた歴史をもつのであり、五〇〇年にわたる西欧の支配の帰結なのである。その支配
とは西欧が母国で、そしてまた彼らが帝国主義的大君主であった領土で確立したものであった。


51 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 05:24:26 ID:???

―適度の発展

マレーシアのペナン消費者協会のマーティン・コーは次のように書いている。「第三世界の国々には、
自分たちの文化や自然環境の維持・保護と両立するやり方で暮らしを立てている地域がまだたくさん
残っている。こうしたコミュニティは先進社会ではほとんど消滅してしまった。われわれは農業、工
業、住居、水、公衆衛生、薬に関する先住民のシステムの技術的・文化的知恵を認め、再発見する必
要がある。私はなにも、過去の黄金時代へのロマンチックな信仰から、伝統的なものをすべて疑いも
なく受け入れるべきだと言っているのではない。例えば、過去には、搾取的な封建制度あるいは奴隷
社会制度が人々の生活を困難なものにしていた。だが、第三世界の生活の本質的部分を今でも占めて
いて、持続可能な発展に適合した、先住民の多くのテクノロジー、技能やプロセスは、自然およびコ
ミュニティと調和したものである。先住民の科学的システムは、それにふさわしい評価を与えられな
ければならない。それらが近代化の波にさらわれないようにしなければならない」。


52 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 05:30:48 ID:???

人々を市場へ

世界の貧困は、過去においても、また現在でも、生きていくために必要なものを金額で計算するという、
欧米流の貧困のイメージで作り直されてきた。問題は、「生きていく」ということが何を意味するかに
ついて、合意ができていないという点にある。例えば、テレビは今や欧米では必需品となっている。そ
れは人間が常に娯楽を必要としているからではなく、テレビは財力を誇示するための消費を宣伝広告す
ることによって、人々に自分の持っていないものを見せつける手段になっているからである。日々の生
活を送るためにはこれらのものを求めなくてはならないというのが、今では消費主義の半ば宗教的な狂
信と化している。
 このことは、地球上のすべての人間に同じ発展の道筋を用意する。市場経済の標準がグローバル化さ
れたのである。この事実は、ニーズに応える他の方法がすべて失われ、自然の無償の贈り物も人間も一
様に商品へと転化していくということを約束している。帝国主義による第一次の猛攻撃を生き延びた部
族民、森やジャングルの民、先住民たちは今や、グローバル経済へと無理やり引き込まれている。それ
は、世界中の人々が昔からの生活様式を捨て、選択の余地なくグローバル市場に入っていくことを確実
にしている。
 富と貧困の確定が金銭だけに基づくことになると、貧困は脱出不可能なものになる。金持ちは自分た
ちをより豊かにさせるものを無限に増大させることに心を奪われ、もはや「十分」という言葉の意味を
忘れてしまう。「充足」という昔ながらの夢は失われる。


53 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 05:35:09 ID:???

 市場経済の内部に取り込まれると、人は市場経済の規則や法則にしたがっていかに貧しくなるかを学
ぶ。一日一ドル未満で生活している人々の恥辱について語る、社会的意識のある改革論者は、実際には
他のことを話しているのである。彼らは、こういう惨めなやつらは市場経済から締め出されているから、
できるだけ早くその支配下に入れられなければならないと言っているのである。まだ市場経済に参入し
ていない人たちへのもう一つの見方は、彼らは自由なままだ、というものである。彼らは独立している
ということである。
 私は一九九〇年代半ばに、マレーシアのランカイ島の農民と話したことがある。当時、ランカイ島は
人気のある観光地にするための「開発」が始まったところだった。この農民の土地は、観光客用のゴル
フ場を造成するために、政府によって強制的に取り上げられようとしていた。彼は苦々しげに言った。
「世界の中で本当に自由な人たちというのは、自分の食べ物を育てることができる人たちです。私の土
地はずっと昔から収穫を生んできました。来年、最後の収穫が得られるでしょう。それは、ほんの一握
りのドルです。それから先は作物ができなくなって、私たち家族は貧乏になるんです」。
 部分的であれ全面的であれ、今でもグローバルな市場の外で生活している人たちは、単一世界経済以
外の道はないという主張が嘘であることを証明している。そういう人たちは危険な経済的反乱分子であ
る。彼らへの懲罰は、最も低い生活レベルでグローバルシステムへと縛り付けることである。そうすれ
ば、彼らは貧困の新しい意味を身をもって知るだろう、というのである。


54 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 05:39:33 ID:???

暴政

これは暴政である。世界中の人々が自分たちの規則に従って生活するのだと決めた権力者たちがこれを
「自由」と呼ぶのは、そのためである。他の選択肢を断つということは、暴力であると同時に不寛容で
ある。グローバリゼーションは、イデオロギーで作られたものである。理論としてのイデオロギーでは
なく、過酷で融通の利かない実践におけるイデオロギーである。「○○のための市場はない」――「○
○」がある商品やサービスを意味するにせよ、同情、知恵、自己犠牲あるいは何らかの芸術的表現を意
味するにせよ――と言うのは、生き生きとした人間の経験の領域を沈黙と非存在へと追いやることであ
る。
 世界市場の支配を確立しようという闘いは、貧しい人々に対する攻撃であるだけではない。それは、
その人の生き方や必要物を手に入れるための戦略、つまりその人の独立性が、グローバルな市場がもた
らす富裕化とは窮乏化であることを暴露することになるようなすべての人々への攻撃である。
 帝国主義の時代以来、自立に対し、低強度戦争が仕掛けられてきた。最近では、その掛け声は「開発」
である。その兵器は金銭である。その歩兵は高消費のミドルクラスであり、彼らは世界のあらゆる国に
出現している。その構成員は工業化社会が定義した「いい暮らし」の大使であると同時に警察官でもあ
る。


55 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 05:41:59 ID:???

近代化

イヴァン・イリイチの言葉を借りれば、市場は貧困を「近代化」する。それは、資源の貧困を貨幣の貧
困で置き換える。その結果、貧困はもはや測定できないことになる。十分な量の食物を栽培するのにど
のくらいの土地が必要かは、正確に知ることができる。だが、貧しいという主観的な感覚を癒すために
どれくらいの貨幣が必要か、いまだかつて満足のいく判断をした者はいない。人間が生活を維持するた
めに必要とする資源――土地、原料、種子――へのコントロールを維持している限り、人間は貧しくな
い。人間は、戦争、洪水、旱魃といった外的環境の犠牲になるかもしれないが、それは外からコントロ
ールされているグローバルな市場に隷属することとは違う。
 恵まれた人々の機関や代表者たちが「貧困の軽減」と言うとき、彼らは資源のコントロールを人々に
返還することを考えてはいない。彼らは常に貨幣について、「所得を生み出す能力」について、ローン
や小額融資(負債という手段で人々を市場に向けて教育することをしばしば意味する)について語る。
それは人々を、出口のないグローバルシステムの中に組み込む。


56 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 05:49:59 ID:???

 市場はわれわれに、自分たちが何を持っていないかを教える。自立を通して、われわれは自分が必要
としているものを発見する。それは驚くほど少ない。市場経済とその機動力である宣伝広告を通して、
われわれは入手できるかもしれないものを知る。市場は、工業化した人間の拡大しつつある自己意識に
仕えるが、この自己意識は満足というものを機械的に考えることを学んでいる。「手に入れること」「持
っていること」が存在を覆い尽くし、地球の果実の思慮深く節度ある使用を不可能にしている。グロー
バルな市場は、自家製のもの、自分で考え出したもの、身近にある工芸品や伝統的民芸品、地元の産物
の素朴な価値などといったものはすべてがらくただと思うように仕向ける。機械生産の、完全で非の打
ち所のないものが、より高い価値をもつというわけである。大量生産された安物が、地元の原料で作ら
れた品物に取って代わる。プラスティックが竹に取って代わり、セメントがチェタイ(日干しレンガ、
泥)に、タイルが藁に取って代わる。
 市場に現れた新製品は、需要に応えるそれまでのやり方を的外れなものにする。技能、人間の努力や
成果を無意味にする。商品やサービスを、それらを買うことのできる人たちに割り振る上での「能率」
こそ、創造的なものの敵なのである。
 これが、欧米社会のあらゆるコミュニティを、そして南でも多くのコミュニティを牛耳っている大規
模なショッピング・モールが人々を魅了する理由なのであろうか。その国の「発展」の度合いがどれほ
どであろうとも、すべての国で、新しい商品が市場に現れるたびに人々は首をかしげ、以前に購入した
必需品がいつ役立ったかを思い出そうとするのである。


57 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 05:53:12 ID:???

 農民は自分自身の畑で育てた主食の市場価格に憤慨する。都市の貧困者は買い手がないまま店で廃棄
処分される食品に腹を立てる。豊かな社会では、食事の支度が簡単になるにつれ、買ってきた既成食品
を無駄にすることが多くなった。欧米では、古い世代は「自分で楽しみ」、他人をもてなし、互いに楽
しむことを知っていた時代をなつかしく思い出す。彼らの孫はよそよそしい哀れみの表情で彼らを見上
げ、彼らの生活に意味を与えてくれるコンピュータ・ゲームの絶え間ない音楽や、ちらつく画像なしに
生きることなんてできたのだろうかといぶかる。
 これは人々が貪欲で自己中心的になったということではなく、われわれが倹約や抑制を軽んじるよう
なシステムの中で暮らしているということなのである。われわれの生活の仕方は絶え間ない成長と拡大
を制度化している。人間の欲望の果てしなさは経済成長の無限性に利用されている。そして、われわれ
は、貧困が「第三世界」とよばれる場所だけでなく、かつて地上に存在した最も豊かな社会にも存続し
ていることに驚くのである。
 人々がどのような文化的伝統の中で貧困を定義するにせよ、世界中の人々が、貧困を購買力だけで説
明するグローバルな市場へと取り込まれつつある。このプロセスはそれ自身、貧困化の一形態である。
なぜなら、それは、人間の自分自身や他人の必要物への想像力に富んだ対応が過小評価され、不要なも
のとされることを意味するからである。市場は人々に、彼らがお金を持っている限り、市場の考える豊
かさの枠内で、無限の「選択の自由」を提供する。しかし、そうすることによって、市場はより深い自
由を奪うのである。はっきりいえば、われわれの失われた自由の代わりに、一三〇種類のシャンプーの
中から選ぶ権利が与えられるのだ。


58 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 06:04:11 ID:???

判定

貧しい人々が自分たちのニーズを定義するのではなく、貧困の査定は専門家の手で行われてきた。彼ら
は貧困を緩和したいと考え、それを測定し、そのために人々を罰し、むしろ貧困を悪化させている。
 基本的ニーズの単純な評価は簡単に策定できる。これは生きるための有用な指針であるが、このよう
に抽象的な、社会的・文化的に裸の状態で生活している人々はいない。文脈からその部分だけを取り出
したときに、薄っぺらなものに見える原因は、まさにこのニーズの単純さにある。食糧、水、住居、衣
服、医療、教育、社会的・情動的関係、娯楽や余暇、さらには目的や意味の意識、これらは簡単に答え
られるものだが、不思議なことに中身がない。
 貧しい人々の基本的ニーズに応じるためと称して作成されたプログラムは、貧困者のためだけのもの
である。金持ちに、彼らが必要とするかもしれないもののリストを作ることなど、誰も考えはしない。
基本的ニーズの議論に関する問題の多くはここに原因がある。
 文化は有機的に発展する。慣習、伝統や禁忌、儀式や祝祭は変化する。これらは、われわれの存在の
ありのままの事実――われわれが生き、愛し、子供を作り、歳をとり、死ぬということ――を隠したり
飾り立てたりしながら、発展していくのである。頭の中で考えられた、予測可能で単純な運命通りに生
きている人間など存在しない。


59 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 06:11:42 ID:???

 貧しい人々のニーズに応えてあげるということは、非常に恩着せがましい行為である。それは、地震、
洪水といった災害の直後、戦争や内戦時、故郷から追い立てられ、文化的規範や予測の埒外で生きてい
かざるを得ない時等、緊急の場合にだけ正当化されうる。コンゴやアフガニスタンの戦乱を逃れた難民
のテント村、モザンビークやバングラデシュの洪水の後、一時的な避難所で暮らす人々、チェチュニア
やガザで恐怖におののく住民、飢饉からの避難民――こうした状況の下でのみ、「基本的ニーズ」は意
味をもつのである。
 しかし、二一世紀の初頭にあたる現在、われわれは貧富の極端な二極化の中で生きている。それがも
たらすものは日々ますます明らかになりつつある。世界的に治安は悪化し、石油や土地は言うに及ばず、
水のような基本的な物資をめぐって戦争が起こっている。われわれは、地域的な緊急事態ではなく、地
球規模の破滅の危機を生き延びているのである。この事態は、次の疑問に新たな緊急性を与える。われ
われの持続のために何があれば十分なのか。地球上のすべての人間が、富を成すのではなく、尊厳ある
充足を得るために何がなされなければならないのか。現在提供されている、進歩という唯一のモデルは
危機に瀕している。


60 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 06:23:32 ID:???

 この課題は、欧米の経済、社会、文化の基本的な目的が自分たちのための蓄積、増大、成長、拡大に
あるというまさにその理由で、より難しいものになっている。こうした社会は、他人のニーズはともか
くとして、社会の基本的ニーズが満たされているかを測定するのに理想的であるとはいえない。
 もし地球上のすべての人々のニーズが満たされるべきだとしたら、そこには生きるか死ぬかの生活を
送っている人たちだけでなく、高消費社会の人々も含まれなくてはならない。実際、われわれは恵まれ
た人々から始めなくてはならない。なぜなら、世界の人々が生き、死に、充足感を得たり、あるいは堕
落したりするのは、恵まれた人々の規範や価値によっているからである。貧困は「乏しい資源」あるい
は物の不足によってではなく、富によって引き起こされる。あるいは、特定のかたちで、富は不平等で
不公正なグローバル社会を取り込んだのである。
 人間の欲求は経済的必然性と敵対する。これは金持ちにも貧しい人にも言えることである。
 グローバルな経済システムは自立したものとなり、人間の幸福はその作用の偶然的副産物となった。
華々しい富が、世界全体の三分の二の人間の悲惨と共存している。富は貧困に「答える」ようデザイン
されたものではなく、それ自身を無限に再生産していくようにできている。生命の再生産のとてつもな
い模倣である。


61 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 06:30:28 ID:???

他のかたちの貧困

貧困の意味はこれだけでは論じ尽くされない。宗教団体の自由な選択による貧困、禁欲はここには含ま
れない。自由意志による質素な生活、豊かな世界の人々がより慎ましく生活しようという努力――イリ
イチのいう「楽しい耐乏生活」――もここでは無視している。人的、物質的資源をプールして、質素な
生活をするという共同的なコミュニタリアンのグループの貧困観は、土地なし農民や職のないスラム住
民の剥き出しで容赦のない欠乏とは違った種類のものである。
 さらに、豊かな世界での貧困を表現するためにしばしば使われる「剥奪」の重要性を確認することも
できていない。これは非常に正確な表現である。なぜなら、ある人々が「剥奪」されたというのは、彼
らから何かが持ち去られた、与えられないでいるということを意味するからである。言い換えれば、土
地からの追い立て同様、これは人間の媒介を意味する。誰かが誰か他の人間から、まともな生活をする
ために必要なものを奪ったということである。
「剥奪」について語るとき、最初に問われるべき質問は、誰が剥奪を行い、誰がそれによって利益を得
るか、ということである。それは、何を「われわれはしなければならない」かという問題だけではない。
「彼ら」つまり他人の貧困化の受益者が存在するということである。


62 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 06:42:55 ID:???

グローバル化時代の貧困は、資源の欠乏の問題ではなく、豊かな国々による経済のコントロールの帰結
である。いかにしてそれが生じたかについて、豊かな国の歴史家たちはほとんど語ることがなかった。
 グローバリゼーションとは、程度の違いはあれ、すべての国を一つの世界経済システムへと統合する
ことである。それは、植民地主義からの際立った継続性を示している。植民地主義もまた、一六世紀か
ら一九世紀の大国が世界の富と「原材料」を手に入れ、自分たちの製品の市場を開拓することを意図し
たものであった。結果として、ヨーロッパの軍事大国が、それまで貨幣経済を知らなかった人々を支配
し、森や耕地の豊かな資源、鉱物、工芸品や古代文明の優れた装飾品を奪っていった。
 植民地化された領土で共産主義運動や解放運動が起こったことで、一九四五年以降、帝国主義の活動
は抑制された。かつてヨーロッパの帝国に支配されていた国々のほとんどは、独立にあたって社会主義
を選んだ。世界は二つの陣営に分裂し、社会主義モデルと資本主義モデルとの間で、人類の運命をかけ
た戦いが続いた。
 帝国主義は資本主義と同一視されたから、西側陣営は、社会的公正と平等とを約束する社会主義に対
抗して、説得力ある代替物を作り出さなければならなかった。「開発」が生まれたのには、こういう訳
があった。それは、歴史的契機に根ざした、イデオロギー的構成概念だったのである。


63 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 06:47:56 ID:???

 一九四九年一月、米国大統領ハリー・S・トルーマンは宣言した。「われわれは、産業の発達に伴う
科学の進歩を、未開発の地域の向上と成長のために利用できるようにする、新しい計画に着手しなけれ
ばならない」。一つの文章で、トルーマンは、人類の半分以上に後進性という烙印を押した。世界の文
化的豊かさと多様性、昔から続く生活様式は、賞賛に値するどころか、問題のあるものとして、欧米に
よる救済計画の対象とされたのである。
「開発」は、このように、冷戦が始まった時に策定された戦略であった。共産主義との戦い(朝鮮とベ
トナムでは現実に戦闘が行われた)は、一九九〇年にソ連が崩壊するまで続いた。時がたつにつれ、
「開発」は、社会主義諸国の耐乏生活と対比して、西側の豊かさをこれ見よがしに誇示するものとなっ
た。
 バングラデシュの経済学者アニスル・ラーマンは、早くからこのことを認識していた。「ボルシェビ
キ革命が第三世界で社会革命をよび起こす脅威への対抗措置として、発展途上国が『先進国』に追いつ
くのを手助けするという『開発』の約束がなされた。開発はもっぱら経済開発として規定され、社会の
進歩・成熟はその生産のレベルで測られるものとされた」。


64 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 06:52:45 ID:???

「開発・発展」は有機的成長、開花、成熟という、人間だけでなく自然全体のプロセスを想起させる。
アジアやアフリカの「新」国家の誕生は、そういうプロセスとして捉えられている。そこにはまた、
「発展途上」国は子供であり、かつて「本国」とされていた国々のように成長する運命にあるという考
えがこっそりと持ち込まれている。こうして、植民地時代に奪取した国々に対する欧米の態度には、人
種差別主義が幅を利かせているのである。「新興」国という概念は、これらの国が興るまでは大昔から
何もなかったという感覚、つまり暗黒、無知、胎内といったイメージを強めるものである。「開発・発
展」を「成長」と結びつけることは、それを不断の経済拡大と同一視することを容易にする。
 富の創造は、欧米モデルの中心に位置していた。多くを生産できるシステムが貧困を苦もなく根絶す
るのは明白のように思われた。財貨の蓄積は、他の現実を覆い隠した。たとえば、世界で最も豊かな社
会は次第に犯罪、暴力、中毒、社会的崩壊、精神障害などによって傷ついてきているという現実である。
つまり、豊かさの真の代価は、明示的価格には表示されないということである。
 第三世界の指導者の多くは、かつての帝国主義者たちが本当に改心したかどうか疑っている。彼らは
変わろうとしているが、基本的な開発のパラダイムに疑問を呈することはない。彼らは、そこの人々の
能力に基づいた「人間開発」、「在来的開発」、「参加型開発」といったものを考え出した。最新の形は
「持続可能な開発」であるが、これは欧米による再植民地化であり、今では金持ちがうまく言い逃れで
きるあらゆることを意味している。その後、「ポスト開発」が現れたが、これはわれわれがすでに楽し
い余生を送っていることを示唆している。


65 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 07:01:52 ID:???

 開発は社会主義というライバルに対抗して考えられたため、それが約束するものは大部分が空想の領
域に属していた。貧しい人々は疑いの目でそれを見た。彼らの関心は空腹を満たすこと、モンスーンの
雨をしのぐ住まいやきれいな水、保健医療を手に入れること、次の世代が安全に子供時代を送れること
にあった。
 もう一つの道つまり共産主義の存在が、世界を半世紀にわたって身動きの取れない状態に置いてきた。
しかし、その後のソ連の崩壊は、「開発」がライバルを打ち負かしたという意味をもっただけではない。
それはまた、西側が広めてきた開発の幻想を問いただすことになった。対立の最中に行われた約束を、
世界が検証する時が来たのだ。その約束は実現可能だったのか? 欧米は約束を実行できたのか?
 欧米のやり方での富の創造に利点があるのは確かだが、それは人類の大多数にとって手の届かないと
ころにある。世界中で、人々は平和と豊かさの黄金の国を求めて国を後にする。南のあらゆる国から、
教育を受けた人間たちが、ジェッダ(サウジアラビア)やアブダビ(アラブ首長国連邦)の雑役夫や家
政婦として、アジア中の経済先進地域の工場労働者として、ヨーロッパや北アメリカのハブ・ア・ナイ
ス・デイ文化*の中でファストフードショップの店員として働こうと、列をなしている。中には、水漏れ
する船で北ヨーロッパへ渡った後、凍りつく冬の夜明けにジャガイモやビートの収穫をしている者や、
冷蔵コンテナや息もできないトラックに詰め込まれ、過酷な労働が待ち受ける目的地に達する前に命を
落とす者もいる。
 約束された幸福は待っていてもやってこないと考える人間が、ますます増えている。途方もなく大量
に物が集まっている場所に出かけて行って、探すしかないというのである。


66 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 07:06:24 ID:???

 現代の大規模な移民は、グローバリゼーションと進歩の約束への反応である。希望を求めるキャラバ
ンは、世界を渡って繁栄への道を進んでいるのだろうか。それとも、貧困化への道をたどっているだけ
なのだろうか。経済移民は、グローバリゼーションのせいで穴だらけになった防壁を通り抜けようとす
る抜け目のない人間あるいは便乗者とみなされ、厳しい禁止措置がとられている。かつて社会主義の疑
わしい魅力に誘惑されるのを防ぐための、よりよい生活の約束におびき出された人々が、いまでは有刺
鉄線と「立ち入り禁止」の札に行く手を阻まれ、グローバルな移動性という大通りは封鎖されて、角ご
とに武装衛兵が立っている。
 イデオロギー上のライバルの著しい欠陥のせいで表面化しないでいた資本主義モデルの不備が、今や
明らかになってきている。西側が世界と共有しているのは、その富ではなく、富を創造する力にまつわ
る謎である。彼らが発するメッセージは、ある部分が削除されている。それは最も重要な部分、つまり、
西側が豊かになったのは、いま西側の足跡を追うよう勧告されているまさにその地域からの搾取による
ということなのである。実に、「開発」の最大の秘密は、それが植民地主義的概念であり、搾取のプロ
ジェクトだということである。ほとんどの国は、富を搾り出す植民地を持っていないから、自分の国の
国民や環境に、耐えがたいほどの圧力を掛けなくてはならない。少数者の権利は踏みにじられ、森で生
活する人々や自給自作農の資源基盤は外貨獲得のために略奪され、貧しい人々の労働は最安値で売られ、
部族や先住民の先祖伝来の土地に植民者が入ってくると、「過剰人口」は移動させられる。


67 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 07:13:57 ID:???

 限界のある世界での無限の経済的拡大のシステム、これが開発のイデオロギーである。それが実現可
能でないのは、社会主義の統制によって阻害されていた頃も現在も同じである。
 市場文化はおそらく、その宝を略奪された人々のところにまで広がっていくだろう。その場合、文化
は伝播の過程で変化する。貧しい人々が期待できるのは貧困からの救済ではなく消費主義であり、安全
ではなく経済成長であり、安全な水ではなくコカ・コーラ、適切な栄養の代わりにジャンクフード、教育
の代わりに商業主義的な知識、古くからの文化の代用品として巨大娯楽企業の製品が届けられるだろう。
 社会主義の魅力に代わるものとして、過去の時代に考え出されたこの種の「開発」に彼らがあとどの
くらい我慢できるだろうか。この問題は、屈辱を受けた者、排除された者たちの一部によって、すでに
答が出されつつある。

訳注:ファストフードショップで店員が買物客に対し、カウンターごしに「よい一日を」と声を掛けることに
象徴される、偽りの親しみと意味のない社交辞令で成り立っている文化。


68 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 07:37:13 ID:???

開発を制度化する

不公正な開発は制度化されている。その制度は、グローバリゼーションを「管理」するメカニズムの中
にある。そこには国際通貨基金(IMF)、世界銀行、アジア開発銀行、世界貿易機関、多国籍企業、
富裕国の政府が含まれる。これらが、「自由」市場という偽りの教義を説いているのである。
 経済領域での「自由」とは、何であれ世界の金持ちたちに有利になることを示す符号である。自由貿
易は、自由などではない。南の貧しい農民は、EUやアメリカと競争することはできない。欧米の政府
は自国の食糧生産者に莫大な補助金を支払っているのである。同様に、「自由市場」というのも神話で
ある。ボタン一押しで、貨幣が世界中を自由に移動する。一部の商品も、割当量や関税の条件化ではあ
るが、自由に移動する。しかし、人間(あるいは経済計算の上では「労働」)は厳しい制限を受ける。
「経済移民」をめぐるヨーロッパのパニックが示している通りである。
 IMFと世界銀行は、第二次世界大戦の終わり頃、戦争によって荒廃したヨーロッパの再建を援助す
るために設立された。これら二つの機関は、経済危機を回避し、為替レートを安定させるために、無条
件の融資を行った。これらの機関の成長は驚異的だった。一九六〇年代には南の国々のインフラ整備や
開発プロジェクトに資金を提供し、一九七〇年代には石油価格上昇によって生みだされた資本を再循環
させるための代理人となった。これらは南の国々に融資を行ったが、それが累積債務危機を生み出した。
IMFは構造調整プログラムを携えて南の国々に介入したが、それはこれらの国々に対し、負債を「償
還」するためにより多く輸出するよう圧力をかけるものだった。それが貧困を増大させることを意味し
たとしても、である。


69 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 07:43:31 ID:???

―重債務貧困国(HIPC)イニシアティブ

一九九六年、HIPCは最貧国の債務を持続可能なレベルまで削減する計画に着手した。ジュビリー
二〇〇〇による大規模なキャンペーンの結果、一九九九年のケルンG7サミットで、HIPCは一〇
〇〇億ドルの債務救済の約束を得た。
 これは、ジュビリー二〇〇〇が必要と考えていた額のわずか三分の一に過ぎない。供与国のすべて
が約束を守ったわけではないし、債務の「持続可能」なレベルにはまだ達していない。二九億ドルの
債務を負うマラウィは九億五千万ドルの救済資格を得たが、残りの債務もこの国の返済能力を超えて
いる。飢餓とHIV・エイズの両方の危機を経験しながらも、マラウィは主に富裕国やIMF、世界
銀行に対し、年六六〇〇万ドル支払うことを要求されているのである。
                      (Jubilee Research, www.jubilee2000uk.org.)


70 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 07:49:06 ID:???

 負債は支配の主要な手段である。欧米の人々の借金は、彼らの生活を縛っている。大学を卒業すると
き、学生はすでに受けた教育に対して何千ドルもの借金を負っている。人々は自分の家を、二五年後の
住宅ローン完済日をもって「所有」することになるだろう。クレジットで買う品物から、将来受け取る
はずの年金まで、すべてのものが個人をグローバルな金融システムへと結びつけている。国全体をグロ
ーバルな秩序に帰属させる債務は、個人の借金と比べてどれほど強力であろうか。逃げ場はないのだ。
 一九八〇年代の新自由主義イデオロギー(ワシントン・コンセンサス)の下で、IMFはあらゆる国
をグローバル経済へと統合する執行者となった。債務への回答はさらなる貸付と新たな「融資条件」で
あった。その条件とは、経済の自由化、国内市場の競争への開放、規制緩和、通貨の切下げ(競争力を
増強するため)、政府支出の削減(兵器は、主に先進工業諸国から購入されるため、削減から除外され
た)であった。支出を削減されたのは保健医療、教育、栄養、福祉サービスの分野が圧倒的であり、そ
れはすでに貧しい人々をますます貧しくした。債務国はさらに、債務を「履行」する資金を「稼ぐ」た
めに、輸出を増やすことを強いられた。コーヒー、砂糖、ココアなどの一次産品、衣料品、靴、玩具な
どの製品の輸出では、競争が激しく、価格は継続的に下落している。したがって、同じ額を稼ぐために
は、より多くを輸出しなければならないのである。


71 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 07:56:59 ID:???

 ジュビリー二〇〇〇は、最貧国の債務を帳消しにするよう、G7や金融機関に対し、世界的なキャン
ペーンを行った。二四〇〇万人という、かつてない数の人々が請願書に署名した。二〇〇〇年一二月に
キャンペーンが終わったときには、債務の帳消しは、力を持つ者たちのレトリックには適合しないこと
が明らかとなった。ジュビリー債務キャンペーンはジュビリー二〇〇〇を引き継ぎ、意思決定者たちに、
債務帳消しと貧困削減への圧力を掛け続けている。この運動は世界中の国々に拠点をもっている。
 同一のプログラムが、IMFによってすべての国に強制され、債務と依存性とを増大させている。こ
れと並行して、関税と貿易に関する一般協定の交渉を制度化したものとして、一九九六年に世界貿易機
関(WTO)が設立された。これは、非常に歪められたかたちの「自由貿易」がグローバルに行われる
ための、ルールに基づいたシステムを作ろうとしたものである。貧しい国々は豊かな国々に対し、農産
物や工業製品だけでなく、サービス部門も、そしてまた、金融や銀行だけでなく、電気、水や動力、通
信やメディア複合企業の「文化的生産物」にいたるまで、市場を開放しなければならなくなる。


72 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 08:06:26 ID:???

「自由」貿易の帰結

貧しい国々を貧しいままにしておくメカニズムへの批判に対し、金融機関の行動は変わらなかったが、
その説明はくるくる変わった。世界銀行は、インドネシアの移住計画、ブラジルのペルナムブコ・ダム
など、地域の人々に損害を与えるプロジェクトへの支援を非難されると、その度に反省を示し、改善を
約束した。環境保護がお望みですか? それは私たちの優先事項です。男女の平等ですか? 私たちは
ちょうどそれを提案しようとしていたところです。参加型の開発ですか? のどまで出かかっていたん
です。グッドガバナンスがお望みですか? それは私たちの最も緊急な懸案事項です、という具合であ
る。そして今、最新流行のスローガンとなっているのは貧困削減である。
 IMFも同様に、世界各地の住民の抗議行動に耳を傾け、それらから学んできたと主張している。し
かし、今なお、IMFの矛盾した処方箋のせいで人口の半数が貧困に陥ったアルゼンチンでの大失敗を
招いたのと同じ条件や、背負いきれない負担を課している。
 構造調整プログラムは賃金の低下と物価の上昇を招くことで、生活水準を低下させ、貧困を増大させ
たため、多くの国で暴動を引き起こしてきた。そうなると、資本は逃避し、国の経済の健全さは自分た
ちの生活状態の悪化に依存しているのだということを理解できない恩知らずの人々の土地を見捨てる。
これが一九九八年のアジア危機で、さらにロシアやメキシコで起こったことである。これに関して、金
融機関は、腐敗した政府、縁故主義、癒着を非難している。金融機関の助言を受け入れさせられたエリ
ートに、自国の人民を裏切った罪を押し付けたのである。


73 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:03:31 ID:???

―ハイチの米作農たち

フィリペ・ミシェルは、ハイチのアーティボニート谷にある精米所で働いている。そこは、貧しい農
民たちが米を市場に運ぶ前に精米できるようにと建てられたものである。だが、首都ポルトープラン
スの市場に安い輸入米が溢れるようになると、バイヤーはハイチ米を求めてわざわざアーティボニー
トまで足を運ばなくなった。
 何十年もの間、米はアーティボニートの何万人もの農民の生活手段、収入源であった。今では、こ
の谷の農民は土地を売って、外へ出て行く。ポルトープランスのスラムへ、仕事を求めてドミニカ共
和国へ、あるいは命がけで米国へ不法入国しようとする。フィリペの友人といとこは、そうやって命
を落とした。
 アーティボニートの運命を変えたのは何か。それはもちろん、貿易のルールである。
 歴代のハイチ政府は、輸入食品に対する規制の解除を余儀なくされた。それは、安価な輸入米の氾
濫を招いたが、輸入米の多くは米国からであった。米国では農業耕作者が年間五〇億ドルにのぼる助
成を受けている。
 ハイチの農民は、全く太刀打ちできない。彼らへの助成はWTOによって上限を定められているの
である。
 アーティボニートの農民フェノル・レオンは言う。「安い米の輸入から保護されない限り、俺たち
に将来はない。みんな、もうおしまいだ」。
「世界開発運動」のキャンペーンの責任者ビバリー・ダックワースは言う。「国際貿易のルールは、
各国が食糧安全保障を推進し、不公正に助成された食糧の輸入から貧しい農民を保護することを認め
なければならない」。
                         (World Development Movement, 2002.)


74 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:05:55 ID:???

「世界開発運動」は、世界各地で起こった住民の抗議行動に関する年次報告書を出版している。二〇〇
一年の報告書には、二三の貧困国で行われた政府の経済政策への抗議行動と、何百万人もが関与した七
七件の市民の騒乱事件が記載されている。これらのうち一八件では、機動隊や軍隊が出動し、七六人が
死亡したと報告されている。逮捕者、負傷者は何千人にものぼる。これらの国々の三分の一以上で、I
MFと世界銀行を名指しした抗議行動が起こっている。


75 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:10:03 ID:???

競争

多国籍企業の投資を呼び込もうとする各国間の競争は、国民の労働のせり下げ競売を生んでいる。例え
ば、欧米のショッピング・モールで売られている衣類は、自由貿易地域に続々と出現した工場で縫製さ
れているが、それらの地域では労働法は停止され、人権は踏みにじられている。子供や女性が秘かに労
働搾取工場で働かされ、兵士や警察が立ち入り検査からこれらの工場を守っている。
 一九九三年、ハーキン法案の下で、合衆国は、児童労働によって作られたバングラデシュからの衣料
品の輸入を停止すると圧力をかけた。これが合衆国の利他主義なのか、それとも一種の保護貿易主義な
のかは別問題である。それは、確かに効果があった。数ヵ月のうちに、少なくとも一時的には、工場か
ら子供の姿が消えた。私は一九九〇年代末にダッカの工場を訪問したとき、ちょうど子供たちがトイレ
に閉じ込められるところをこの目で見た。
 第一次産品は今でも最貧国の主要な輸出品である。「先進」諸国は高加工製品を輸出し、第一次産品
を輸入するのに対し、最貧国は付加価値商品を豊かな国から輸入する。木材、砂糖、コーヒーを輸出し
て得た外貨は絶えず価値を低下させているので、貧しい生産者は常に不利益をこうむっている。


76 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:14:45 ID:???

―貿易条件

一九六四年にフランスの著述家ルネ・デュモンは言った。
「貿易条件はすでに悪化している。一九五五年から一九五九年の間に、輸出価格は一五パーセント下
落した。それは熱帯アフリカに六億ドルの損害をもたらしたが、この額は外国からの年間援助額の二
倍にあたる。熱帯アフリカが輸出に頼る方向性を維持するなら、コーヒー市場の崩壊は、近い将来、
ココア、サイザル麻、バナナ市場へと広がり、そして綿、ピーナッツ、紅茶、その他多くの生産物の
市場にも起こることは疑いない」。


77 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:17:46 ID:???

 二〇〇二年、グアテマラからの報告はつぎのように述べている。
「たった二年間で、中央アメリカはコーヒー輸出による収入を十五億ドル以上失った。この地域の政
府、コーヒー生産農民、摘み取り作業員は収入や仕事口を激減させたのに対し、コーヒー豆の最終販
売にかかわる多国籍の大企業は、価格の低下のおかげもあり、収益を増加させた。
 八年もしないうちに、世界のコーヒー価格は七四パーセント下落し、焙煎前のコーヒー一ポンド当
たり一・八二ドルだったのが〇・四七ドルになった。二〇〇二年五月の国際コーヒー機関の会合では、
『現在の価格は記憶されている限りで最悪』であり、生産者の乏しい収入は『爆発的な』社会的・政
治的影響を生むかもしれないとの懸念が表明された。
 中央アメリカの生産者の一部は、違法作物の生産に転換したと報告されている。メキシコの生産者
は農場を放棄し、これがさらなる移民への圧力を生み出している。グアテマラでは、国際移住機関の
調査に対し、コーヒー部門でインタビューをうけた労働者の七〇パーセントが、この危機の結果、合
衆国への移民を考えていると答えた。
 プロクター・アンド・ギャンブル、フィリップ・モリス、サラ・リー、ネスレは、合わせて合衆国
のコーヒー市場の六〇パーセント、世界市場の四〇パーセントを支配しているが、これらの企業は損
失を出していない。二〇〇〇年に、コーヒーの世界での売上は五五〇億ドルに達した。このうち、コ
ーヒー豆生産国の手に渡ったのは八〇億ドル、世界での売上の十四・四パーセントである。
 中央アメリカのコーヒー生産者の八五パーセントは、零細あるいは小規模生産者に分類され、コー
ヒー専用の土地の二七パーセントを使用して、生産高の四分の一を生み出している。最大のプランテ
ーションは総生産者の一パーセントが所有し、この地域のコーヒーの三七パーセントを生産してい
る」。
              (Rene Dumont, False Start in Africa, Andre Deutsch, 1964.)
                   (Central America Report, Guatemala, June 2002.)

78 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:24:18 ID:???

 貧困削減への国際的取組みにもかかわらず、グローバル経済は、公的機関の不透明な活動のせいもあ
って、逆の効果を生み出している。これが、現在行われている開発のイデオロギーなのである。
 ときに、これが偶然などではないことが世界に対して明らかにされる。世界銀行のチーフエコノミス
ト、ローレンス・サマーズの手になる悪名高い覚書は、経済問題を担当する人間たちのものの見方、つ
まり彼らが人間の福利よりも経済を優先することを露わにした。彼はこう述べている。
「ここだけの話だが、世界銀行は、汚い産業を低開発国にもっと移すことを奨励すべきではないだろう
か。……有害廃棄物を低賃金の国に捨てることを促す経済的論理は申し分ないものであり、われわれは
それを認めるべきである。……アフリカの低開発諸国は、非常に汚染度が低い。大気は、ロサンジェル
スやメキシコシティと比べれば、非効率なくらい汚染されていない。一〇〇万分の一の確立で前立腺ガ
ンを引き起こす因子に対する配慮は、五歳未満の死亡率が一〇〇〇人中二〇〇人の国よりは、前立腺ガ
ンになるまで人々が生きている国のほうがずっと高くなるのは当然だろう」。
 この考え方を示す最近の例としては、アフリカでのエイズの蔓延に対する合衆国政府の対応がある。
ファイザー、ブリストル・マイヤーズ・スクイッブ、アボット・ラボラトリーズ、メルクといった製薬
会社はエイズの進行を抑制する抗レトロウィルス薬を生産しているが、これらの会社はジョージ・ブッ
シュの二〇〇〇年大統領選キャンペーンの大規模寄付者だった。二〇〇一年十一月にドーハで開かれた
WTOの会議で、最貧国は公衆衛生のために、より安価な薬品の購入を許されるという合意がみられた。

79 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:25:20 ID:???

 ブッシュ政権は、抗エイズ薬の廉価版を作っている国に対し、「知的所有権」を守るための厳格な特
許法を遵守するよう圧力をかけている。政権はエイズの軽減のために一五〇億ドルを寄付する一方で、
はるかに安価なジェネリック薬品の生産国に対し、主要な多国籍企業の製品を下回る価格でアフリカに
輸出した場合には経済制裁を科すと脅している。グラクソ・スミスクラインのCEOであるジャン=ピ
エール・ガーニエは言う。「これは経済戦争だ。特許制度を揺るがそうとする二つの海賊会社がある。
……彼らはわれわれの発見を盗用することで成功しようとしているのだ」。
 エイズの蔓延と時を同じくしてアフリカ諸国の保健の予算を削減している構造調整は、多くの人々の
生命そのものを調整しているのである。

80 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:27:55 ID:???

 南の国々への約束は、「われわれ」が示す道に従うなら、「われわれのようになる」だろうというもの
である。しかし、彼らに示された道は、欧米がたどった道とは大きく異なっている。
 一例を挙げるなら、欧米の工業化時代初期の経済的・社会的暴力に対する民衆の闘いは、組織的抵抗
となり、労働運動、労働組合運動、社会主義政党へとつながった。これが政府に、自由市場による損害
への保護策を取らせることになり、それは福祉国家として制度化された。IMFと世界銀行は貧しい
人々への「セーフティ・ネット」を口にするが、政府支出の削減は、まさに彼らが提供するはずだった
セーフティ・ネットを直撃するのである。
 G7(最富裕国)のためのルールと、南の国々のためのルールとは別である。G7は今、開放経済と
自由化、さらに「グッドガバナンス」と「透明性」を説く。だが、欧米が富裕国へと成長した時点では、
これらのうちどれ一つとして明確には存在していなかった。イギリスの工業化は民主主義を欠いていた。
それは帝国から吸い上げられた富の上に建設されたのであり、自由貿易の主張など、かけらもなかった。
一九四五年以降、日本は強力な工業国となったが、それは成長しつつある産業基盤に対する政府の保護
のおかげだった。


81 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:30:38 ID:???

 ほとんどの欧米諸国は、最も脆弱な層に対する基本的な福祉、高齢者への医療、長期療養者や障害者
への支援、そして景気変動や経済構造の変化による失業者への援助を提供している。
 だが、南の国々は、こうした保護策なしに発展することを期待されている。政府よりも強力な機関、
あるいは自らが投資している国よりも売上高が多いような多国籍企業に対して国を開放するよう指示さ
れている。二〇〇〇年に政策調査研究所が発表したところでは、世界の経済主体上位一〇〇のうち、五
一が企業で、四九が国家だった。上位二二の主体は国家であるが、トルコはゼネラル・モーターズをほ
んの少し上回っているにすぎない。デンマークの下にはウォルマート、エクソン・モービル、フォード、
ダイムラー・クライスラーが続いている。インドネシアとギリシアは三井、三菱、トヨタ、ゼネラル・
エレクトリック、伊藤忠、ロイヤル・ダッチ・シェルの少し上であるが、これらは ベネズエラ、イラ
ン、イスラエルよりも上である。


82 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:37:07 ID:???

―間違い

二〇〇二年、世界銀行の前チーフエコノミスト、ジョセフ・スティグリッツは、世界銀行の役割と、
とりわけIMFとWTOの役割について、懺悔的な批判書を出版した。IMFが推進したプログラム
について、彼はこう書いている。「誤った(原文のまま)経済理論が適用されたとしても、もしも最
初に植民地主義が崩壊し、続いて共産主義が崩壊したとき、IMFと世界銀行に対し、本来の責務を
大きく拡張し、影響力を広く拡大する機会を与えなければ、これほどの問題にはならなかっただろう。
今日、これらの機関は、世界経済に大きな支配力を持っている。これらの機関に援助を求める国だけ
でなく、国際金融市場に有利な形で参入するために彼らの『お墨付き』を求める国々も、これら機関
の経済的処方箋に従わなくてはならない。それは彼らの自由市場至上主義イデオロギーと理論を反映
したものである。その結果は、多くの人々の貧困化と、多くの国々の社会的・政治的混乱である。I
MFは、関与したすべての領域で間違いを犯した。開発、危機管理、そして旧共産主義国の資本主義
へ移行などにおいて」。
         (Joseph stiglitz, Globalization and its Discontents, Allen Lane, 2002.)


83 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:39:24 ID:???

 民主主義もまた、IMFと世界銀行の行動によって損なわれている。南の諸政府が「安定」と引き換
えに支払った代価は、人々の福祉を犠牲にして外国人投資家や金融市場に優先順位をおくことであった。
実際、これは南の国の政府にとって、「政権維持」の前提条件だった。欧米モデルに従うことを拒絶し
たキューバのような国は、破壊活動と絶え間ないプロパガンダの対象となった。欧米の指導者が与える
「助言」を受け入れることが、南の国のエリートたちにとっては、より安易な道だったのだ。
 いずれにしても、支配階級の利害は、どこの国でも一致する。公共資産の民営化で彼らは資産を増や
し、医療を受けるために外国へ行く(自国の医療制度はうまく機能していないため)ことや、子弟を合
衆国やヨーロッパへ留学させる(自国の教育制度は放置され、がたがたである)こと、カリフォルニア
やロンドンに不動産を所有する(恩知らずの選挙民たちによって、亡命に追い込まれた場合のことを考
えて)ことができるようになる。
 世界銀行とIMFは、世界で最も富裕な国々の政府によってコントロールされている。G7は合わせ
て、役員の投票権の四〇パーセントを持っている。合衆国は世界銀行で投票権の一六・四五パーセント
を、IMFでは一七パーセントを持っている。最重要決定では八五パーセントの賛成が必要だから、合
衆国は事実上、拒否権を持っているのである。


84 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:44:48 ID:???

 ブレトン・ウッズ・プロジェクト(IMFと世界銀行の改革のために特別に立ち上げられた組織)は、
世界銀行の内部報告――〔ウィリアム・イースタリーが書いた〕『IMFと世界銀行のプログラムの貧
困への効果』――が、貧困者は構造調整がなければ、生活が楽になるという結論を出したことを明らか
にした。報告は、「貧困者は構造調整プログラムによって創造された機会を活用するのに好ましい状態
にないかもしれない」と述べている。つまり、責任は無学で技能のない貧困者自身にある、ということ
を示唆しているのである。


85 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:49:34 ID:???

治療者

二〇〇〇年にニューヨークで開かれた国連ミレニアム・サミットで、一四九の国家元首、EU、IMF、
世界銀行の代表たちは、世界中の極貧状態で暮らす人々を二〇一五年までに半減させることを決議した。
極貧とは一日一ドル未満で生活する人々を指す。この目標は二〇〇二年九月ヨハネスブルグで開かれた
持続可能な開発サミットでも繰り返された。このサミットでは、企業や法人が貧しい人々に配慮するこ
とも、明確に宣言された。
 二〇〇〇年十二月、英国政府は「白書」を発表し、「貧困が制度的に削減され、国際的な開発目標が
実現されるよう、グローバリゼーションを管理する」ことに取り組むと約束した。
 この文書は敬虔さと決まり文句とを混ぜ合せたものである。その目的は、ミレニアム・サミットと
同様、貧しい人々のニーズの定義を貧しい人々自身の手からもぎ取って、豊かな者たちの利害に資する
ように再公式化する事にあった。
 ブレトン・ウッズ体制の諸機関が追い立ての道具と化したことはすでに述べた。彼らの政策が過去六
〇年にわたった不平等を助長してきたことを考えるならば、彼らが今、貧困の治療者だと宣伝されてい
るのは奇妙なことである。この宣伝が真実だというなら、銀行家は今や貧しい人々への愛に圧倒され、
金貸したちは彼らの犠牲者に対して大いなる優しさを示すようになった、といっても誰も驚かないだろ
う。


86 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:52:07 ID:???

 白書によれば、グローバリゼーションを管理するための戦略は、「公平で環境的に持続可能な経済成
長を促進する」というものである。この二一文字には、過去半世紀の開発に関するすべての議論のあら
ゆる矛盾が詰め込まれている。
 再分配なしの富の創造は不平等を増大させる。富が増大すれば、「貧困線」は上昇する。二〇一五年
までに、現在一ドルで入手できる品物やサービスが、二ドルあるいは三ドルかかるようになっているか
もしれない。一日一ドル未満で生活する人間の数は半減するかもしれないが、それは彼らの暮らしがど
れほど良くなったかを示しはしないし、実際のところ、生活がよくなったといえるのかどうかわからな
い。
 白書は、貧困を悪化させる多くの要素も認めている。「戦争や紛争、難民の移動、人権の侵害、国際
犯罪、テロリズム、麻薬取引、流行病、環境悪化」である。
 これらの問題が富によって引き起こされる、あるいは悪化させられるという点を指摘しておかなけれ
ばならない。アフリカでダイヤモンドをめぐって戦われた戦争は、アフリカの農民がこの輝く石の優美
な外観に魅せられたために起こったのではない。


87 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:54:46 ID:???

 ダム、道路、産業基盤、空港、アグリビジネス、土地の強奪、立ち退き、借金によって追い立てられ
た難民は、世界の豊かな人々の強欲の犠牲者なのである。
 国際犯罪は、一大産業である。エンロン、グローバル・クロッシング、ワールドコムなど、多くの企
業の犯罪性が二〇〇二年に顕在化したが、大企業が国際犯罪を増加させているという事実は、明らかに
これとは別の問題である。
 木材会社、鉱業複合企業体、工業化された漁業、化学的農業による環境悪化は言及されていないが、
これらは、生物圏の片隅で燃料や食糧、飼料を手に入れざるを得ない貧しい人々よりも、暴力的に地球
環境を悪化させている。
 人権は欧米ではとりわけ重視されているが、経済的権利は認められていない。人権とは、政治的抑圧、
圧制、権利の乱用からの自由を意味するが、経済的抑圧、圧制、権利の乱用は、グローバリゼーション
の構造そのものに組み込まれているのである。


88 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 10:59:07 ID:???

―世界人権宣言にもかかわらず、これらは人権には含まれない

・食べること――豊かな穀倉地帯であるインドのラジャスタンにおける二〇〇二年の餓死者が明確に
 示している。
・きれいな水へのアクセス――世界の水供給の民営化が示唆している。
・寒さから守られること――モスクワの路上の死体が証明してくれるだろう。
・避難所を期待すること――ムンバイの路上生活者が証明している。彼らは通行人の目の前で眠り、
 食べ、排泄している。
・医療を期待すること――マラウィや南アフリカのエイズの犠牲者達が示している。
・教育を受けること――世界中の農場、工場、一般家庭で働く児童労働者が明らかにしている。


89 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:00:52 ID:???

 多国籍企業がいまや世界の生産高の三分の一、貿易の三分の二(その三分の一は企業同士の間で行わ
れている)を占めていることを認めた後で、白書は述べる。「懸命に管理されれば、新たな富は、貧し
い人々を貧困から引き上げる機会を創造する。だが、それは政府、国際機関、民間企業、市民社会の政
策選択にかかっている」。
 白書が描く世界では、富はきれいなものである。それは環境を汚さないテクノロジーを使用する。貧
しい人々が環境を傷つける。持続可能な開発とは、われわれが地球に戻せる以上のものを地球から引き
出さないことではなく、「われわれ」がそれによって豊かになった開発モデルを貧しい人々に提供する
ことを意味する。だが、バングラデシュのテレコミュニケーション産業やインドネシアの電力会社は、
合衆国や日本の資産を受け継ぐわけではない。インドの兵器がヨーロッパの市場に溢れることはないし、
フィリピンのファストフードがマクドナルドやケンタッキー・フライドチキンを追い出すこともない。
「ルールがないところでは、豊かで権力を持った者が、貧しく力のないものをいじめる」と英国政府は
言う。しかし、ルールが豊かで権力を持った者たちのものだったら、制度的取り決めは現状を維持する
ために必要なことを決めていくだろう。「貧しい国々は、より平等な立場で自分たちが利益を追求でき
るような、効果的で開かれた、責任あるグローバルな機関を必要としている」。この特徴は一つとして、
欧米によって設置された機関であるIMFと世界銀行にはあてはまらない。欧米の政府が最も残忍な専
制に対し、日常的に物質的援助を与え、安定させていながら――サダム・フセインはいうまでもなく、
モブツやイディ・アミン、スハルト、マルコス、ジアウル・ハク、ストロエスネルを支持していなかっ
たか?――、他の国にグッドガバナンスを呼びかけ、腐敗に反対するキャンペーンを張るのは少しばか
り偽善的だと思われても仕方ないだろう。

90 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:03:32 ID:???

金持ちの優しさ

貧しい人々へのケアが、彼らを貧困化させてきた機関の手に委ねられたとき、結果がどうなるかは予測
できる。
 建前の政治に歩調を合わせて、IMFはかつての構造調整プログラムを貧困削減・成長ファシリティ
と改名し、その政策枠組書を貧困削減戦略書と名付けた。これにより、その作業は邪魔されないで続け
られることになった。諸政府は同じ政策に署名し、現地で貧しい人々に対応する者たちに、監督権を正
式に委譲した。
 非人格的で「自由」な経済力を用いることで、貧困に対する闘いは、貧しい人たちに対する闘いとな
った。好まれたやり方は、貧しい人たちは姿を消さなくてはならないという、豊かな世界でよく使われ
てきたものである。南の国々でこれを行う最も単純な方法は、立ち退きである。自分たちが占拠してい
た土地から、自分たちが作り上げた脆弱な居住地から、生きていくための不安定な生活手段から、貧し
い人々は追い立てられている。
 貧しい人々に対する闘いは、「進歩」という言葉で飾り立てられている。近代化、街の「美化」、景観
の改善、より効率的な農法、そしてなによりもまず「開発」である。ときには、「目障りなもの」を取
り除くために立ち退きが執行される。とりわけ、サミット、スポーツの競技会、ワールドカップなど、
重要な国際的イベントが開催される場合にこうしたことが行われる。貧しい人々は国の「イメージを傷
つける」というわけである。いかに現実が傷だらけで、汚れ、腐敗したものであっても、イメージを傷
つけることだけは避けなければならないのである。


91 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:05:45 ID:???

―信号

二〇〇二年九月、デリーの交通局は運転者に対し、信号のところで物乞いに金品を与えることを禁止
する通知を出した。これら「物乞い」の多くは孤児や捨て子である。この通知は交通の流れを良くし、
貧困という汚点を運転者の目から覆い隠そうとするものである。慈悲心に誘惑された運転者は一〇〇
ルピー、再犯者は三〇〇ルピーの罰金を払わなければならない。政府は一挙に、人間の善意を犯罪に
すると同時に、信号のところで雑誌やチューインガム、おもちゃを売る若者を売春、麻薬の密売、窃
盗という犯罪へと追い込む。子供たちはすでに警察によるゆすり、殴打、性的虐待を受けている。

 デリーの市内で、立ち退きは年中行われている。人々は、何の設備もなく、雇用の機会もない、市境
の外の荒れた土地に移される。彼らは七〇〇〇ルピー(約一五〇ドル)の移転費を請求されるが、この
こともまた姿を消す者を増やしている。都会の荒地に遺棄された人たちは、家政婦、力車引き、リサイ
クル、野菜売りなど、自分たちにできる仕事を求めて、再び市の中心部に戻ってくる。彼らは二時間早
く、朝の四時か五時に起きて、片道一〇ルピーのバス代を払う。これが労働時間を長くし、賃金の三分
の一を削っている。貧しい人々は、国際フォーラムで儀礼的に、恵まれない人々の生活向上を支持した
のと同じ政府によって、より貧しくされているのである。
 働く子供たちの不幸は、彼らを支援すると思われている人たちによって、一層ひどいものにされてい
る。


92 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:09:29 ID:???

―サンジャイ

義父と喧嘩して以来、路上で生活している彼は、一四歳から人力車を引いている。それは屈強の大人
さえ筋肉を消耗し、体の組織を破壊される仕事である。青少年の未発達の体への影響は想像を絶する。
サンジャイが最も恐れるのは警官ではなく、ミドルクラスのドラッグを常用している若者たちである。
ドラッグを買う金を家族からもらえない若者たちは、働いている子供たちから奪うのである。サンジ
ャイは、金持ちの薬物中毒を援助していることになる。

 高齢者もまた、「撤去」や「移転」の犠牲になっている。西デリーのミラバーでは、取り壊しの噂が、
それでなくても支障の多い生活を送ってきた人々をさらに動揺させた。年老いて、さまざまなものを失
って傷ついた人々が、アパートや道路を建設するために再び移転させると脅かされている。労働と不安
とで疲れ果てた顔、栄養失調で細い腕、長年の肉体労働で硬くなった掌、関節炎で膨れた節。目の輝き
だけが、貧しい人間の油断のなさを物語っている。次はどんな危機が自分たちの生存を脅かすのかと、
常に警戒しているのだ。


93 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:12:37 ID:???

―キミヤバイ

マディアプラデーシュ州出身で六〇歳になるキミヤバイは、未婚の下の息子(未熟練の建設労働者)
と暮らしている。上の息子は結婚しているが、彼女は息子の妻とは口も利かない。キミヤバイは家政
婦をして、月に三〇〇ルピー(七ドル)稼いでる。「夫が死んで、泣いているよ。下の息子が結婚し
たら、どうなるんだろう。嫁になる人は、息子が私の面倒を見てもいいと言うだろうか。どこで食べ
物を見つけたらいいんだい。移転させられたら、どこで仕事を見つければいいんだろう」。

 立ち退きの最大の重荷と危険は、女性の肩にのしかかる。
 スラムの住民は、低賃金の警官の収入を補完している。貧しい人々から奪うことは、さまざまな形で、
役人、官僚、政治家の主要な資金源となっている。彼らには、貧困を撲滅しようという気持ちはない。
 社会的不公正に責任ある特権階級や権力者の善意を誰が疑うだろうか。その結果は、デリーやマニラ、
ダッカ、ジャカルタ、コルカタ(カルカッタ)、ムンバイ(ボンベイ)、メキシコシティ、リオデジャネ
イロで誰の目にも明らかとなっている。これらの都市はいずれも、グローバリゼーションの残骸となっ
た社会から尊厳と人間性とを回収しようとする人々で溢れている。


94 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:18:25 ID:???

―ラジュ

彼女の息子は麻薬中毒である。彼女は、自分の小屋の前の屋台で卵を売って、家族の生活を支えてい
る。彼らは市外の荒れ果てた土地に移転させられるまで、一四年間デリーに住んでいた。夫は人力車
引きだったが、それで肺を悪くした。夫と息子は今ではスラムの人力車引きのために食事を出してい
る。彼らは「違法の」仕事を続けるのを大目に見てもらうために、警察に月六〇〇ルピー(約一四ド
ル)払っている。昨夜、警察がラジュを逮捕しに来た。賄賂を支払うことができなかったからである。
人権活動家が警察に、他の女性がいないところで女性を逮捕することはできないと話した。彼らはラ
ジュの逮捕をあきらめ、代わりに義理の兄弟を連行した。法と秩序の力による、一種の人質行為であ
る。

 国際フォーラムが決まって優先権を与える人々――貧しい女性、子供、老人――が、彼らの生活を向
上させるはずの経済的プロセスの主たる犠牲者となっているのは偶然なのだろうか。


95 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:22:10 ID:???

生活必需品を民営化する

世界水会議(World Water Council)は政策を立案するシンクタンクである。その構成員には世界銀行、世
界の水企業、国連、各国政府や国際民営水道協会が含まれる。三年間、ハーグの会議で、彼らはグロー
バルな水危機への対応として民営化を提言した。水会議は利潤追求型の原則を承認した。水は基本的人
権に属するものではなく、民間部門が最も有効に供給する商品だというのである。
 民営化は、人々の行動によって止めることができる。
 時折、人間の窮乏化の深刻さが欧米の報道機関で取り上げられることがある。二〇〇三年六月一日、
フランスの温泉地エヴィアンで開かれたG7サミットにあたって、「オブザーバー」紙は、セマ・ケデ
ィアの件を簡潔に伝えた。三児の母であるセマは、エチオピア中央部の自宅近くの木で首を吊っている
のが発見された。彼女の死の唯一の手がかりは、そばにあった土製のつぼの粉々になった破片だった。
彼女は一二マイル〔約一九キロ〕離れた一番近い井戸から戻る最後の一歩のところで倒れ、一日か二日の
間子供たちを生かしておいたであろう貴重な水をこぼしてしまったのである。すでに借金を負っていた
彼女は、新しいつぼを買うお金を工面することができなかった。出口はないと思われたのだ。


96 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:25:01 ID:???

―調査

デリー州当局は最近、バカルワルに移住した人々の社会復帰のためにどれだけの金額を支出したかを
示す数字を発表した。「女性覚醒運動」のニルマラ・シャーマはこの報告書を手に入れた。それによ
れば、病院の近くの取り壊された三〇〇〇の小屋に住んでいた人々のために、七八四〇万ルピー(約
一五〇万ドル)が使われたことになっていた。金額は、盛り土、下水溝、保育所といった項目別に分
けられている。全く架空の支払いの書類である。中には、一七四〇〇八と番号が打たれた二〇〇〇年
十二月二〇日付の小切手のコピーさえあった。現場には何もない。人々には一パイサのお金も届いて
いない。当局は外国の援助供与者や慈善信託、NGOから、貧しい人たちのためのお金を受け取る。
誰も、そのお金がどうなるかをチェックしない。それは、そのお金を管理するはずの人たちのポケッ
トに入ってしまうのである。
             (Personal communication, Nirmala Sharma, New Delhi, 2002.)


97 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:27:03 ID:???

世界の食糧供給をコントロールする

「緑の革命戦略は、工業的・投入集約的な農業生産方法の教科書である」と著述家で活動家のスーザ
ン・ジョージは言う。「第三世界では、信用取引ができる裕福な農民だけがこの戦略を導入でき、小農
は不利になるということは、最初からはっきりしていたはずだ。予想通りのことが起こった。農業が有
利な投資先となると、土地をめぐる競争は激化した。その結果、農村での土地からの追い立ては激しく
なった。食糧生産は、しばしば主張されたほどではなかったにせよ、確かに増大した。しかし、それに
比例して、食糧を買える人は少なくなり、何百万人もが自家用の食べ物を生産する手段を奪われた」。
 絶えざる飢餓に対して最近行われている対応といえば、最新のテクノロジーによる措置、病虫害抵抗
性や高収量性を持った遺伝子組み替え食物が飢餓の問題を解決するだろうという「約束」である。環境
への、さらには生産性への長期的な影響が有害なものかもしれないということは、テクノロジーが多国
籍企業の手に握られ続けるかぎりは、瑣末な問題とされる。貧しい人々の食べ物にアクセスする力を低
下させるのに、これ以上効果的な策略は考えられない。


98 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:29:41 ID:???

―フルコストの回収

「利潤のための水はいくつかの形をとる」と、ブルー・プラネット・プロジェクトの創始者の一人で
ある、カナダ人評議会のモード・バーローは言う。「世界銀行とIMFの支援を受けて、一握りの多
国籍企業が、世界の給水と排水システムをカルテル化しようとしている。すでにフランスのヴィヴェ
ンディ社とスエズ社は一五〇ヵ国で二億人以上の人々に私営の水サービスをおこなっている。いまや、
彼らは第三世界に市場を移そうとしている。そこでは借金漬けの政府が公営の水サービスを放棄し、
水の供給を営利目的の大企業の手に渡すことを強いられている。……「フルコストの回収」(株式の
利益を含め、水のコスト全体を請求する)として知られる方針に基づいて、水会社は料金引き上げを
行うが、これは何百万もの貧しい人々に壊滅的な影響を与える。料金を支払えなければ、コレラ菌で
汚染された水を使うしかないのだ。
 ペットボトル入りの水の生産は、年二〇パーセントの割合で増加している。昨年、一〇〇〇億リッ
トル近い水がボトルに詰められた。そのほとんどは、再生不能のプラスチック製である。インドでは、
記憶に残っている中で最悪の旱魃に襲われているにもかかわらず、タミール・ナドゥ州のバヴァーニ
のように、河川系全体がコカ・コーラ社に売却された例がある。
                           (The Guardian, 27 February 2003.)


99 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:44:06 ID:???

IMFの柔軟性

国際通貨基金の構造調整プログラムの影響に対する批判(構造調整に反対して、一九七六年から一九九
二年の間に一五〇件にのぼるデモ、暴動、騒乱があった)を受けて、一九九九年にIMFは「貧困削減」
に着手すると宣言した。
 新たな要素は、開発途上国の政府が自国民と協議して、その国でのIMFや世界銀行の活動の枠組み
である貧困削減戦略(PRS)を準備するという点にあった。これは、地域的条件を顧慮せずに、あら
ゆる国に対して同一の政策を課すというやりかたに終止符を打つはずだった。IMFや世界銀行の内部
調査ですら、多くの国で、マクロ経済的処方箋は不平等を増大させただけでなく、より多くの人々を絶
対的貧困へ追いやったということを示していたのである。


100 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:45:03 ID:???

―コチャバンバ

一九九九年、ボリビアのコチャバンバで、世界銀行はボリビア政府に対し、水道会社を民営化するよ
う圧力をかけた。世界銀行は、水サービスを経営している公営会社への信用貸しを拒否し、料金値上
げへの「公的助成金」を供与しないよう勧告し、アグアス・デル・ツナリに独占権を与えることに固
執した。この会社はイギリスのインターナショナル・ウォーター社のグループに属し、合衆国の巨大
エンジニアリング会社ベクテルの子会社である。
 新たな所有者たちは、四〇年間の利権を認められ、業務の開始すらしないうちに、大幅な値上げを
通告した。「水戦士」と呼ばれる若者たちを先頭にした暴動が起こり、民衆がコチャバンバの街頭に
繰り出した。この運動は、労働運動の活動家、農村の組織、近郊のチャパレのコカ栽培者、政治家、
NGO、地域の専門家、若者たちの連合体であるコーディナドーラ(水と生活を守る市民聯合)の主
導の下で行われた。
 二ヵ月間、誰も水道料金を支払わなかった。コーディナドーラは、運動の象徴として市の中央公園
を占拠することを呼びかけ、三万人が集まった。警察は群集に発砲し、一七五人が負傷した。厳戒令
が布告され、非常事態が宣言されて、軍隊が送り込まれた。一七歳の少年が殺され、多数の負傷者が
出た。
 その後、八万人が街頭に繰り出した。水会社はボリビアから撤退した。コーディナドーラは政府と
会談を持ち、水に関する契約を破棄することで合意した。「いまや、水は人々がコントロールしてい
る」と活動家は言う。「ここの水は甘い」。
                   (Marcele Lopez Levy, Bolivia Profile, Oxfam, 2001.)


101 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:48:24 ID:???

 IMFや世界銀行の政策が最貧層の生活を改善するだろうというのは、信仰のようなものだった。彼
らが無能だということは、奇妙なことに「目に見えない」ままだった。人々が自ら反対運動に立ち上が
るにいたって初めてそれが明らかになった。自分たちの政策が貧しい人々や不平等に対してどれだけの
力をもつのか、これらの機関がほとんど知らなかったのは驚くべきことである。彼らの自己評価は、彼
らがどれほど無知で無能であるかを露わにしている。一九九九年の貧困削減戦略は二つの新たな要素を
導入した。プログラムへの政府の「オーナーシップ」と民衆の参加、とりわけ「利害関係者」――貧し
い人々自身のための新しい業界用語――の参加である。
 七〇ヵ国以上の発展途上国が、二〇〇一年までに貧困削減戦略を「デザイン」するよう要請された。
重債務貧困国に対する債務救済は、この戦略にリンクさせることになった。しかし、債務救済は、貧困
を軽減させるための新たな資金を生み出すわけではない。債務を償還するために使われる資金――その
一部はさらなる借金を伴う――は、既存の蓄えの一部ではなく、公有資産、輸出用にまわされた食用作
物等を換金したものである。


102 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:49:49 ID:???

「オーナーシップ」と「参加」という言葉は、信用できないものである。これらは、IMFや世界銀行
が責任を回避するのを手助けする。というのは、貧困が削減されなかった場合、地域の(つまりその国
の)政府と貧しい人々自身のせいにすることができるからである。とりわけ貧困削減戦略が正統的なマ
クロ経済学説という鉄のコルセットをつけたままで着手されている以上、グローバリゼーションが大き
く変化する兆候は全くない。低いインフレ率、為替レートの安定という古い指標への配慮が示すように、
これは根本的な変化ではなく、見せ掛けだけの変更にすぎない。
 ガーナの著名なアナリストであるチャールズ・アビュグレは言う。「もし貧困削減戦略が政府主導の
プロセスなら、なぜ世銀やIMFは、戦略を展開するために数え切れないほどの使節団をその国へ送り
込むのだろうか。なぜ、最初の使節団は、戦略への『顧客の関与、責任』を確認するために送られるの
だろうか。なぜ世界銀行は、貧困削減戦略の作り方を開発途上国に教えるための一〇〇〇ページもある
資料集や、受容可能な貿易政策の展開の仕方を示す資料集を作成するのだろうか」。
 アビュグレは、なぜ現地で作成されたその国の戦略について、外部の機関と交渉しなければならない
のか、と問う。低インフレ率と国家の役割の縮小を最優先にするマクロ経済的「効率」への付録である
社会政策は、以前の政策からの変化をほとんど示していない。「貧困削減戦略は空虚なレトリックであ
り、……世界銀行とIMFが新自由主義的アジェンダを続けるための便利なベールである」とアビュグ
レは結論づける。


103 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:56:07 ID:???

外国の直接投資

貧しい人々に与えられた一つの希望は、外国の直接投資である。自分たちの荒廃した土地に多くの外国
資本の目を向けさせた国が勝ちだと思われている。多国籍企業の陰謀は、これまでも数多く立証されて
いる。そのやり口が暴かれたとき、しばしばより広い世界を動かすようなスキャンダルとなる。


104 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:57:10 ID:???

―マラウィの危機

IMFは二〇〇二年、マラウィの食糧危機を助長したという批判を受けた。飢饉の報告は二〇〇一年
秋から現れ始めた。二〇〇二年の初めには、大きなニュースになった。
 アクションエイドによれば、危機は旱魃に続く洪水、そして政府の行動によって悪化した。政府は、
戦略予備のトウモロコシを売却し、農業助成プログラムの「スターター・パック」を放棄せよという
IMFの要求に屈したのである。IMFのマラウィ担当者はこうコメントしている。「私たちは食糧
安全保障政策の専門家ではなく、政府や国家食糧準備庁(NFRA)に備蓄を処理するよう指示して
はいない」。マラウィは三年分近い備蓄を持っていた。これらを維持するコストと、借款による債務
の返済とを斟酌して、IMFと政府との間で備蓄した穀物の一部を売却するという合意がなされた。
価格が低かったため、穀物の売却は損失を生んだ。IMFは備蓄を国外で売却することによって一六
万五千トンから六万トンへと減らすよう勧告した。NFRAはほとんどすべての備蓄を売り払ってし
まった。


105 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:58:00 ID:???

 民営化・政府関与の削減というIMFの政策は、世界中で繰り広げられているものの一つである。
アクションエイドによれば、穀物の売却につながった判断ミスで最も過失があったのは誰かというこ
とは別として、「IMFは二〇〇二年五月の使節団の最終声明で、驚くべき無神経さとイデオロギー
的狭量さを露呈した。それはマラウィへの四七〇〇万ドルの支出を留保したことに表れている。「飢
餓を防ぐための緊急行動」の必要性を認めながら、IMFの声明は、それに先立つ二、三ヵ月の間に
すでに何百人もの餓死者が出ていることに言及していない。それは、農業開発市場公社と国家食糧準
備庁の、飢饉による死者を最小限に抑えようという活動が妥当性を欠き、「非生産的」なものであっ
たことを意味している。
 アクションエイドは、飢饉が経済の自由化に起因すること、あるいは少なくともそれによって悪化
したことを考慮して、厳しい自由化プログラムに固執したり、政府による農業助成金の要求を無視し
たりすることはやめるべきだと述べている。国家による市場規制の強化と、主食穀物の備蓄に優先権
を与えることが不可欠である。


106 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 11:59:35 ID:???

―比較的優位

ダッカは、ここ一五年の間に、一二〇〇万人もの人たちの強制労働収容所となった。衣服縫製業が今
ではバングラデシュの外貨の七五パーセントを稼いでいる。それは夜間飛行型の産業である。という
のは、バングラデシュでは衣服を完成させるだけで、機械も材料も(生地からアクセサリー、ボタン
やファスナーにいたるまで)インドネシア、台湾、シンガポール、韓国、マレーシアから運ばれて来
るからである。労働力はバングラデシュの「比較的優位」の源泉である。二〇〇〇以上ある町工場の
多くは、労働者が住むスラムにそびえる、光り輝く宮殿のようである。カルフールやウォルマートを
含め、欧米の大規模なバイヤーは、ここで在庫を調達する。
 労働者たちは一二時間交代で働き、注文に間に合わせるために、時には一晩中工場にいる。女性た
ちはしばしば侮辱を受けたり、殴られたりする。数多くの労働組合が存在するが、そのほとんどは所
有者側と癒着している。組合がイギリスの慈善団体から巨額の寄付を受け取っていることに反対して、
独立した組合を組織しようとした私の若い友人二人は解雇された。彼らは殺人、強盗、窃盗、強姦の
容疑で逮捕された。でっちあげられた事件のために何年も裁判にかけられている間、彼らは働くこと
も組合を組織することもできない。

 合衆国の企業は、中央アメリカ、メキシコ、南アジアでの労働者虐待が明るみに出ることを避けるた
め、監視の目を逃れられそうな地域へと工場を移転させる。遠く離れた土地で、外国人労働者を使えば、
搾取は気づかれないで済むだろうというわけである。


107 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:09:10 ID:???

多国籍企業と公正

二〇〇二年、エチオピアが二〇年来最悪の飢饉に直面しているときに、ネスレ社はエチオピア政府に対
して六〇〇万ドルを請求した。これは、独裁者メンギスツの前政権が一九七五年に国営化した企業への
損害賠償である。ネスレ社は、返済は「原則の問題」だと語った。会社のスポークスマンは、紛争は国
際法と公正の精神に基づいて解決すべきだと主張した。エチオピアの首相は、国では六〇〇万の人々が
緊急食糧援助を必要としており、その数は数ヵ月の間に一五〇〇万人に増えるかもしれないと語ってい
た。ネスレ社の二〇〇一年の収益は五五〇億ドルであった〔訳注:その後、批判を受けたネスレ社は
エチオピアへの債権を放棄した〕。


108 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:10:23 ID:???

―パゴパゴ

タン・グエンがベトナムの工場での低賃金の仕事をやめて、太平洋のアメリカ領の島の一つで働く機
会を与えられたとき、それは容易に高収入を得る道だと思われた。
 だが、彼女が行った先は奴隷工場で、労働者たちは殴られ、空腹に耐えながら合衆国の巨大小売業
シアーズ社とJCペニー社に向けたデザイナー・ブランドの服を作っていた。
 先週、ワシントンの法廷で、タンの会社の社長である韓国人リ・キルスーが人身売買の罪で有罪判
決を受けた。リはアメリカ領サモアの首都パゴパゴの近郊でダエウーサ・サモア工場を所有し、ベト
ナムと中国からの二五一人の移民労働者を過酷な条件化で働かせていた。彼らは部屋代と食費として
月二〇〇ドルを支払っていたが、与えられたのは人部屋に三六のベッドが詰め込まれた寮での寝場所
と一日三回の粗末な食事だった。「工場の全員で二ポンド[一キロ弱]の重さの鶏一羽を食べました」。
 給料は年中差し止められ、支払われなかった分を取り戻すためにストライキをすると、管理者側は
電気を止め、加熱した工場内を耐えられない状態にした。
 二〇〇〇年一一月に起こった最悪の争議の最中、リはサモア人の管理者たちに、ベトナム人の女性
裁縫師の一人をみせしめにすることを許可したと言われる。クイン・チュオンは数人の男たちによっ
てミシンの前から引きずり出され、サモア人の従業員がプラスチックの管で彼女の目玉をくり抜いた。
                             (The Guardian, 1 March 2003.)


109 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:12:17 ID:???

グローバル市場で

世界の大規模なショッピング・モールに置かれた全商品を生産するほど膨大な、多国籍企業の製造能力
は、訪れる者のない辺鄙な場所に監禁した労働者を虐待するのに利用されるだけではない。消費主義へ
の大きな熱狂は北だけでなく、ボゴタ、テグシガルパ、ラゴス、ヨハネスブルク、マニラ、ハノイなど
に住む南のミドルクラスにも蔓延した。それはさらに、いたるところで貧しい人々の心理に深い影響を
及ぼしている。


110 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:14:53 ID:???

―バナナ

昨年、世界最大の果物会社の一つであるドール社が、コロンビアの暴力事件の多い北部マグダレーナ
のサン・ペドロバナナ農園から撤退すると決定したことによって、ジルダード・スリアーガを始めと
する二三〇人は職を失った。ラテンアメリカのバナナ輸出に頼る地域では、他の仕事はないに等しか
った。
 カリフォルニアにあるドールの本社では、役員たちがバナナ生産をエクアドルにシフトさせる決定
をしていた。そちらのほうがコストが安いからである。その主な理由は、適正な賃金や手当てを要求
する組合が存在しないことにあった。エクアドルでは、児童労働が普通に見られ、そのため女性の賃
金も安かった。
 ジルダートと同僚たちが補償金を要求したとき、ドール社は放棄した土地を労働者たちに明け渡す
ことを了承した。しかし、彼らからバナナを買うことは拒否した。労働者たちは協同組合
COOTRASABANを設立し、事業を成功させようと頑張っている。だが、この地域のバナナ・ビジネ
スはドール社がほとんど独占しているため、彼らの生産品を買ってくれるバイヤーを見つけることが
できないでいる。「誰にバナナを売ったらいいんだ」とジルダートは嘆く。
 一方で、世界貿易機関(WTO)の規則は、ヨーロッパ連合に対し、市場をほぼ完全に開放するこ
とを強制している。そこで、EUはもはや小生産者からバナナを買う道を選ぶことができなくなった。
「世界開発運動」は説明する。「ドール社のような多国籍企業はWTO体制の最大の勝者です。彼ら
は、社会的規制や環境規制が最も弱いところで生産する。操業の基準を設けて、企業に労働者や地域
社会に対する説明責任を負わせるような国際的なルールが必要です」。
                            (World Development Movement.)

111 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:24:24 ID:???

 もしグローバリゼーションが人々の生活のあらゆる局面に手を伸ばしているとしたら、どうして貧し
い人たちが影響を受けないでいられるだろうか。貧しい人々がグローバルな市場から排除されるように
なったとき、貧困の解決策はますます国の政府の手に負えないものになるだろう。
 農村の貧困が人々を都市へ駆り立て、人々は新しい形の不安定で不確実な生活に追いやられる。恣意
的な立ち退き命令、失業、警官や役人による恐喝やいやがらせにさらされるのである。
 農村生活と都市生活との間の最も重要な違いは、後者がますます全面的に金銭に依存するようになっ
ていることにある。地方では、中間業者による不正行為と穀物への工業的投入(肥料と農薬)への依存
度の高まりが、農村の自立の根幹を揺るがしている。ブローカーや金貸しの力、借金や病気による土地
の喪失、あるいは結婚持参金や伝統的な相続形式といった社会的慣習のために、人々は陰気で希望のな
い都市のスラムへと追いやられる。唯一の希望的な側面といえば、賃金による生活は自給自足よりも確
実に思われることである。
 貧しい人々は、安全を求めて移住する。彼らは富を追い求めている。だが、富は彼らよりも敏捷であ
る。富のほうが栄養もよく、健康で、可動性がある。
 再分配は今、議論からはずされている。なぜなら、豊かな人々が社会に対し当然支払うべきものを回
避する機会は、数え切れないほどあるからである。例えば、域外税金逃避地、秘密の銀行口座、資金の
電子的移動などが挙げられる。隠匿の鎖が、彼らの財産の匿名性を守ることを可能にしている。
 富は眠ることも止まることもない。その可動性は、富に魔法のイデオロギー的な力を与える。資産の
形成に関わる秘密の事業や活動に対しては、干渉してはならないという暗黙の了解がある。金持ちはも
はや貧しい人々の生活必需品を独占しているだけではなく、彼らがいないと貧しい人々はより貧しくな
るような、富の創造者である。言い換えれば、貧しい人々は富の敵対者ではなく、富への依存者なので
ある。

112 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:26:18 ID:???

 金持ちはねたみの対象ではない。なぜなら、彼らは今では貧しい人々と、富への貢献を分かち合って
いるからである。
 貧困は変化している。工業化時代の初期、バーバラとジョン・ハモンドは製造業の労働者について、
「彼らはあれこれの町の市民ではなく、あれこれの主人の手である」と述べた。今日の貧困者について
は「もはやあれこれの国の住人ではなく、グローバルな市場から排除された人たち」になりつつあると
言えるかもしれない。彼らはもはや、国民経済から排除された余りものではない。グローバリゼーショ
ンの孤児なのである。
「社会的排除」について語る政府は、より深い真実を避けている。社会活動の大部分が市場の内部で行
われていることから、それが真に意味しているのは「市場からの排除」である。イギリスでは一九九九
年に、娯楽が初めて家計での最大の支出項目となった。食費、保健、住宅費を上回ったのである。世界
で最大の産業は今では観光産業であり、五〇〇〇億ドルを生み出している。これらの中核社会活動に参
加しない者は、きわめて不利な立場に置かれる。
 周縁化された人々はグローバル市場からの追放者である。世界中で、ショッピング・モールやガレリ
アをうろつく若者がそれにあたる。これらの場所は商品の大きな囲い地であり、重要な文化的・社会的
交換が行われる市場のシンボルとなっている。


113 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:28:53 ID:???

無慈悲

これは一国の特徴ではない。貧しい人々は金持ちのイメージに沿って作り変えられてきた。彼らは同一
の無慈悲な広告や宣伝、つまり、獲得し、所有し、費やすことへの同一の刺激にさらされてきた。いろ
いろなものを見せびらかされ、同じ嗜好と欲望とをそそられてきた。彼らは金持ちと同じように抑制が
効かなくなり、同じように圧力を感じてきた。だが、貧しい人々には金銭が与えられていない。
 この文化は、排除された者たちの間に、市場参加の戯画化を呼んだ。犯罪、薬物乱用、暴力、依存症、
仲間内での競争、暴力団の抗争等である。グローバル市場から追い立てられた人間が片隅で生き残るに
せよ、消えていくにせよ、若者たちは多国籍企業の傭兵となり、ロゴやブランド名をめぐる戦いに駆り
出される。シャツ、ジーンズ、トレーナー、アクセサリー、携帯電話、宝石など、自分の持ち物を表す
紋章への強迫観念は、これらの品物を手に入れるためなら何でもするところまで彼らを追いやる。
 彼らの感性は、どこか他のところから、つまり現在ものが作られている、場所のないサイトから送ら
れてくるテクノロジーによって形作られている。音楽とイメージ、音と世界のサイトを媒介する道具は、
白日の下で作られるのではない。ジャカルタ、ティファナ、ナイロビの輸出優先地域の人目につかない
工場、隠れた作業場、隔離された場所で製造されているのである。こうした品物は世界の闇の場所から
人々の生活の中へと入っていき、血と汗を洗浄する。輝く商品は文字通り、生産者と消費者の距離によ
って、つまり隠匿、返還、忘却というノーマンズランドによって浄化されるのである。


114 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:30:08 ID:???

 ほとんどの人間活動は自給として行われてきたという意味で、「市場からの排除」はほとんどの人間
にとって自然の状態だった。世界の各地方、地域、区域の間の交易は、長い歴史をもつ。帝国は征服し
た土地の人民から略奪したり、物々交換したり、彼らから盗んだりした。地域の市場もまた、あらゆる
社会や文化に根付いている。
 だが、「グローバル・マーケット」の制度化は、帝国主義時代に始まったにすぎない。地域の資源基
盤という制約の中で生活することは、自立した人々の間では耐え難い負担ではなかった。だが、地域の
市場は、そのグローバルな後継者によって侵害されている。あらゆる国をグローバル・マーケットに統
合することは、コミュニティの崩壊、財産の解体、人々が生活しなければならない場所の破壊につなが
る。そして、すでに国内的に取り残された存在ではなくなった貧しい人々は、富の創造という奇怪な病
理の生贄となっている。この病理の前では、貧困ということばすら、貧弱で貧困な表現である。


115 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:31:39 ID:???

富の代価

貧困の悲惨さと比べれば、富のもたらす退廃は、支払うに値する代償だと一般に考えられている。損益
の収支、あるいは経済用語を使えば費用と便益の収支が冷静に判断されることは滅多にない。金持ちの
世界での社会的苦悩は、他人から孤立したところで理解され、個人の精神病理に帰せられてしまう。薬
物、犯罪、アルコール依存症、孤独、精神障害、関係の断絶などは私的な問題とみなされ、社会とは関
係ないかのように考えられてしまうのである。だが、さまざまな形で表れる問題は、富の代価が、恵ま
れた人々の操作された帳簿に現れているものよりも、はるかに大きいことを示唆している。


116 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:38:22 ID:???

―ティルダ

ティルダはリオデジャネイロの銀行家の妻である。一家は大邸宅に住んでいるが、屋敷の窓には装飾
された鉄板がつけられ、敷地を囲む高い塀には忍び返しやレーザーワイヤーが張られている。見張り
所には武装した警備員がいて、侵入者が近づいたら照明がつくように熱感知器が張り巡らされている。
鎖につながれた犬が、闇に向かって吠えている。
 時々、ティルダはこの要塞の外に出る。出かけるときには、変装をする。自分の召使のような格好
をするのである。質素な服を着て、金の時計やイヤリング、宝石類をはずし、サンダルを履いて、網
袋を持つ。財布は家に置いて、もし強盗に襲われたとき、賊を満足させるだけの額をポケットに入れ
る。バスに乗るのはおもしろいと思うときもあるが、後ろの席は強盗に襲われやすいから、いつも前
の席に座る。ティルダが金ぴかの籠から出たいと思ったときは、貧しい人間のふりをしなければなら
ない。彼女はむしろそれを楽しんでいる。普通の人になったような気がするからだ。


117 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:41:01 ID:???

肥満の訴訟

欧米、とりわけ合衆国では、過体重、肥満の増加をめぐって多くの議論がなされている。アメリカ人の
六一パーセントが過体重である。一九歳以下の四分の一が過体重あるいは肥満であり、この数値は三〇
年前の二倍にあたる。米国公衆衛生局長官の報告書によれば、二〇〇二年には、肥満に関連した死亡者
は三〇万人であり、これはタバコに次いで、死因の第二位を占めている。肥満と関係した疾病の医療費
は年間一一七〇億ドルにのぼる。
 これが食事の変化と関連していることはよく知られている。ファストフードの消費が増えたが、その
ほとんどは脂肪と糖分の含有量が多い。合衆国では、食べ物の三五パーセントが家庭の外で消費されて
いる。二〇〇三年一月、二人の十代の少女、一四歳のアシュリー・ペルマン(体重八五キロ)とジャス
リン・ブラドリー(一三五キロ)が、自分たちを太らせたとしてマクドナルド社を訴えた。訴訟は棄却
されたが、これは、食べ物の質の悪さが豊かな人間の悩みであることを示唆している。
 肥満のもう一つの要因は、あまり運動しないという合衆国の生活様式である。合衆国の国民は、世界
中のどこの人間よりも車に頼った生活をしている。また、テレビを見ている時間が増え、テレビを見な
がら間食をし、コンピュータ・ゲームやビデオゲームなどをしながら軽く何かをつまむことが多くなる
と、子供たちは運動への意欲を失う。学校では、強制的な身体活動が急激に減っている。合衆国農務省
によれば、食品産業は一人当たり一日三八〇〇カロリーを供給しているが、これは女性の必要カロリー
量の二倍であり、男性の必要量より三三パーセント多い。
 肥満の罹患率の増大への対処は、食事の変更や運動を増やすことではない。その代わりに、薬品会社
が問題への「医学的」解答を探求してきた。業界では、およそ三〇の薬品が開発中である。これが統計
では、「経済成長」――世界で最も豊かな国で暮らす人々の幸福を示す究極の指標――として現れるの
である。
 豊かな人たちが生活必需品が独占したとき、いかに彼らが貧しい人々だけでなく自分たちをも害する
かを、これ以上明確に示すものはない。

118 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:42:24 ID:???

社会を変えることはできないが、あなたの考えを変えることはできる

国連の推計では、一九九〇年代後半、世界で一億八〇〇〇万人(十五歳以上の人口の四・二パーセント)
が薬物を使用していた。
 合衆国の薬物乱用に関する世帯調査によれば、二〇〇一年には一二歳以上のアメリカ人一五九〇万人
が、調査の前月に非合法ドラッグを使用したと認めている。これは人口の七・一パーセントにあたり、
二〇〇〇年の六・三パーセントから上昇している。薬物の多くはマリファナ(五六パーセント)だが、
二〇パーセントはマリファナとそれ以外の薬物を使用し、二四パーセントは他の薬物を使用していた。
一七〇万人のコカイン使用者、一三〇万人の幻覚剤使用者がいる。八一〇万人は、人生で少なくとも一
度エクスタシーを使用した経験をもつ。
 合衆国の非合法ドラッグ使用に関する費用は、世界保健機関の推計によれば、九八〇億ドルに達する。
アルコールに関する費用は一四八〇億ドルであり、これには一九〇億ドルの医療費が含まれる。
 欧米諸国のほとんどは、薬物に対する闘いを宣言し、撲滅運動やキャンペーンを展開している。麻薬
問題担当長官や最高指揮官が任命された。だが、こうした人目を引く取り組みは失敗に終わってきた。
彼らは運動の対象を供給者――栽培者、製造者、加工者、卸業者、運び屋、密売人の輪――に集中し、
薬物への需要は弱い人間あるいは病気の人間の個人的問題と解釈してきた。


119 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:45:33 ID:???

―レイチェル・ウィティア

イギリスでは、アパートで注射器を手にしたまま体を折り曲げた格好で見つかったレイチェル・ウィ
ティアの死体や、生命維持装置をつけたリア・ベッツの映像が、個人的悲劇としてテレビに登場して
いる。「目的のない」薬物中毒死、若くて魅力的な、恵まれたミドルクラスの人間が、仲間に誘われ
て薬物に手を出した。ほんの「試し」が命取りになってしまった。裕福な人たちは、原因のない「脆
弱性」によって薬物のわなに落ちてしまう。
 貧しい人々にとっては、話は別である。親の育児放棄、虐待、貧困が彼らを薬物中毒へ追いやる。
剥奪は、貧しい人間の薬物中毒の「原因」である。薬物が与える被害にさえ階級格差があることは明
らかである。


120 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:48:05 ID:???

 欧米のほとんどの国で、薬物は若者のばか騒ぎを楽しむライフスタイルに欠かせないものとなっている。
気晴らしのための薬物の否定的な効果を最小限にするために、クラブは今では飲料水、リラックスでき
る部屋、医療スタッフを用意するなど、リスクを減らすあらゆる手段を講じなければならない。
 薬物が税関または警察によって押収された場合、何百万ドルにも及ぶ「末端価格」で表示される。
「市場価格」とは言わない。なぜなら、明白な事実が浮き彫りになることを誰も望まないからだ。つま
り、薬物は究極の市場主導型の商品であり、グローバル・マーケットの機能を、最も赤裸々で有害な形
で示しているからである。
 市場を守ろうというこの欲求が、社会と薬物摂取との関係への関心が低い理由となっている。世界史
上かつてない豊かさを誇る社会で、精神状態を変化させる物質への需要が高いことは、タブーの対象で
ある。それを検証することは、グローバリゼーションの成功という像の不完全性を暴くことになるから
であろう。


121 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:52:45 ID:???

 若者たちが薬物を介して超越観を求める心理と感覚は、どれほどの内的空虚さ、ひどい欠乏、喪失感
で満ちているのだろうか。この問いは発せられてはならない。なぜなら、それは、なぜ世界で最も豊か
な国々が、彼らが提供する特権から逃れたいというこれほど強い欲求を生み出しているのか、という問
題を提起することになるかもしれないからだ。逃避は主要産業の基盤となっている――旅行、ギャンブ
ル、休みなく続く娯楽と気晴らし、セックス、あらゆる種類の中毒。豊かな国々が提供できない満足と
はどういうものなのだろうか。彼らが満足させられない願望とは何なのか。
 こうした厄介な問題こそ、世界中の人々があこがれる生き方の核心を突くものである。
 欧米の豊かさは明らかに、いくつかの基本的な要求に応えることができないでいる。そのことが、多
くの若者を禁じられた慰めへと向かわせる。彼らの特権はどう見ても、彼らを欠乏し、飢えた状態のま
まにしている。われわれは南の人々の窮乏や飢餓をなくすために援助、アドヴァイス、専門家を提供し
ているというのに、これはなんと奇妙な話だろう。


122 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:54:49 ID:???

―もっといい所

ヨーロッパのどこの都市でも、土曜の夜、中心部の通りには落ち着きのないエネルギーと楽しもうと
いう攻撃的な決意が充満している。多くの人々がいい気分になり、酔っ払っている者もいる。あちこ
ちで喧嘩騒ぎが起こる。私がこれを書いているつい先週、近所で殺人があった。若者が喧嘩で刺され
て死んだのだ。彼が死んだ場所は、臨時の祭壇のようになっている。メッセージの書かれたカードや
花束が、困惑や心の痛みを示している。「おやすみ、友よ」「もっといい所で会おう」「君はとてもい
いやつだった」「なんで死ななきゃならなかったんだ」「よく眠るんだよ」。

 正気を失った人間による傷害や殺人は、公式の人道主義とは対立する、人間の生命への無関心さを表
している。間違ったときに、間違ったところにいた。運が悪かった。人生ははかないものだ。そんなこ
とは忘れて、先へ進まなくては。合衆国では、五歳から一九歳までの子供の死因の第二位(第一位は自
動車事故)は、殺人と自殺である。
 こうした事件は、意味のなさを喧伝している。これもまた、今の形での豊かさが基本的ニーズを損な
っている一例である。新聞はこうした殺人を「無分別な」殺害と呼ぶ。だが、無分別な娯楽、無分別な
気晴らしを提供され、多くの人間が「無分別な」仕事をしているときに、このような社会によって引き
起こされる暴力がなぜ分別のある、知的なものであるべきだといえるのだろうか。


123 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 12:57:56 ID:???

 救急車が損傷を受けた人間を乗せて事故救急科へと急ぐ。この暴力で傷ついた人間は、若気の至りや
はしゃぎすぎ、快楽を追求した挙句の犠牲者と見なされる。後に残された親たちは、子供たちを、嫌悪
すべき快楽への殉教者と考えるかもしれない。
 社会の営みに貢献すること、つまり建設的で創造的な目的意識を持つことは、基本的なニーズの一つ
である。恵まれた人たちの生活の、もう一つの大きな欠陥がここにある。社会の発展に、若者は最小限
の参加しかしていない。彼らの金ぴかの疎外感は何のためなのかは、認識されないままである。若者の
政治からの離脱(二〇〇一年の英国の選挙における二五歳以下の投票率はたった四〇パーセントだった)
は非難されているが、オンライン投票あるいはスーパーマーケットでの投票という解決策の提案は、問
題が理解されていないことを示唆している。


124 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:01:01 ID:???

―スワーノ

彼はインドネシアのスラバヤからアラブ首長国連邦へ、マクドナルドのチェーン店で働くために渡っ
た。正式に採用された彼は、レストランの上の階で四人の見知らぬ人間と同居した。一日一二時間働
いたうえに、職場の上にいることから、誰かが休んだ場合には呼び出された。「二年契約だったけど、
不満だった。プライバシーはないし、寝ている暇もなかった。ときどき、一週間も外へ出られないこ
とがあった。九ヵ月で契約を破棄したよ。そしたら、金がなくなった。他のやつらは、おれより金に
困っていた。ひとりは自分の子供たちの写真を持っていた。彼は毎晩泣いていたよ。金なんか、生身
の人間の代わりにはならないと言っていた。俺たちの扱いは動物並みだった」。

 世界を変える必要はない。なぜなら、この世界は、考えられるあらゆる世界のなかで最高のものだか
らだ。望みは、すでに存在しているものをより多く、もっとたくさん欲しいということにある。これが
皮肉な見方、ニヒリズム、空虚感につながる。若者たちは、他の社会がそこの若者たちに生得権として
与えたすべてのもの――価値、信念、意味――を「購入する」機会を与えられている。これらは現在の
欧米では、存在しないことが世に知られている。その結果できた空白が「自由」と呼ばれているのであ
る。
「原始的」な社会はしばしば人身御供、野蛮な秘密の信仰に血と肉を捧げることを黙認してきた。この
基準によれば、自らを啓蒙の光と称している現代社会は、世界が経験した最も原始的な社会の一つであ
るにちがいない。


125 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:01:33 ID:???

移民

グローバリゼーションは可動性を増大させた。それはさらに移民を促進している。国際移住機関は、世
界に一億人の移民がいると推計している。二〇〇〇万人の難民が存在し、他に三〇〇〇万人の「未登録
者」、不法滞在者がいる。四〇〇万人は密入国あるいは人身売買によって移動し、その取引額は年五〇
億から七〇億ドルに達する。


126 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:04:13 ID:???

―カマル

彼はインド料理店の向かいの小さなアパートに住んでいる。公式には二人の男性が月一〇〇〇ドルの
家賃を半分ずつ支払っていることになっているが、実際には四人が暮らしている。ダブルベッドが一
つあるだけだが、通常二人は夜勤に出ているので、三人以上でベッドを使うことは滅多にない。だが、
ときには四人全員で一緒に寝ることもある。衣裳戸棚が一つあり、その上に三つの使い古したスーツ
ケースが載っている。プラスチックの椅子が二脚、タバコの吸殻で焼け焦げのできたコードカーペッ
トの上に置いてある。裸電球、トイレ、シャワー、小さなストーブがあるが、彼らはレストランで働
いているので、職場で食事をしている。電気ヒーターを使うことはほとんどない。
 全員がバングラデシュで、一時間三ドル相当の薄給(最低賃金の半分以下)で不法に働いている。
彼らは自分たちのためにはお金を使わない。仕事には歩いて行く。二人はウェイターで、二シフト、
ときには三シフト(二四時間)働く。一人は学生で、正式に雇われて、ホテルで朝食の給仕をしてい
る。彼はさらに週五日、夜レストランで働いている。集団で住んでいるので、ロンドンの中心部でも
安くて済んでいる。全員が家族に送金している。カマルが言うには、彼らは喧嘩しない。プライバシ
ーは重要な問題ではない。誰もが愛する家族のことを思い、家族のためにこの境遇に耐えている。強
制送還されるが、バングラデシュで事業を始めるのに十分なお金が貯まるか、もはや耐えられなくな
るまで、それは続く。「私たちの命は」とカマルは言う。「私たちのものじゃない。家族のものなんで
す」。


127 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:05:48 ID:???

 移民の多くは貧しく、紛争や内戦による強制退去、貧困や社会的暴力、環境の悪化などに追い立てら
れて、故郷を離れざるを得なかった人たちである。「開発」は生活手段を奪い、人々を土地から引き離
す。インドでは、独立以来二五〇〇万人が開発プロジェクトのために立ち退きを強要された。
 ほとんどの移住は国内で、農村部から都市への移動という形で行われる。次に多いのは、国境を接し
た隣国への移住である。ほんのわずかな数の人たちだけが大陸間を移動するのだが、これが豊かな国の
人々を過度に不安にさせる。豊かな国での移民、亡命者、難民に反対する運動はたいてい、彼らが犯罪
者、たかり屋であり、われわれの仕事を奪い、われわれの文化を希望化するという主張を中心に置いて
いる。本当のところは、彼らは生活賃金以下で働き、労働力のプールを可能にすることで賃金インフレ
を防ぎ、富に奉仕しているのである。
 移民は、自分たちや家族の途方もない犠牲の上に、受入国の経済に貢献している。
 心理的・感情的分離、家族の崩壊というコストは、移民自身が負担している。彼らが稼いだものが彼
らの不在を埋め合わせられるかどうかは、グローバルな会計システムにとってはどうでもよいことであ
る。多くの貧困国は、外貨の大部分を「送金」に頼っている。そして、シンガポールの金持ちは日常生
活の世話を、ドバイのマクドナルドの客はおいしいハンバーガーを、作り笑いと元気の良い「お楽しみ
ください」という言葉とともに受け取るのである。


128 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:07:20 ID:???

不法移民

欧州警察組織の推計によれば、毎年五〇万人が不法にEUに入ってくる。その半数が犯罪組織の力を借
りており、そこで動く金額は年一五〇億ドルに達する。
 不法移民は犠牲の大きい、危険に満ちた旅をする。地中海で水漏れする船が沈んで、海岸に死体が打
ち上げられたとか、トラックのコンテナで窒息死したとか、飛行機の貨物質にもぐりこんで凍死したと
いうのは、ヨーロッパではよく聞かれる話である。国際刑事警察機構によれば、彼らはこの旅のために
平均五〇〇〇ドルを支払う。人々の移動を組織する暴力団と受入国の暴力団との間には協力関係があり、
後者はしばしば売春や低賃金労働の供給に関わっている。
 不法移民を激しく非難する人たちは、彼らが仕事を奪うと同時に社会保障制度を悪用するという二重
の目的で来ていると言う。嫌われ、除け者にされた人たちの社会への貢献を評価するのは困難である。


129 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:09:33 ID:???

人身売買

欧米が豊かになったのは奴隷制度だけでなく、契約労働、囚人労働、移送された人たちの労働、そして
また農村部から工業地域の都市への移住という形での人間の取引のおかげでもあるということを考える
なら、人間が商品として扱われることに対して激しい憤りが表明されるのは奇妙なことである。人間は
常に、あらゆるものの中で最も儲かる換金作物だった。毎年、世界中で何百万人もの男女や子供が、奴
隷のような条件で売買されている。多数の若い女性や少女が誘惑、誘拐あるいは人身売買されて強制売
春やその他の性産業で働かされている。一九九七年には、中央および東ヨーロッパや新興独立国で、主
として同じ地域の国々へ一七万五〇〇〇人の女性および少女が人身売買されたと推定されている。さら
に、西ヨーロッパや北アメリカは今なお、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの発展途上国で買われた
人々の行き先となっている。


130 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:10:35 ID:???

闇経済

グローバル経済に非合法活動が占める割合について、正確な数字は明らかになっていない。それが貧困
をどれほど悪化させているか、あるいは削減しているかはわからない。いくつかの不法な事業はよく知
られている。
 隠れた経済活動について、二つのことが言える。一つ目として、世界の富を再分配する正規のプログ
ラムが存在しないことから生じている途方もない社会的不公正への反応として、犯罪活動があることは
理解できる。これが不均衡を正すことができるかといえば、もちろん疑わしい。だが、過去五〇年間に
世界の犯罪が増加していることは、人間の邪悪さが増したというよりは、世界の不公正を激しく感じる
ことが増えたことと関係していると言えるだろう。


131 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:13:16 ID:???

―アレンカ

彼女はジャーナリストに語った。「私はティミス県のティミショアラ出身で一六歳です。二〇〇一年
の二月一八日にルーマニアを出て、次の日ユーゴスラビアのベセリカ・アルバに着きました。兄弟と
一緒にルーマニアとユーゴとの間の輸出入(闇のタバコ売り)に関係していたんです。……そこにい
たとき、何人かの男がやって来て、私を車に押し込みました。彼らはアルバニア人でした。私はモン
テネグロのホテルへ連れて行かれました。一人のアルバニア人に買われて、アルバニアとの国境へ行
きました。シアクというところで、男は私を別のアルバニア人に三〇〇〇レック(二〇〇ドル)で売
りました。買った男は私をホテルへ連れて行き、セックスをしたいと言ってピストルを出し、無理矢
理しました。
 警察がホテルに着て、私は売春婦として働いていると言われて、刑務所に入れられました。それは
首都のティラナでは三一三として知られているところでした。二週間後、弁護士が付いて、法廷に立
たされました」。
 弁護士は彼女をホテルに連れて行き、二〇〇〇レックで男に売った。その男は彼女を車に乗せてア
ドリア海沿岸のヴローレへ行った。そこで彼女はヴェラという女性のところに泊まったが、ヴェラは
娘がロンドンにいると言った。ヴェラの友達と一緒に、彼女はロンドンへ行った。
 ロンドンに偽パスポートで入ると、ヴェラの夫スタニスラフが、お前は俺に旅費を四〇〇〇ドル借
金していると言った。「私はサウナに連れて行かれ、そこで働かされました。このときの私の名前は
アンジェラでした。一〇のアパートと六ヵ所のサウナで働きました。一日五〇〇ドル以上稼いだけど、
全部スタニスラフに渡しました」。
 その時、アレンカは一五歳だった。
                           (The Observer, 23 February 2003.)

132 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:22:57 ID:???

―ノイ

彼女は一一歳でタイの村の学校をやめ、両親の畑で働いた。家政婦になろうと思って、二人の友達と
一緒に、バンコクに連れて行くという業者に接触した。彼女は一六歳だった。二、三〇人の女性たち
がコールガールとして働いている家に連れて行かれた。サウジアラビアとドバイ出身のボーイフレン
ドができたが、彼らはいろんなものをくれると約束しながら何もくれなかった。
 ノイは、日本に行くところだという同じ村出身の女性に会った。旅費はただだという。彼らは東京
のホテルへ行き、次の日、日本人の男が、そこにいた六人の少女から二人を選んだ。彼はノイに、お
前は二万ドルの借金があると言った。その夜、ノイは三〇人のタイ女性が働いているバーへ連れて行
かれた。お客は三〇〇ドル支払って、二時間何でもしたい放題だった。時々、ヤクザがバーに姿を現
した。女性の誰かが逃げると、ヤクザが追いかけて、連れ戻した。同僚の女性たちは、苦しみを忘れ
るために薬物に手を出し、中毒になった。
 ノイは幸運だった。警察に逮捕され、国外追放になった。彼女は心に傷を負い、手ぶらでタイに戻
った。さんざん働かされて、一銭にもならなかったのだ。彼女は村に帰り、再び畑で働きながら、小
さな食料品店を開いた。
           (Our Lives, Our Stories, Foundation for Women, Bangkok, 1995.)


133 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:25:58 ID:???

 二つ目に言えるのは、これらの活動のほとんどは公の経済を影のように追い、機密保持と商業上の秘
密の保護という名目で守られ、しばしば役人や企業から黙認されているということである。政治の犯罪
化と犯罪の政治化が、闇経済の再分配の役割を支え、貧しい人間から金持ちへの富の継続的な流れを支
えている。闇経済が戯画的に模倣している本流の経済と同じように。
 これらの多様な経済活動への言及なしには、世界の貧困の説明は完全なものにはならない。これらに
より多くの光が当てられない限り、議論はぼんやりした、机上の空論にとどまる。
 だが、こうした不均衡が何をもたらすかは、特権の「受益者」とりわけ南の国々の豊かな少数者にと
っては明白である。
 国連開発計画は毎年、人間開発指数を発表している。そこで挙げられている、開発成功のために必要
なもののリストの中には、「生活水準の改善と、十分な食糧、水、住居、衣服、医療、教育等、あらゆ
る基本的ニーズへのアクセス」も含まれている。


134 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:31:14 ID:???

人間開発とは何か

決まり文句は「生活水準の改善」である。これは確かに、貧しい人々にとっては異議をはさむ余地のな
いものである。だが、成功した開発の基準となるためには、これが合衆国の七〇〇〇人の億万長者にも
同等に適用されるかどうかが問われるべきだろう。果てしない物質的拡大が人間開発にとって不可欠だ
という仮定は、問題にされることはない。

 豊かな世界では、「生活水準」が向上したとしても、社会的、心理的貧困は増大する。人間開発指数
は、開発の大雑把な経済的指標に対抗することを意図したものである。だが、表を見ると、人間開発指
数という考え方自体は説得力があるが、その適用は思うようにいかない。それは、人間の目標(それは
圧倒的に経済的なものにとどまっている)を支配する者たちによる定義から離れることに対し、人々が
臆病で気乗り薄だからである。
 豊かな国々の中で、人間開発指数の表〔上位二〇ヵ国〕に見当たらないのは、香港とシンガポールの
二ヵ国だけである。これら二ヵ国の代わりに、ニュージーランドとイタリアが最下位に入っている。


135 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:37:21 ID:???

―闇経済の金ぴかの子供たち

ダカールからジャカルタ、ラゴスからリマまで、南の主要な都市で目立っているのが、新しい自己主
張の強い世代、主として若い男性である。彼らは親から与えられた車で街の通りを乱暴に走り回る。
オーダーメイドのシャツや靴、光を反射するサングラス、純金の指輪や鎖を身につけ、栄養状態が良
く、輝く歯とふさふさの髪をしている。輸入物のおもちゃ、私立の教育、国外での休暇、ビデオゲー
ムなど、彼らはすべてにおいて最高のものを手に入れている。彼らは必要なものと気まぐれとの区別
がつかず、両方に同じ優先順位を与える。欲求不満への耐性がなく、挑発されると危険なほどにかん
しゃくを起こす。子供のころから、召使が着るものを用意し、食事を差し出してきた。落ち着きがな
く、わがままな彼らは薬物に手を出し、時に悲劇的な結末を迎える。サンパウロやデリーにある、入
り口の目立たない私立の診療所の奥で、その様子が見られるかもしれない。
 こうした若者は、年長者や知恵への敬意もなく、価値をおくのは金の力だけである。彼らはなによ
りも闇経済の子供たちである。彼らの両親は、不正行為、利益供与、汚職、詐欺、架空請求、投機、
高値取引で金持ちになり、こうした罪の赦しを、子供たちを通じて求めてきた。この若者たちは、殺
し屋や恐喝者の雇い主、冷酷な有力者、無慈悲な役人たちの子孫なのである。特権階級の道徳意識の
なさを合法化した経済の自由化を担ってきたのはこういう人間たちだった。
 彼らはこうして稼いだ金を、子供の罪のなさを通じて洗浄した。まるで、その金を稼ぐことで生み
出された悲惨が、子供の無邪気さというフィルターで濾され、清められるとでもいうように。


136 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:39:14 ID:???

 要塞のような大邸宅、木々を照明で飾り立て、ウィスキーを飲む贅沢なパーティ、生意気で分別の
ない子供たちのご機嫌を取るためにそこにいる召使たちの足音のように、そっと大理石の床に落ちる
花びらの香り。それでもやはり、金はその独自の価値観を親から子へと伝える。
 これが新しい、グローバルなミドルクラスである。彼らの目的は、貧困者を取り締まり、彼らより
もっと恵まれた人たちの権力を守ることにある。彼らの幸福のために無法や腐敗が不可欠だというな
ら、それで結構というのである。
 ブラックマネーの子供たちの心理は、折に触れて注目を浴びることがある。映画館に入るときにウ
ォークマンを預けるよう、若者に要求したために、映画館主が撃たれた。お手伝いの女性が車に連れ
込まれ、猥褻行為を受けた。一二歳の召使が、妊娠したために解雇された。スラム街で輪姦をしたと
訴えられた若者たちが「有力者の子弟」だという理由で刑罰を免れた。少女たちをセックスに誘うた
めに、偽の映画会社を作った者たちもいる。薬物で興奮した若者が運転する車が歩道に乗り上げ、三
人の路上生活者をひき殺した。侮辱を受けたと感じた生徒に撃たれた教師もいる。
 彼らの両親は、貧乏人への敵意に満ちている。貧しい人々が多数存在するのに、自分たちは少数で
あるから、なおさらそうなる。「われわれの国は民主主義の準備ができていない。必要なのは強い男
だ。選挙権は教育を受けた者だけに与えられるべきだ。もっと規律と責任感が必要だ」と、抑制の効
かない無秩序と社会的無責任の産物である彼らは言う。「貧民街、ヒスパニック地区、スラム、掘っ
立て小屋の住人たちには人格はない。規則が必要だ。刑罰も厳しくしなければいけない。麻薬の売人
には鞭打ち刑だ。反社会的な分子は壁の前に立たせて銃殺にすべきだ」。


137 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:45:47 ID:???

 ときに彼らは、一八歳の誕生日に買ってやった車の残骸の中で破損した遺体を確認するために呼び
出される。留置場に入れられた、薬物で異常をきたした若者が、何不自由なく育った自分の大切な子
供かどうか確認するために、警察に呼ばれる。あるいは、息子の好意を拒絶したために顔に酸を掛け
られた女性のことを内密にしてもらうために、警察に口止め料を支払う。
 なるほど、自由化である。コロンビアからインドまで、インドネシアからナイジェリアまで、伝統、
文化や宗教に逆行するあらゆるものが、この新しい階級に、その無法の権威主義の称揚と社会主義の
無視に体現されている。

 この「オールタナティブな」規定は限定的なものである。国連開発計画は、世界の主観調査の中で、
最も幸せに暮らしていると答えたのがバングラデシュの人々だったということを報告しようとはしない。
これは、バングラデシュに貧困化、腐敗、悲惨の役割を割り当てるという、一般に受け入れられている
想定にとって衝撃が大きすぎるからである。
 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスが一九九八年に行った「世界幸福調査」では、インドが世
界で五番目に幸福な国であり、イギリスは三二位、合衆国は四六位だった。ガーナ、ラトビア、クロア
チア、エストニアが合衆国より上位に位置した。オーストリア、オランダ、スイス、カナダ、日本を含
む豊かな国の人々は、ドミニカ共和国やアルメニアの人々より幸福だと感じていなかった。最も幸福を
感じていないのはロシアおよびウクライナ、ベラルーシ、モルドバを含む旧ソ連の国々であった。もち
ろん、資源(あるいは所得)と幸福感の間には関係がある。貧しい国々では、所得のわずかな増加が生
活様式やライフチャンスの大きな改善につながる。だが、一定のレベルを超えると、直接的な関係は崩
れる。豊かな国の幸福感は、緊密な人間関係、健康、仕事への満足度によって決まる。

138 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:52:09 ID:???

―不幸せな土地

収入も上がり、健康状態もよくなり、女性への機会も増大したというのに、イギリス人たちはますま
す元気がなく、人間関係に不満を持ち、市民社会から疎外されたと感じるようになっている……。
 一九四六年、一九五八年、一九七〇年の同じ週にイングランド、スコットランド、ウェールズで生
まれた人間全員――四万人以上になる――の生活を追った三つの先駆的研究がある。その最新の結果
の分析からわかるのは、社会がしだいにバラバラになり、個人主義的になっているにもかかわらず、
人々はなお自分たちの成功、富、機会が家庭環境に左右されると考えているということである。
 一九七〇年に生まれた男性の一四パーセントが、二〇〇〇年に憂鬱と不安を感じると認めている。
これに対し、一九五八年に生まれたグループでは、一九九一年に同じ答えをしたのは七パーセントし
かいなかった。同じ年の女性でも、違いは同様に目立っている。二〇〇〇年の二〇パーセントに対し、
一九九一年には一二パーセントだった。一九七〇年生まれの中で、男性の二二パーセント、女性の二
四パーセントが三〇代初めで最初の結婚に不満を感じているが、一九五八年生まれでは男性の三パー
セント、女性の二パーセントしか不満を感じていない。独身の人たちも同様に、一九七〇年生まれの
ほうがはるかに多く、自分の運命に不満を持っている。
 選挙に行くことは、大多数の人々の気晴らしから、少数者の気晴らしに変わった。一九四六年生ま
れと一九五八年生まれの六〇パーセント以上が投票しているのに対し、一九七〇年生まれは四〇パー
セントしか投票していない。
          (Changing Britain, Changing Lives, Institute of Education, London.)


139 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:52:44 ID:???

 富と満足との間の相関関係がどの時点で崩れるのかという問題に、研究の焦点を当てるべきである。
それは、経済成長で頭がいっぱいの人々に、何かそれに代わるべきものへと注意を向けさせるのに役立
つかもしれない。消費主義の行き過ぎが欧米社会の複合的な挫折に関係しているとするなら、それは間
違いなく、変化の可能性の追求に弾みをつけるはずである。しかし、現実には、この問題は沈黙のうち
に捨て置かれている。このことは、すべての人類がグローバルな「統合」のプロセスで、付加価値の高
い悲惨への同じ道をたどることを運命づける。


140 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:54:12 ID:???

富と貧困――切っても切れない仲

富と貧困とは切り離せない。これは不幸なことである。なぜなら、富と貧困とはもともと対のものでは
なかったからである。「もっと多く」という誘惑的な約束に目を奪われて、充足が人間の努力目標とみ
なされない間は、貧困を「癒す」ことはできない。それは、富のイメージがあれこれ変わるのにつれて、
絶えず形を変え、作り直されるだけである。
 われわれは日常生活のなかで、富はお金以上のものを意味すると認識している。だがそれは経験が
「豊かだ」という。すばらしい彫刻や絵画のディテールが「豊かだ」という。自然界の「豊かさ」――
その美しさ、多様性、変化に富むこと――について語る。われわれは書物に含まれた情報の「豊かさ」
を認める。われわれはまた、健康が富であることを知っている。だれでも「富をあの世へ持って行くこ
とはできない」ことを知っている。われわれはみんな、何も持たずにこの世に生まれてきて、何も持た
ずに死んでいくのである。
 だが、富を金銭で見る見方は、あらゆるものに押し付けられている。そうすることによって、この見
方は、生物多様性や世界の文化の多様性と共存できる形でニーズに答える道を塞いでいる。富の――そ
して貧困の――オールタナティブな定義は、われわれをこの専横な還元主義のプロセスから解き放つこ
とができるだろう。
 富と貧困とはイデオロギー的構成体の一部であり、それは明らかに金持ちに「有利」になっているに
もかかわらず、人類全体に耐え難い負担を強いている。


141 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 13:54:50 ID:???

―貧困の経験

インドの著述家で活動家のヴァンダナ・シヴァは、最低限の生活という意味での貧困と、剥奪による
悲惨とを区別している。
「最低限の生活を貧困と見る文化的捉え方と、追い立てと剥奪の結果生じる物質的貧困の経験とを分
けて考えるのが有効である。文化的に捉えられた貧困は、現実の物質的貧困であるとは限らない。自
給によって基本的ニーズを満足させる自給自足経済は、剥奪されるという意味での貧困ではない。と
ころが、開発のイデオロギーは、こうした経済を貧困だと宣告する。なぜなら、彼らは市場経済に全
面的に参加しておらず、市場のために生産され、市場を通じて分配される商品を消費しないからであ
る。自給のメカニズムを通じてこれらのニーズを満足させているかもしれないのに」。
                  (Vandana Shiva, Staying Alive, Zed, London, 1989.)

 世界での不平等の拡大と、現在行われている富の創造が持続可能なものでないことは、少なくとも一
つの積極的な成果を生み出した。それは、金持ちと貧しい人々の両方に、こうした極端なありかたが満
足を与えるのはますます限られた少数者になっているということを認識させたことである。このことは、
人間のニーズを経済上の必要性に従属させるようなシステムから人々を解放する、新たなプロジェクト
が生まれる可能性につながる。それはシアトル、ジェノヴァその他、特権者たちがますます秘密主義に
なった彼らのビジネスについて会合をもった都市の路上を埋めた若者たちと、収奪され、騙され、裏切
られた世界中の農民、女性、貧しい人たちとの連携を強化し、すべての人々に安定した充足を与える道
を切り開いていくであろう。


142 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 23:04:06 ID:???

アマゾンの明かり

 六〇歳を越えたいまでも忘れがたい思い出がある。小学校五年生の新学期に教科書が配られた
ときのことだ。本の山から一冊だけはみだした大判の世界地図帳があった。地図帳といってもモ
ノクロのページが多く、わずかなカラーのページは所々印刷の色がずれている。半年もたたない
うちに、製本が壊れてばらばらになってしまった。
 当時は、第二次大戦が終わって一〇年もたたない窮乏の時代だった。だが、地図のとりこにな
るのにはこれで十分だった。テレビもパソコンもない時代で、この一冊が世界との唯一の絆だっ
た。飽かずに眺めながら、どうしても解せなかったのは、世界地図の白い空白部分。
 アマゾン、アフリカ中央部、ヒマラヤ、そして南極大陸に地名も境界線も描かれていなかっ
た。つまり、当時は、地図の製作者にも情報がなかった未知の土地だったのだろう。夢にまで描
いたアマゾンを訪ねることができたのは、二十数年後だった。
 深夜のアマゾン川上流のそのまた最奥の支流を、船外機のついた小舟で下っていた。月明かり
を頼りに、インディオのガイドが全速力で舟を飛ばす。大きな流木にでも衝突したら一巻の終わ
りである。気が気ではない。途中で、川底の岩にこすって舟底に亀裂が入り、その修理にすっか
り時間をとられて、こんなに遅くなってしまったのだ。


143 :私事ですが名無しです:2006/12/23(土) 23:05:10 ID:???

 闇に包まれた岸の森林の中から微かな明かりがのぞく。ゆらゆら揺れていることから焚き火に
違いない。川沿いに小さな光が連なっているのは、水上住宅のランプだろうか。こんなアマゾン
奥地にまで人は住んでいるのだ。
 ガイドが話しかけてくる。ポルトガル、英、独語を自由に操り、信じられないほどアマゾンの
地理や自然を熟知している。いままでに会った最高のガイドだった。「こんな場所に生まれたら
どんな生活を送ったか、考えたことがある?」私がしきりに岸の明かりを凝視していたので、こ
んなことを聞いたのだろう。
 意表を突かれて答えに窮した。その後も奥地や辺地を旅していて、「えっ、こんな所に」とび
っくりするような場所に住んでいる人たちを見るたびに、この質問を思い出す。私たちは自分で
出生を決めることはできない。アマゾンの先住民インディオたちと知り合って、何回となく彼ら
の不幸を思わずにはいられなかった。この人たちは、なぜこんな場所に生まれて、こんな目に遭
わねばならないのだろうか。


144 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 06:01:36 ID:???

多発する若者の自殺

 ブラジル南マトグロッソ州のドゥラドスの警察を訪ねたとき、鑑識課で一枚の現場写真を見せ
られた。一四歳と一六歳のインディオの姉妹が同じ木で首を吊っている三年ほど前の写真だ。
「一人の男性に恋をした姉妹が、三角関係を清算するために心中をした」と調書にあった。この
映像はいまも私の意識のどこかに張りついて、「先住民」という言葉を読み聞きすると条件反射
のように浮かんでくる。
 当時、私は同州内のカイオワ族居留地で多発するインディオの自殺を追っていた。その統計や
理由を調べるために、警察を訪ねたのである。エリコ・モンチオ・バスケス検屍官が、インディ
オの自殺関係の書類だけでも厚さ一〇センチを超える分厚い検屍調書の束を見せてくれた。その
なかにこの写真があった。彼が次々と机の上に広げる生々しい現場写真のどの顔も、あどけない
少年少女のものだ。
 居留地で群発自殺が最初に問題になったのは一九八六年。この年に居留地で五件の自殺があっ
た。これをきっかけに、インディオを監督する政府法務省の特別機関、「国立インディオ基金」
(FUNAI)が統計を取りはじめた。
 二〇〇一年までの一六年間に、南マトグロッソ州で二二ヵ所あるインディオ居留地のうち一一
ヵ所で自殺があり、総数は三六一人に達する。同州の非先住民に比べると、居留地内の自殺率は
一二〇倍にもなる。


145 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 06:02:40 ID:???

 ただ、自殺を調査しているインディオの支援グループによるとこの数字は二倍近くなり、「警
察は影響を考えて故意に少なく抑えている」と批判する。インディオの間でも、「家族が密かに
埋葬してしまうので、実際にはこの三倍はある」という説があり、実態はいま一つよくわからな
い。
 とくに一九九〇年以後めだって増え、九五年には五六人というこれまでの最高を記録、九九年
にも四五人で二番目だった。男女の割合はほぼ同数だが、八割までは二五歳以下の若い層だ。自
殺者の平均年齢は一五・五歳。このうち四割までがドゥラドス居留地で起きた。
 現場写真を見ていて奇異に感じることがあった。首吊りの多くが、正座をして少し腰を浮かし
ただけの不自然な姿勢をとっていることだ。なかには、地上に仰向けに寝て、三〇センチほど上
体を持ち上げただけという低いものもある。
 法医学の専門家によると、欧米には例が多いが日本では「非定型的縊死」と呼ばれてきわめて
少ない縊死方法だという。日本家屋には高い位置で首を吊ることのできる鴨居があり、欧米はド
アのノブなどにひもをかけるためだという。


146 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 06:06:17 ID:???

 検屍官はこの自殺の方法を、いとも簡単明瞭に説明する。「昔は首を吊るのに適した大木や人
の目から隠れる林がいくらでもあった。居留地に入ればすぐわかるが、いまは森林は丸裸で大き
な木は少ない。しかも、自殺をする前には必ず前兆があり、家族や親戚が見張っている。高い木
だと見つかりやすいので、低い枝や天井の低い家畜小屋を選ぶのだ」単純すぎる気もするが、自
殺未遂者の多くが家族に見つかって助け出されていることを考えると、確かに説得力はある。
 FUNAIは専門家を集めて、この群発自殺や不自然な首吊り姿勢を検討したが、ついに結論
は出なかった。「自殺によって心を浄化するという文化に根ざす原因があるのでは」「最初にそう
した姿勢で自殺した先例を聞いて、若い人たちがこうするものだと思い込んだだけだ」といった
意見が出された。専門家にとってもナゾのままだ。


147 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 06:07:19 ID:???

居留地を訪ねる

 リオデジャネイロで一九九二年に開かれた国連環境開発会議(地球サミット)の本会議に先立
って、各国から参加した先住民の集会が開かれていた。その翌年が国連による「国際先住民年」
ということもあって、会場は盛り上がっていた。
 アマゾンのシングー地域からやってきたインディオが、上半身裸で戦闘的な踊りを披露する中
で、Tシャツ姿で片隅に隠れるようにして踊りの準備を進めていた一団を見かけた。通訳を頼ん
でいた日系ブラジル三世の女子学生、ニルザ・ヤマサキさんが、彼らを指さしながらこんなこと
を口にした。
「あの人たちはパラグアイの国境近くからやってきたカイオワ族。私の父がそこの居留地で医師
をしているので知っているけど、何十人もの若者が自殺をしているのよ」
 これまで、中南米諸国で先住民のインディオも幾度となく調査してきた。アマゾンも、ブラジ
ル、ベネズエラ、ペルー側から数回訪れたことがある。白人の侵入者に追われて、足手まといに
なる子どもを殺して熱帯林の奥に逃げ込んだ部族の話は聞いたことがあった。だが、インディオ
の間で自殺が多発していることは、まったく知らなかった。
 地球サミットの翌年、私は再びブラジルに飛ぶ決心を固めた。目指す南マトグロッソ州はブラ
ジルのアマゾン地域からつづく、大森林地帯であり、伝統的な生活を守る先住民の最後の砦でも
ある。未だに、近代社会と接触をしたことのない部族も残されている。いったい、ここで何が起
きているのだろうか。


148 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 06:08:23 ID:???

インディオ居留地

 南マトグロッソ州ドゥラドスは、サンパウロから陸路で約一〇〇〇キロ。新興の都市ながら、
同州南部の中核であり、パラグアイとの交易の拠点でもある。人口約一八万人。思っていたより
もはるかに近代的な大都市だった。クリスマスの飾りが町の大通りを飾り、浮き立つような空気
が漂っていた。碁盤の目に道路が走り、漆喰の白壁と赤いスペイン瓦の住宅が並び、目抜き通り
にはレストランや商店が軒を連ねて客でにぎわっている。
 ドゥラドス居留地までは、町の中心から二キロも離れていなかった。高級住宅街を抜け、町を
取り囲むように広がる大豆畑を横切って、歩いてわずか三〇分ほどの距離だ。アマゾンの奥深く
の大森林に抱かれた居留地しか知らなかっただけに、畑の中に浮島のように孤立する居留地には
虚をつかれた思いだ。
 インディオ居留地に治外法権を認めており、部外者の立ち入りを原則として禁止している。取
材の許可をとるために、FUNAIに人を介して願いを出し、長い交渉の末やっと許可を取り付
けた。だが、はるばる地球の裏側まできてたどり着いた居留地は、その存在を示すものは国道わ
きに立てられた弾痕だらけの一枚の看板だけだった。


149 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 06:09:58 ID:???

 入っていくと、畑とヤブの中に粗末な小屋が点在する。木の骨組みにビニールのゴミ袋を切り
開いて屋根や壁代わりに張ったものが多い。すれ違う子どもは、ほとんどが裸足で汚れたシャツ
をまとっている。大人たちも、粗末なシャツ姿で、まったくといってよいほど表情がない。町と
居留地のあまりに大きな落差に強烈な一撃をくらった。
 まず、居留地内のFUNAI事務所に顔を出して、基本的な情報を集めた。ここの人口は約八
〇〇〇人。三つの部族が住み、最大のカイオワ族が約五〇〇〇人。そして、言語や文化はほとん
ど同じでカイオワ族の本家にあたるグアラニー族が約二〇〇〇人。残りが種族的にまったく異な
るテレーナ族である。
 オルチーヌ所長に自殺の詳しい状況をたずねると、所長はむっとした表情をのぞかせた。「新
聞やテレビが興味本位で騒ぎ立てるので、インディオたちが動揺している」という。それでも、
もっとも最近に起きた新しい自殺のケースを紹介してもらった。ルシアーナさんという一五歳の
少女だった。
 一週間ほど前に一張羅を着込み、井戸の水汲み用の太いロープを持ち出して、自宅から二〇〇
メートルほどのやぶの中で首を吊った。その現場を訪ねると、真新しい十字架が立てられ、ろう
そくとお菓子の入った袋がそなえてある。ロープをかけた太さ一〇センチほどの枝は体の重みで
折れており、別の枝にロープをかけなおしたようだ。発見されたときは、両膝を地面に突いたう
つ伏せの姿勢だった。


150 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 06:12:30 ID:???

 家を訪ねると、ほとんど手入れされた形跡のないトウモロコシ畑の横に、二棟の小屋があっ
た。屋根をワラでふいて板で囲っただけの小屋は、八畳と一〇畳ほど。ここに三代の一三人が住
んでいる。彼女は六人姉弟の次女だった。井戸も電気もない。たちまち、裸足で垢だらけの子ど
もたちに囲まれた。
 父親のラウリンドさんに事情をたずねても「白人の農場に働きに出ていて、娘が失踪したのも
自殺体で見つかったのも、あとになって知った」と、下を向いてぼそぼそ話すだけだ。母親の話
から、ヒントらしいものがあった。彼女は、待ちで住み込みのお手伝いとして働いていた。
 町に戻って、高級住宅街にその白壁の豪邸を探し当てた。中庭はプールになっていて、シュラ
スコ(焼き肉)のおいしそうなにおいが流れ、ルシアーナさんと同じ年ごろの女の子が犬とたわ
むれていた。雇い主は「自殺の直前までまったく変わったところはなかった」といい、シャワー
が好きで一日に何度も入り、暇があればテレビにかじりついていたことはよく覚えている、とい
う。
 この高級住宅街と居留地は、徒歩三〇分にしてはあまりに大きく隔たっていた。同じ年ごろの
女の子とあまりに違う境遇を、どんな気持ちで受け止めていたのだろうか。ここで、彼女が味わ
ったショックは想像にあまりある。彼女はまず死にたいという絶望感が先にあって、死ぬ理由を
探していたのではないか。その絶望感が村の生活に起因するのか、白人家庭の住み込み先で形作
られたのか。あるいは、この二つの生活の段差から生まれたのか。


151 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 06:14:42 ID:???

動機を求めて

 自殺者の家庭を訪ねてみたが、どうしても動機がわからない。警察の統計では、自殺の動機の
六割までが男女関係のトラブルである。一二歳ぐらいから結婚や同棲がはじまり、精神的に未成
熟なために男女関係のトラブルが解決できないで死を選ぶ、という専門家もいる。だが、インデ
ィオは昔から早婚であり、しかもカイオワ族にとくに自殺が多い理由を説明することにもならな
い。
 家族や周辺に自殺の直接の動機らしいものをたずねても、失恋、離婚、家族の死、女房の家
出、盗みの疑い、片想い、家族との口論、他人の呪い……と千差万別だ。とても自ら命を断つほ
ど深刻なケースとは思えないものが多い。むろん、本人にとっては重大問題なのかもしれない
が、何度も自殺未遂を繰り返しているものが多いことから、ある特定の動機から衝動的に自殺を
図るとは考えにくい。
 未遂者はもっとはっきりと自殺の理由を語ってくれるのでは、と期待しつつ何人かを訪ねてみ
た。だが、これは今回の調査でもっとも気分の重いものとなった。未遂者は既遂者の数倍はいる
だろう、とFUNAIの職員は推定する。


152 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 06:20:44 ID:???

 まず会ったのは一三歳の少女。三〇人を超える大家族で住んでいた。特徴を探すのが難しい普
通の女の子だ。ただ、異様に暗い表情が印象に残った。クリスマスの日に、近くの木で首を吊ろ
うとしたときに家族に見つかって助けられた。話を聞いているときも、「自殺する気はまったく
なかった」と頑強に否定する。実は、町がもっとも華やぐクリスマスとイブの二日間で、わかっ
ているだけで四人が自殺を図って助けられた。
 二階自殺を図ったという一五歳の男の子に会ってみた。沈んだ表情を除けば、居留地ではよく
見かける普通の子だ。ただ、まだ首のまわりが赤く腫れていた。クリスマスの当日に、家の裏の
木で首を吊ったところを仮死状態で叔父に発見された。その二〇日前にも自宅近くの木にベルト
をかけてぶら下がっているところを姉が発見して助かった。
 自殺の理由をたずねても「わからない」。「将来何になりたいの」と聞くと、「何もなりたくな
い」本人が思い当たる自殺の原因がないのは、多分本当なのではないか、という思いが強くなっ
てくる。「死にたい」というよりも、「生きていたくない」という思いが強く伝わってくる。
 世界各国で、貧困や災害や内戦に打ちのめされた暗い表情には数多く出会った。だが、記憶と
重ね合わせても、この居留地で会った自殺未遂者の表情の暗さは見たことがないものだった。そ
の表情は反抗でも諦めでもない。「絶望」というほど積極的ではないし、「無気力」というほど消
極的でもない。生きていることに困惑しているというのが、一番近いのかもしれない。


153 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 06:23:10 ID:???

自殺の動機

 何が、これだけ多くの若者を死の衝動に駆り立てているのだろうか。そしてなぜ、カイオワ族
を中心に一九九〇年前後から多発するようになったのだろうか。この群発自殺を政府機関はどう
見ているのか。首都ブラジリアの官庁街にあるFUNAI本部を訪ねた。応対してくれた次長の
クラウディオ・ホメロさんは、本当に困ったという表情で両手を大きく広げて肩をすくめて語り
はじめた。
「われわれもカイオワ族の自殺の続発で、批判の矢面に立たされて調査しているが、なぜ九〇年
前後から増えてきたのか、すべての人を納得させる理由がわからない。抽象的だが、個人的には
こんなふうに考えている。
 カイオワ族は入植してきた白人に追われ続けて、ドゥラドスなどの狭い居留地にやっと安住の
場を見出した。だが、迫害を受けている間に、本来あった一種の〈来世思想〉がいよいよ強固な
ものになり、飢え、苦しみも、悩みもない死後の世界への憧れが強まった」
「とくに、ドゥラドスのようにすぐ隣が大都市の場合には、若い人たちは白人の生活をすぐ目の
当たりに見ているのでうらやましい。といって、白人にはなれない。加えて、キリスト教が入り
込んできて伝統的な価値観を混乱させ精神的に不安定になってしまった。競争力や同化力の弱い
カイオワ族が天国に救いを求めているとしか思えない」


154 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 06:27:00 ID:???

 確かに、その後も多くの関係者から聞かされた最大公約数的な意見である。でも、同じような
状況に置かれている先住民や途上国の大都市のスラム民はいくらでもいるはずだ。なぜカイオワ
族なのだろうか。
 現場ではどう見ているのだろうか。インディオの悩みを一番知っているはずのニルザさんの父
親、イタル・ヤマサキ医師が最適任であろう。両親は広島市出身。医学部を卒業後、ドゥラドス
の日系人医師の第一号として一九六一年に赴任した。
 インディオの間に結核が流行っているのを知って、翌六二年から居留地の中にあるミッション
(キリスト教の伝道所)の付属病院を手伝うようになった。ドゥラドス市の名誉市民でもあり、市
民の尊敬を集めている。端正な風貌。聞かれたこと以外はほとんどしゃべらない寡黙さ。二世と
はいえ、明治生まれの一世を思わせる人柄だ。
 ヤマサキ家のクリスマスのパーティに招待された。三〇人を超える親類や縁者が集まった。周
辺の都市だけでなく、リオデジャネイロやサンパウロなどからも集まった。次々と紹介される顔
は、実に多くの医師、弁護士、建築家などの専門職を輩出している。


155 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 06:31:23 ID:???

 ヤマサキ医師によると、今世紀はじめドゥラドスには民家が数えるほどしかなかった。一九一
〇年代には、白人は六人しか住んでいなかったという。白人もインディオとの接触はほとんどな
かった。政府は一九二三年にドゥラドス居留地を設定、三五年には正式に三五三〇ヘクタール境
界線が確定した。当時ここに住んでいた三〇〇人ほどのカイオワ族が、猟や漁で生きていくのに
十分な広さとして割り出したものだ。
 医師がやってきたころはまだ大森林に包まれており、まさに州名の「マトグロッソ」(巨大な
森林)そのままの光景が広がっていた。ドゥラドスの町の周囲には屏風のようにジャングルが立
ちふさがっていた。
「町から病院まで厚い森林で覆われて、太陽がほとんど射し込まない緑のトンネルのなかを歩い
て通った」と回想する。町の人口も一万人に満たず、多くの人は製材所で働くか、わずかの畑で
トウモロコシやコメをつくり、牛を放牧して暮らしていた。
 治療のためミッションにやってくるインディオ以外は、姿を見かけることもほとんどなかっ
た。現在と同じ場所の居留地は、まだ森林の奥深くにあって町民とはほとんど接触することもな
かったからだ。インディオたちは、森林の中で小さな畑を耕し、動物や魚をとって自由な暮らし
をしていた。
 一九七〇年代から八〇年代にかけて入植者が続々と押し寄せ、町の環境は一変した。町の発展
につれて居留地も大きく変わってきた。居留地の境界線ぎりぎりまで、白人の畑が迫ってきた。
居留地周辺が国有地で、政府が入植者に土地を開放したことが、森林破壊を加速した。


156 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 08:15:13 ID:???

 動物や魚が姿を消して、狩猟では生活できなくなった。これに拍車をかけたのが、居留地の人
口急増だ。周辺の森林の中で暮らしていたインディオも、森林の消失とともに暮らせなくなって
居留地に流れ込んできた。居留地内では生きていけないので、白人農家の小作や賃仕事、雑役な
どで暮らすようになった。
 しかし、男が出稼ぎに行って残された家族は金も食べ物もない。町のゴミ箱をあさるか(四五
ページの写真)、物乞いのような生活をするしかなくなった。とくに九〇年代に入って、いよいよ
居留地は過密になり、生きるための最低限のスペースさえなくなってきた。
 ここが八〇〇〇人を超える過密状態になるとは、指定のときには考えてもみなかった。このス
トレスは想像以上に大きい。とくに、森林の中に分散して小集団で暮らしてきたカイオワ族にと
っては、生理的にはかなりの苦痛のようだ。
 ここの居留地の特殊性として、町に近すぎる。すぐ近くには、きれいな服を着て、おいしいも
のを食べて、豊かな生活をしている白人がいる。自分たちには何もない。いくら頑張っても手に
入ることもない。とくに若い世代に残酷だ。この絶望感が自殺につながる、とヤマサキ医師はみ
る。静かな寒村に鉄道が敷かれて急激に開発が進み、住民が疎外されていく姿を描いたガルシア
=マルケスの『百年の孤独』に出てくるような世界だ。


157 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 08:16:02 ID:???

貧困・絶望・酒・自殺

 居留地の中を走れば走るほど、底無し沼のような貧しさが見えてくる。「貧困のバロメーター」
といわれる結核にかかる率が、一般ブラジル人の数倍は高い。もともと中南米の先住民社会には
結核はなく、白人が持ち込んだものだ。そのためにインディオには抵抗力がない。さらに、貧し
くて栄養状態がきわだって悪いことに加えて、狭い窓のない小屋で他の家族から感染する。
 居留地から出稼ぎに出ているインディオで、法で定められた最低賃金をもらえるものはほとん
どいない。手配師に三分の一ぐらいはピンはねされる。手元に残ったわずかな金も、酒に消えて
しまう。アル中はもっとも深刻な先住民問題の一つである。エスキモー(イヌイット)から、北
米やオーストラリアの先住民、アフリカのピグミー(ムブティ)まで、先住民の集落を訪ねる
と、ほぼ例外なくアル中が最大の問題である。
 居留地でも酔ってふらふら歩いていたり、道ばたで寝込んでいる姿はよく見かける。自殺者や
未遂者の多くは酒を飲んでいる。これを、自殺するための勢いづけと見る人もいれば、酒が日常
的生活からの逃避手段で、自殺はそれをたんに永久的にしただけ、という見方もある。オルチー
ヌ所長は、成人の七〜八割は習慣的に酒を飲み、未成年も含めて村人の一〜二割はアルコール依
存症であることを認める。


158 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 08:16:57 ID:???

 居留地内での酒の販売は禁止されている
が、現実にはいくらでも売っている。インデ
ィオ保護法で、インディオに酒を売るのは違
法行為だが、白人には処罰があるがインディ
オにはない。しかも人種差別だという批判も
あり、この規制も有名無実になっている。
 なぜアル中になるまで酒を飲むのか、とイ
ンディオにたずねても、納得できる答えはま
ず返ってこない。オルチーヌ所長はこう分析
する。「〈絶望〉〈酒〉〈自殺〉は、インディオ
社会の病根だ。〈絶望〉に身を委ねて無気力
に生きるのか、〈酒〉の陶酔に逃げ込むか、
あるいは〈自殺〉で死の世界に逃避するの
か。そしてまた〈酒〉や周囲の〈自殺〉が新
たな絶望のタネをまく」この悪循環をどうし
たら断ち切れるのだろうか。
 この言葉を聞きながら、ナチスのアウシュ
ビッツ強制収容所で生き延びた、オーストリアの精神医学者ビクトール・フランクルが、収容所
の体験を冷静に分析した著作『夜と霧』の中で引用したニーチェの言葉を思い出した。「人間は
生きる理由があれば、どんな苦難にも耐えられる」まさに、インディオたちには生きる理由が希
薄なのだろうか。


159 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 08:17:33 ID:???

 インディオのような狩猟採集社会では、手元にあるものはすべてをその場で消費してしまう生
活習慣がある。余分なものは移動のときの邪魔になるし、必要になれば食糧は森の中で見つか
る、道具はその場で作ればよい、と考えているのだ。
 酒があれば、ビンが空になるか動けなくなるまで飲む。子どもにアメをあげると、すべて口に
詰め込んでしまう。とっておく習慣がないのだ。これが、アル中を増やしている原因の一つでも
あろう。
 インディオと白人の混血で、インディオの人権運動の活動家エンリコ・ベラスケスさんにサン
パウロで会って、たまたま先住民のアル中に話が及んだときに、皮肉な顔でこういわれたのを鮮
明に覚えている。
「インディオが酒に溺れるとよく批判を浴びるが、もしあなたが五〇〇年後の世界に突然タイ
ムスリップしたら、働き口を見つけて稼げるか、その社会に適応できるか。おかしな衣装や装飾
品だとまわりからジロジロ見られるのに耐えられるか。むろんうまくできる人もいるだろうが、
まったく適応できずに絶望の淵に立たされたら、あなたなら酒を選ぶか、それともこの世から逃
げだすか」


160 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 08:19:29 ID:???

大豆ブームと居留地

 八〇人を超える関係者にインタビューしたが、そのなかで妙に頭から離れない言葉がある。ド
ゥラドス居留地で、何人かの幹部と自殺をめぐって議論しているとき、村長補佐のビルソンマト
スさんが、はき捨てるようにいったひと言だ。「自殺の動機なんて難しい議論しなくてもわかっ
ている。酸素を失った魚が口をパクパクして死んでいくように、森を失ったインディオが死んで
いくだけのことだ」
 それを確信したのは、ドゥラドスの上空をチャーターしたセスナ機で飛んだときである(六三
ページの写真)。空から見下ろすドゥラドスの町は、地上で見るよりも一段とだだっ広い。緑の絨
毯のような大区画の大豆畑がぐるりと町を取り囲んでいる。大きいものは一区画で一〇〇〇ヘク
タール以上もあるだろう。町は、巨大な絨毯の中に増殖したカビのような姿だった。
 ドゥラドス上空から機首を北に向けると、絨毯の幅が一部だけ狭くなり、その向こうにはヤブ
と小さな畑がごちゃごちゃに入り組んだ土地が現れた。小さな小屋が、あっちに一軒、こっちに
三軒、というように散っている。インディオ居留地である。隣の手入れの行き届いた大豆畑と比
べると、まるで荒れ地である。
 東西に細長い居留地を飛び超えると、景色は再び大豆畑に変わり、居留地をはさんで対称の位
置にイタポランの町が見えてきた。こちらも人口五万人ほどの中都市。つまり、居留地はドゥラ
ドスとイタポランという二つの町のすき間に、辛うじて残されていたのだ。


161 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 08:20:07 ID:???

 実はこの約二〇年前にも、ほぼこの上空のブラジルとパラグアイ国境地帯を飛んだことがあ
る。空からこの一帯の森林を見るのが目的だった。眼下にはブロッコリーを敷きつめたようなマ
トグロッソが三六〇度どこを見ても地平線まで広がり、五時間飛んでもまだ同じ光景が続いてい
た。あまりに変化に乏しい光景にいい加減うんざりしたのを覚えている。
 それにしても、居留地や町の周辺には木がほとんどない。かつて私がうんざりした森林はどこ
にいってしまったのだろうか。よく探すと、大区画の大豆畑の間に長方形や矩形の幾何学的な輪
郭でわずかに残されているだけだ。たった二〇年で、こうも変わるのだろうか。キツネにつまま
れたような気分だ。
 インディオの運命を決定的に変えたのは、一九七〇年代に入って間もなくアマゾンで起きた空
前の大豆景気だった。これは、ペルー沖のアンチョビー(カタクチイワシ)の不漁が引き金にな
った。複雑にからみ合った国際経済の相互依存の網が、こんな奥地にまで張りめぐらされていた
のである。
 ペルーは、一九七〇年には一二五〇万トンもの水揚げを記録、世界の漁獲量の一七%を占めた
ほどだった。この九八%までがアンチョビーという単一の魚種。乾燥して魚粉にされ、飼料や肥
料として輸出され、国の経済を支えるほどの
重要参品にのし上がった。このころ、先進国
で肉食嗜好が高まって、家畜のエサが不足し
ていた。


162 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 08:24:01 ID:???

 ところが、一九七二年になって漁獲量はい
きなり四七二万トンに急落した。海水温が異
常に上昇するエル・ニーニョ減少が原因だっ
た。翌一九七三年には漁獲量はさらに半減し
て、ついに一九七五年には一〇〇万トン、全
盛期の一割以下にまで落ち込んだ。
 この不漁は世界的に波紋を広げていった。
飼料業界はアンチョビー魚粉というもっとも
需要の多い蛋白飼料が高騰したために、その
代替品の大豆や大豆粕(油をしぼったあとの
粕)の買いつけに走り出した。
 とくに、当時世界の大豆生産の八割を占め
ていた米国産の大豆が急騰した。在庫はたち
まち空っぽになり、国内需要もまかなえなくなって、米国農務省は大豆の対日輸出規制に踏み切
った。この規制は三ヵ月後に解除されたが、この間にシカゴ商品取引所の大豆相場は、三・四倍
にもはね上がり、取引所はじまって以来の高等幅を記録した。牛海綿状能症(BSE)の原因と
なった肉骨粉も、蛋白飼料の高騰から本格的利用がはじまったものだ。


163 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 08:29:25 ID:???

 輸入大豆の九割までを米国に依存していた日本は、この高騰をもろにかぶって大豆製品が一斉
に値上がりし、ついには店頭から豆腐や納豆が姿を消しはじめた。大豆高騰の後を追うように、
旧ソ連が大凶作から密かに米国などで穀物を買いあさったために小麦も高騰し、戦後の食糧事情
を一変させる食糧不安へと発展していった。日本にとっては、「食糧生産の国際分業論」がいか
に危なっかしいものであるかを、改めて思い知らされた事件だった。
 この世界的な大豆ブームのときに、アマゾンのインディオ居住地では何が起きていたのだろう
か。ブラジル経済は工業化政策の成功もあって、一九六八年から七三年暮れの石油ショックでつ
まずくまで、「ブラジルの奇跡」といわれるまでに飛躍し、高度成長を遂げていた。
 この一帯の日系農家は入植後二〇年たち、離農しないで踏みとどまった農家の多くが機械を導
入して重労働から解放されつつあった。農地を増やした人も多かった。だが、石油ショックに追
い打ちをかけるように、深刻な霜害の発生でコーヒー農家は大打撃を被った。
 こんなときに、大豆の高騰が伝わってきた。どの農家も自家用のために細々と大豆をつくって
いたが、それが思いもかけない高値で取り引きされた。大豆栽培なら日本人のお手の物だ。コー
ヒーから一斉に大豆に切り替えた。大手の農家はタネまきを終えるとすぐに、農地を買うために
走り回るほどの好景気に沸いた。大豆の取引価格は七倍にもはね上がった。大豆農家の笑いが止
まらなかった時代である。


164 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 08:43:05 ID:???

 カイオワ族の居留地が点在する南マトグロッソ州南部の一帯は、道路も未整備で積み出し港ま
で遠いこともあって、地価はかなり割安だった。地元の農家はもとより、南部の南リオグランデ
州やサンパウロ州などから、大豆農地を求めて大小の資本がどっと繰り込んできた。大豆ブーム
はそのまま空前の土地ブームに発展した。大豆栽培に適さない土地は、牧場にするために買い占
められていった。
 それまで、インディオの住む土地はまがりなりにも確保されて、まだ狩りや魚とりができる自
然が残されていた。居留地内の畑でも十分に家族を養っていけた。だが、狂乱的な土地価格の高
騰で、周囲の森林は次々に焼かれて畑に変わっていった。この一帯の国有地は、政府が片端から
切り売りをしていった。居留地の中といえども、白人が侵入して勝手に開墾されていった。
 南マトグロッソ州では、農業統計がある一九七八年以後これまでに大豆生産は約四〇〇倍にも
なった。いまや、米国に次ぐ世界第二位の大豆生産国にのし上がったブラジルの大豆生産量の四
分の一は、同州が担っている。
 日本は年間約七〇万トンもの大豆をブラジルから輸入、実質的には最大のお得意先だ。国民一
人当たりの大豆消費量が圧倒的に世界一の日本で、誰がこんなブラジル奥地の大豆畑にまで想像
力を働かせただろう。
 居留地を力ずくで追い出され、住んでいた森林を焼かれたインディオは、現実にはほとんど抗
議するすべもなく、抗議しても無視されたり殺されたりして、やむなく彼らの生活を奪った農場
に職を求めるしかなかった。この間に、自殺やアル中も急増した。


165 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 08:57:08 ID:???

居留地は動物園か

 首都ブラジリアのFUNAI本部を訪れたときに、陳情にきていたシングー地域のリーダーで
あるシャバンテ族のマビオ・ジュルナさんに再会した。一九九二年の地球サミット中に開催され
た「先住民フォーラム」で、インディオの権利回復について大演説をぶった論客である。
 その演説には、オンサ(ジャガー)の毛皮をかぶって現れ、その毛皮を六〇〇ドルで売りに出
して、並み居る環境保護の活動家たちをあぜんとさせた。ジャガーは近年激減していることか
ら、きびしく捕獲が規制されている。フォーラムの主催者は彼の演説を遮り、毛皮の写真を撮ら
せまいとして滑稽なほどにあたふたした。演説後に予定されていた記者会見も中止された。
 彼の講演の趣旨はこうだった。「オレが地球サミットで一つだけ提案したいのは、ひと晩でも
いいから町の電気を全部消してみろ、ということだ。インディオは闇の中で住んでいる。ジャン
グルの闇の中にどういう気持ちで住んでいるか、少しは考えるたしになるだろう。アマゾンにダ
ムをつくって居留地を水没させて、その電気はすべて白人が使っている。どう考えたっておかし
いだろう」
 その直後に、私は彼に会見を申し入れて話を聞くことができた。彼はいきなり大声でこう切り
だした。


166 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 08:58:05 ID:???

「白人どもはオレたちが動物園からきたと思っているのだろう。オレたちが、裸で踊りをおどっ
て、弓矢を担いでジャングルの中で動物を追いまわしていれば、ヤツらは安心していられる。オ
レたちが人権だの、土地を返せだのといい立てると、たちまち『インディオの幸せは自然のなか
での伝統的な生活にある』といいだす。オレたちは動物園の動物ではない。テレビも見たいし、
車だって欲しい。白人みたいな快適な家も給料も欲しい。なぜ、同じ人間として扱ってくれない
んだ」
 毛皮の一件に触れると、さらにボルテージが上がった。
「あれは、オレたちをジャングルに閉じ込めておきたい白人への抗議だ。ジャングルに住んでい
るインディオは、オンサでも何でも昔から獲ってきたし、いまもオレたちには獲る権利がある。
獲った以上、毛皮を売ろうがどう使うかはオレたちの自由だ。オンサよりもオレたちのいのちや
生活のことをもっと考えてほしい。環境だのエコロジーだのと恰好のいいことをいうが、人間の
方が動物よりも大切にきまっているだろう」
 彼の発するメッセージは強烈である。その言い分は、現在のインディオ保護の根本的問いかけ
でもある。「インディオは文明に染まらず、白人とも必要最低限の接触しかしないで、自然が豊
かに残された居留地で住むことこそ幸せ」という考えは、インディオ保護の先頭に立ってきたキ
リスト教関係者やNGOの間でも根強い。だが、これだけグローバル化する情報化社会で、彼ら
だけを「未開」に押し込めておくことは不可能だ。


167 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 09:00:37 ID:???

 現実に、パラ州南部のカヤポ族の居留地は、八〇年代に白人と木材取引などで収益を上げて、
今や村には水道も電気もテレビ用のパラボラアンテナもある。リーダーの中には、自動車を乗り
回し小型飛行機を持っているものもいるという。
 英国の化粧品会社と提携してパーム油の輸出をはじめた部族も出てきた。むろん、きわめて例
外的な存在だが、白人側はこうした先住民には何かとケチをつけ妨害する。先住民がビジネスを
することに、抜きがたい先入観があるのだろう。
 私は、インディオの問題は、あまりに彼らを抜きにして議論しすぎだと思う。インディオは部
族によって、文化も宗教も食事も違う。農業の得意な部族もあれば、狩猟でしか生きていけない
部族もいる。だが、過去に戻すことはもはや不可能だ。
 もっとも議論すべきは、インディオが自分たちの将来を、自分らの意思でどう決定できるかの
環境をつくることだろう。近年、インディオの間からも地方議会の議員が次々に登場してきた。
そうした環境づくりにもすばらしいことだ。
 一九世紀後半以来、「文明」という名のもとに未開発地域で展開された数々の「蛮行」が、自
然を破壊し、先住民を殺戮し、文化を抹殺してきた。二〇世紀後半になって、これが「開発」と
名を変えて、かつて点と線の存在だった「蛮行」が、面となってブルドーザーをかけるように、
自然とそこに住む先住民を押しつぶしてきた。近代化とは、先住民を途上国の貧困層に組み入れ
る過程だったのだ。


168 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 09:01:29 ID:???

 ブラジルが狂奔する「開発」に私たち日本人も手を貸し、大豆の輸入ひとつとっても間接的に
せよインディオ迫害に関わっている。生物学的には環境の質を示す指標は、そこの環境にもっと
も適応してその場所以外では生存のむずかしい生き物が選ばれる。
 地球環境の悪化を示す事例はいろいろ挙げられるが、自然環境と高度に共生してきた先住民が
生きていけなくなったことこそ、地球環境の悪化が最終段階に入ったことを雄弁に物語る指標で
あろう。もしかしたら、先住民の間に自殺が多発しているのは、開発へのはかない抗議ではない
か、という気がしてならない。


(注)本文では先住民を「インディオ」としたが、先住民保護団体は、スペイン語で先住民を意味する
「インディヘナ」(ポルトガル語では「インディジェナ」)を使う運動を起こしている。これは、新大陸
にやってきたコロンブスの一行が、先住民をインド人と間違えたことに起源を発し差別的であるという
のが理由だ。しかし、現実にはほとんど定着せず、インディオのリーダーも「インディオという言葉に
誇りをもっている」として積極的に使っているので、本文でもあえて使うことにした。また、「白人」
とは白色人種のみをさすのではなく、白人社会に住むインディオ以外の民族で、ブラジル社会の支配側
にいるという意味あいで使われている。適切な用語とは思えないが、他にうまい言い回しがなく使うこ
とにした。同じように「居留地」という言葉も、インディアンの抑圧に使われてきたという反省から
「インディオの土地」という言葉に置き換える意見があるが、慣習的に定着している居留地を使う。


169 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 09:02:00 ID:???

よみがえる飢餓感

 父親が死んだときに、生涯書き続けた膨大な日記が残された。最近読み直してみて、鳥肌が立
つような既視感に襲われた。むろん、文体は昔のもので、使われた語彙や漢字も古めかしいもの
だ。だが、その発想や論理はまるで自分の文をなぞるように、次にどのように文章が展開される
かが手に取るようにわかる。
 父親も大学教師で著作も残しているが、読んだこともないし、ましてものの書き方を教えても
らったこともない。親子とはこうも似るものだろうか。こんな一節があった。「人類は、この自
然の一角をば物理の名に於いて、化学の名に於いて破壊しつゝある」(昭和一五年八月二二日)ち
なみに、私の生まれた年である。
 このくだりには思わず吹き出した。「三十分ほど遅刻して来た生徒がゐたので、その不心得を
諭してやる。それも、講義中の前を。何の断りもなしにノコノコ入り込んでくる。その無礼きわ
まること。お話の外だ」(昭和一七年五月七日)
 実は、私が大学に戻って間もなく、正確にはこの日記の五四年後に雑誌に頼まれて書いたエッ
セイに「遅れて教室にノコノコ入ってくる学生は、怒鳴りつけることにしている」とまったく同
じくだりがある。
 そして、もっともぐっときたのは、終戦後まもなく日本中が食糧難に悩まされていたころ、父
親が母と三人の息子に食べさせる食糧を探しまわるくだりだ。「一日足を棒にして、やっと豆腐
一丁を入手。子供たちが美味しそうに食べるので、苦労も飛ぶ」(昭和二〇年一二月一日)


170 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 09:04:08 ID:???

 この部分で、当時の記憶が戻ってきた。おそらく私の世代は、「飢餓感」を胃袋の片隅で覚え
ている最後であろう。戦争直後の混乱の時代、私はまだ恵まれた方だったが、それでもスイトン
や芋ガユが主食だった。あるとき、大きなサツマイモが食事だった。水っぽくてとても食べられ
なかった。
 母親に突き返すと、「上野駅の浮浪児のことを考えなさい」とえらい剣幕で叱られた。当時、
上野駅の周辺には、戦災で家族や家を失った子どもたちが大勢たむろしていた。焼け跡に出現し
た露天の食べ物屋のまわりを、恨めしそうに取り囲んでいた。誰もが、腹を空かせていた時代だ
った。
 一九八〇年代前半に、飢餓の渦中にあるアフリカの国連機関で働いていた。当時、アフリカ大
陸の二七ヵ国に干ばつが広がり、被災者は一億五〇〇〇万人に及ぶと国連は発表した。一九八六
年に干ばつが終息するまでに、少なく見積もっても三〇〇万人が餓死したと推定される大惨事だ
った。
 私は、干ばつの原因やその影響を調べるために、サヘル地方とよばれるサハラ砂漠の南側にあ
る沙漠や、東アフリカの山岳地帯の国々を回っていた。訪ねた村でも被災者の収容施設でも、誰
もが腹をすかせていた。彼らを見ていて、戦
争直後の「あの時代」が胃袋によみがえって
きた。


171 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 23:54:02 ID:???

被災者センター

 エチオピア北西部にある、ゴンダール州の
「イブナット干ばつ被災者センター」で、私
はなすすべもなく座り込んでいた。むろん、
そうした表示があるわけでもなく、誰もが
「飢餓キャンプ」と呼んでいた。一九八二年
暮れから深刻化してきた飢餓の救済のため
に、エチオピア政府が干ばつ地帯に一二ヵ所
設けたセンターのうちの一ヵ所である。
 トタン屋根の急ごしらえのバラック三棟と
テント三張り。そのまわりを、ワラぶきの掘
っ立て小屋が埋め尽くしている。数千戸はあ
るだろう。アメリカ先住民のテントのような三角形の小屋は、遠くから見ると針葉樹の林のよう
に見える。周辺には、あっちに数十人、こっちに数百人というように、地べたに黙り込んでうず
くまり、あるいは胎児のように手足を抱え込んで横になっている。その数は五万人を超える。


172 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 23:56:28 ID:???

 一年中でもっとも雨量の多い大雨季に入って一ヵ月以上もたっているのに、まだ雨らしい雨は
ない。青ナイルの源流タナ湖から車で二時間ほどのこの一帯は、ふだんなら木々が茂り、作物が
実っているはずだ。
 だが、センターの背後で緩やかに波打つ大地は、乾き切ってヒビ割れが縦横に走る。その上
を、小さな竜巻がかすかに土煙を巻き上げながら、気ままに走っていく。岩とがれきの斜面に、
やせた牛や羊がへばりついている。緑はまったく見あたらないのに、何を食べているのだろう
か。
 私の姿を見つけるや、子どもたちが駆け寄ってくる。骨がくっきり浮き出た手が四方八方から
差し出され、腕やシャツの裾を引っ張る。やせて突きだし一層大きく見える目で、「食べ物が欲
しい」と切なげに訴える。手を口に持っていって、食べ物をすすり込むような音を立てる。その
音は、長いこと耳にこびりついて離れなかった。子どもたちを振り払うのはやりきれない。
 本部のトタン小屋の前で、トウモロコシや小麦の粉の配給がはじまった。もらう方も、家族の
命がかかっているから、殺気だっている。押し合いへし合いが、こづいたりなぐったりの争奪に
変わる。列をつくらせようと、棒で追い立てる職員。毎日のように繰り返される光景だ。
 国際赤十字から送られてきたダンボール箱が開けられると、目にもまばゆい色とりどりの毛布
が取り出される。それをまとて、うれしそうにはしゃぐ被災者たち。このモノトーンの世界に
は、あまりに不釣り合いな鮮やかな色合いだ。
 まとわりつくハエと悪臭と砂ぼこり。ハエは水気をもとめて、目と口のまわりをしつように飛
び回る。白い、といっても垢とほこりで黒っぽくなった民族衣装のシャンマをまとった被災者の
胸には、キリスト教一派のコプト教徒であることを示す十字架のペンダントがかけられている。


173 :私事ですが名無しです:2006/12/24(日) 23:58:29 ID:???

 やがて、掘っ立て小屋の周辺から煙が上がった。女たちが錆びだらけの鉄板をたき火にのせ
て、醗酵パンのインジュラを焼いている。焚き火といっても、鉛筆のような細い薪やワラ屑ばか
り。燃えるものは何でも、彼女らによっ
て燃料にされる。燃料が手に入れば幸運
な方で、火を通さない生で雑穀のテフを
食べている姿も見かける。
 赤十字のマークの入ったテントをのぞ
いたとたん、すさまじい悪臭で吐きそう
になった。なかには数十人も詰め込まれ
ている。ボロを積み上げたように見えた
のは、病人たちだった。結核患者だろう
か。弱々しい咳があちこちから聞こえる。ゼーゼーという激しい息づかいが混じる。
 食糧がなくなって毒草まで食べたために、血行障害で足の腐ってきた若者。ふとももにげんこ
つが入りそうな傷口がぱっくりと空いた少年。熱帯性潰瘍である。そこから血や海が流れだしハ
エが集まっている。産後の出血が止まらず、下半身が血で染まった女性……。
 地面のむしろの上には、骨と皮ばかりにやせ衰え、お腹だけ異様にふくらんだ赤ちゃんが横た
わっている。異様に大きな目が宙を見つめている。目と口のまわりに黒く縁取りしたように、ハ
エがたかっている。ハエを追い払う体力がなくなったときが、死期でもある。ボランティアとし
て働くデンマーク人看護婦は「やってくる子どもの四〇%は重度の栄養不良。満足な健康状態の
子どもは一人もいない」と、立っているのがやっとという疲労困憊のようすだ。


174 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:01:30 ID:???

 次々に運び込まれる子どもを、すべて手当てする人も設備も薬もない。「こんなことはやりた
くないのだけど」と、看護婦が言い訳がましくつぶやく。栄養不良で収容された子どもは、まず
二の腕の太さが測られ、太い方から治療される。太い方がまだ栄養状態がましで、助かる可能性
が高いのだ。「生かす側」に選別された乳児が、スポイトでミルクを与えられている。
 テントのはじの方で、女のすすり泣く声が聞こえてきた。夫が息を引き取ったらしい。待って
いたように、白布でくるまれ担架にのせられ、枯れ木でも運ぶように軽々と運ばれていった。埋
葬が終わって、べったりと地べたに座り込んで放心状態の女性が、重い口を開いて少しずつしゃ
べり出した。
 六〇歳以上に見えるが、実際には三二歳だという。ここから歩いて五日のデルイブザという村
から数日前にやってきた。高地にある村で、裕福ではないが牛が三頭に山羊と羊が一二頭いて、
普通の暮らしだった。だが、一九八三年秋の収穫期から何も取れなくなって家畜の売り食い生活
に入った。家畜のなくなった家族から、村を去っていった。
 一二歳を頭に四人いた子どものうち、生後半年ほどの息子が栄養不良から下痢がつづいて死ん
だ。村を捨てる決心を固め、最年長の息子を親戚に預けると、一家四人で村を後にした。草の葉
や実を食べ、野宿しながらセンターを目指したが、子どもは下痢や高熱で次々に死んでいった。
やっとたどり着いたときには、夫が弱りきっていた。
 テントのすぐ後ろの小高い丘のふもとには、まるで耕起した畑のように盛り土がつづいてい
る。盛り上がった土を縁取った小石で、やっと墓とわかる。センター開設以来、二年間で一〇〇
〇人以上が死んだ。彼らがこの世に残したただ一つの痕跡である。


175 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:04:01 ID:???

 収容者以外にも毎週のように約一万人が、食糧をもらいにくる。三日間歩きづめで食糧を受け
取りにきたという老人が、通訳してくれる政府派遣の職員の前でおどおどしながら話す。「雨季
に入ったのに雨がさっぱり降らない」「食うものがないので、タネまで食べ尽くしてしまった」
「草がなくなって家畜が次々に死んでいく」「人間も腹をすかして弱っていく」「村でも赤ん坊や
老人がたくさん死んだ」
 皮肉なことに、センターに着いた二日後の夕方に、あっという間に空が真っ黒にかき曇って、
すさまじい雨が降りはじめた。恵みの雨に被災者センターの職員も大喜びかとおもったら、みな
暗い表情だ。
 これまでの経験からして、雨季に入った直後に餓死者が急激に増えるのだ。前年の収穫はちょ
うど底をつく時期であり、タネをまいたばかりの作物はまだ育たない。雨は、野外で暮らす人た
ちから容赦なく体温を奪っていくからである。
 この標高二〇〇〇メートルを超える高地で、夜になって雨はみぞれに変わった。私は、職員の
テントの片隅に寝袋を広げるスペースを見つけたが、屋外には小屋にも入れず毛布をかぶってう
ずくまっている多くの人影が見えた。翌朝は、早朝から職員はあわただしく働いていた。夜の間
に凍死した遺体の回収作業である。


176 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:06:19 ID:???

 バラックの軒先や地面の上で動かなくなった人を揺り動かして死を確かめ、二人で手足をもっ
てトラックの荷台に載せる。私も手伝ったが、大の大人がこれほど軽いものとは思わなかった。
長さが一〇メートルぐらいの穴にまとめて埋葬する。もち上げた死体はあまりに小さくて、子ど
もだとわかってはっとすることがあった。だが、しだいに慣れてきて、機械的な作業になってい
くことが自分でもわかる。この日は、数十人の死体が回収された。
 穴が、一杯になっていく。その死体の山を眺めながら、ふとこんなことが頭をよぎった。この
人たちは、なぜこんなところで死ななくてはならないのか、誰も理解していないのだろう。アフ
リカ奥地の山のなかで生まれて、祖父や父親と同じように、わずかな畑を耕し、家畜を飼い、子
どもを育てて、村から遠く離れることもなく一生を終えるはずだった。
 ところが、まったく雨が降らなくなり、大地は乾ききって作物はとれなくなり、家畜や農具を
売り払い、村を捨ててセンターにやってくる。そこで力尽きて、遠く村を離れた見知らぬ土地に
埋められる。


177 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:10:32 ID:???

高原に流れる歌

 その日も、食事する間もないあわただしい一日が終わった。看護婦も職員も口をきく元気もな
く、テントの前で焚き火を囲んで座り込んでいる。忍び寄る冷気とともに、山の端から大きく澄
んだ月が昇ってきた。ハチミツでつくったタッジという地酒が、全身にしみ渡っていく。
 そのとき、歌が流れてきた。少し離れた場所で、エチオピア人の職員が古いラジカセを取り囲
んでいる。雑音だらけのひずんだ音色を数小節聴いて、はっとした。日本の演歌ではないか。
「心が忘れたあのひとも 膝が重さを覚えてる」『雨の慕情』だ。八代亜紀のハスキーな声が、月
明かりの高原に吸い込まれていく。ここで、こんな歌を聴くとは思ってもみなかった。
 長い足を抱え込んで、膝の中に顔を埋めて聴き入る人々に、思わずたずねた。「この日本の歌
をどこで手に入れたの」一人が毅然として答えた。「これは、私らの歌だ」「でも日本語だよ」
「そんなことは問題ではない。エチオピアでもっとも人気のある歌手だ」歌は続く。「雨雨 ふれ
ふれ もっとふれ わたしのいい人 つれて来い」
 センターから戻る道すがら、近くの村で市場をのぞいてみた。テフやトウモロコシの袋以外に
も、トウガラシ、食用油などが山と積まれていた。ここから八〇キロほどのセンターでは、毎日
のように餓死者が出ているというのに。
 世界銀行の報告書がいうように「飢餓とは貧困の一形態」ということが、実感としてわかる。
センターに流れ込んだのは、農産物や家畜など現金に換えられる物をすべて失った人々である。
金さえあれば、こうして村や町で買うことができるのだ。


178 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:12:10 ID:???

若者たちの死

 DC3旅客機はけたたましいプロペラの騒音を残し、羊が逃げまどう草原の飛行場を離陸して
首都アディスアベバに向かった。疲労感と絶望感で、しみだらけのくたびれ果てたシートに座り
込んだ。いったい、何人の死に立ち合い、道端でハゲワシにつつかれている死体をいくつ見ただ
ろうか。正直なところ、こんな土地に生まれなくて何と幸せだったか、と何度となく思った。
 飛行機の窓から見える景色は、どこを見ても土、土、土。緑と名のつくものはまず見あたらな
い。その上を、風に巻き上げられた土煙が渡っていく。ところどころ、かすかに緑がのぞくの
は、人家のまわりに植えられたオーストラリア産のユーカリの木だ。川も地形をとどめるだけ
で、水は一滴もない。高原を刻む鋭い谷の斜面は崩れ落ち、鋭角のガリー(雨裂)が走る。こう
した光景は、飢餓のアフリカ大陸の各地に広がっていた。
 アディスアベバに戻った。貧しい町並みの中から、ひときわ高くヒルトン・ホテルがそびえ立
つ。国民の年収は一二〇ドル。世界の最貧国であるこの国で、一泊のホテル代が国民の年収であ
る。温水プールで泳いでいると、五、六歳ぐらいの男の子と三歳ぐらいの小さな女の子が、金網
の向こう側で「食べるものが欲しい」と身振りで訴えながら、すき間から細い腕を精一杯伸ばし
ている。
 腹をすかしていた戦後間もないころ、友だちと遊びにいった湘南の海岸には金網で囲われた米
軍専用のビーチがあり、家族が集まってパーティに興じていた。空中に投げ上げた肉をイヌが飛
び上がってキャッチする。あのバーベキューのにおいは生涯忘れることはないだろう。あのとき
の自分は、金網の向こう側にいたのだ。


179 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:14:05 ID:???

 夜が深まるとともに、ホテルのバーには着飾った政府高官、高級軍人の子弟が集まってくる。
首都の社交場である。一晩中、飲んで歌って踊る。深夜の外出禁止令も、すぐ近くのスラムや農
村で、多くの人々が飢えに苛まれている重苦しい現実も、ここからは遠い。
 この若者たちを眺めながら、ふと三人のことを思い出した。センターに向かう前に、援助の基
地になっているデシで親しくなった、キリスト教会系援助団体の若者たちである。米国とスウェ
ーデンの青年にデンマークの女性。いずれも、二〇代の若者だった。被災地に援助物資を配るチ
ームに属していた。
 険しい山や深い谷で国土が分断されたエチオピアでは、辺地の情報は断片的にしか入らない。
ちょうど、奥地で食糧の緊急援助をしている援助グループから「自動車も入れない最奥の村で食
糧が尽きて、村人が全滅の危機にあるらしい」という人伝えの情報が入ってきたところだった。
 彼らは、持てるだけの食糧や緊急物資を積んで4WDで入れるところまで行き、あとは担いで
村に運び込むことになった。エチオピア人の担当者は「そんな情報はあてにならないし、とても
行ける場所ではないから」としきりに思いとどまらせようとしていた。


180 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:16:00 ID:???

 出発の前夜、若者たちと一緒に食事をした。エチオピア産のワインを開け、「国に戻ったら魚
料理が食べたい」とか「心ゆくまで熱いシャワーを浴びたい」といったとりとめもない話に花が
咲いた。翌日の早朝、三人が現地人の運転手とともに出発するエンジンの音を、寝袋のなかで聞
いた。私もその直後に町をあとにした。
 アディスアベバのホテルでばったり出会った援助団体の職員から、知らせを聞いたとき、その
場にへたり込みそうになった。あのあと一行は消息を絶ったという。何回か捜索隊が出された
が、手がかりはなかった。運転を誤って、どこかの深い谷に転落したのだろうか。
 あの屈託のない三人の顔をいまも思い出す。別に気負ったふうでもなく、困った人がいたら助
けにいくのがあたり前という態度だった。元気だったらもう四〇代の働き盛りだ。きっと家族も
できて、昔アフリカの奥地で働いていたときのことを、子どもたちに自慢げに話していたかもし
れない。


181 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:18:58 ID:???

干ばつ孤児

 その二年後に、再びエチオピアを訪れた。飢餓はようやく峠を越えていた。東アフリカ最大と
いうアディスアベバの市場にも、以前と比べて各段に売り物が増えていた。だが、少し歩くと、
五歳にも満たない子どもの大群に囲まれた。口もよく回らない子が必死に食べ物をねだる。「お
父さんもお母さんもいない」といいながら、ここでも食べ物をすすり込むような音を立てながら
手を差し出す。
 干ばつの最大の被害者は幼い子どもたちだった。エチオピアの餓死者数は関係者の間でも、三
〇万人から一〇〇万人まで推定に大きな幅がある。だが、その死者の半数以上が五歳以下の子ど
もである。断片的な調査を見ても、干ばつの三年間に乳幼児死亡率が二〇倍以上に跳ね上がって
いることが、それを裏づける。そして、生き残った子どもも親を失い、あるいは生き別れとなっ
た。
 一九八〇年代前半の飢饉で、親と生き別れとなった孤児は推定二〇万〜二二万人という大きな
数字になる。アディスアベバから北に国道1号を四二〇キロ。スイスに本部をおく世界的な援助
団体「テール・デ・ゾム」(人間の大地)が経営する救援施設「子どもの村」を訪ねた。干ばつで
最大の被害を出したエチオピア北部のほぼ中央にある。
 かつては、うっそうと緑の茂った森林地帯だった。だが、今やほとんど木をはぎ取られ、一面
に荒野が広がる。子どもの村の一角だけは、こんもりした緑に包まれている。一二年前、前回の
干ばつのときに開設して以来、植林し開墾して築き上げてきた施設だ。


182 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:21:17 ID:???

 二歳から一八歳までの収容者二八五人は、全員今回の干ばつの「落とし子」だ。スイス、フラ
ンス、イギリス、ドイツの五人のボランティアが、医師や農業技術者として自給自足しながら子
どもの面倒を見ている。幼稚園をのぞくと、歓迎のコーラスで迎えられた。机をたたきながら、
身振り手振りを交えて精一杯声を張り上げる。見事なハーモニーを聞いているうちに、不覚にも
涙が止まらなくなった。
 明るい表情からうかがい知ることはできないが、「地獄」を見た子どもたちだ。それぞれに、
生死の境をくぐり抜けて収容されてきた。センターが土砂崩れで埋まり、一家生き埋めになって
一人だけ助かった子。村をあげて逃げ出したときに、置き去りにされた足の不自由な子。食糧が
尽きて両親が毒草を食べて死に、餓死寸前のところを発見された子。だが、ここで教育を受け、
手に職をつけて次々に巣だっていく。
 そこから、さらに北に八〇キロ。日本のボランティア組織が運営する診療所の一棟も、自然発
生的な救援施設になっていた。母親とともに入院してきたのが、母親が死んだあと誰も引き取り
にこなかったり、施設の前に捨てられていたり、などの理由で増えていった。一歳から一五歳ま
での三六人が共同生活を送っていた。
 ここでも、収容されてきたときは生死さえ危ぶまれた子が多かった。「でも、これは生き過ぎ
ね」と、日本人の看護婦が笑いながら抱き上げたタガニアという名の二歳の女の子は、一年前に
診療所の前に捨てられていたときは骨と皮だったのが、今では肥満児になって歩くのも大儀そう
だ。
 しかし、こうした施設に入れた子は幸せで、浮浪児生活を送る子や救援施設の片隅に放置され
ている子は数え切れない。だが、最近やってきた子どもは、一段と体も細く顔色も悪いのですぐ
わかる。まだ、子どもの飢餓は終わっていないのだ。


183 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:23:27 ID:???

 ここを訪ねたとき、一三歳と七歳の姉弟の父親が見つかって、引き取りにきていた。自発的に
迎えにきた、というよりは、日本人の看護婦らが手を尽くして父親を探し出してきたのである。
子どもたちは、抱き合い、涙を流して、二人と別れを惜しむ。
 だが、父親だけは子どもに再会したという感激はみじんも感じられず、おみやげにもらった毛
布と食糧にばかり気を奪われていた。アフリカを回っていて、どうしても理解できないのは、父
親と子どもの関係である。
 飢餓の村で、たまたまある一家の食事の場に居合わせたことがあるが、乏しい食事をまず腹一
杯食べるのは父親である。そして母親が食べ、年かさの順に食べていく。幼い子ほど口に入るも
のが少なく、真っ先に栄養不良の犠牲になっていく。「共倒れを防ぐ」という知恵なのかもしれ
ないが、私たちの感覚から遠いものがある。


184 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:25:28 ID:???

飢餓の原因

 私の目的は飢餓民の救済ではなく、国連環境計画(UNEP)の事務局長顧問として、深刻な
飢餓を引き起こした干ばつの原因を探るための調査だった。援助機関で働く人の間でエチオピア
に苛立つ人は多い。
 ほぼ毎年のように干ばつと食糧不安を訴え、緊急援助の要請を繰り返して海外からの援助をあ
てにしてきた。一時的な気象異変では説明がつかず、もっと構造的なものが起きていると感じて
いる援助専門家も少なくなく、そこで私が調査を依頼されたのである。
 アフリカ最古の王朝であり、独自の文化を築き上げてきた誇り高い民族が、こうした事態に立
ち至った背景では、何が起こっていたのだろうか。UNEPの専門家は、飢餓キャンプに集まっ
てくる人々を、戦乱による難民と区別して「環境難民」と呼ぶ。私も早い段階で、彼らを生死の
淵まで追い込んだ干ばつは異常気象だけでは説明がつかず、環境破壊との相乗効果ではないか、
と考えていた。


185 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:27:10 ID:???

 エチオピアの国土の二五%以上は、かつて森林で覆われていたようだ。早くから緑を失ったエ
ジプトなどの地中海諸国に、木材や食糧を輸出さえしていた。一九三〇年代でも、森林はまだ二
〇%以上残されていた。それが、六〇年の調査では一六%を割り、国連食糧農業機関(FAO)
の人工衛星写真の分析では、一九八一年にはわずか三.一%になっていた。スウェーデン国際開
発庁の最新の推定では、二.五%以下という。
 コートジボワール、タイなどと並んで、世界でもっとも急激に森林を喪失した国に数えられ
る。FAOの統計によると、エチオピアでは六〇年代に毎年一〇万ヘクタールずつ破壊されてい
った森林が、八〇年代に入って東京都とほぼ同じ面積の二〇万ヘクタールに倍増した。だが、二
〇〇〇年には切る森林も少なくなってきて六万ヘクタール以下になった。
 アディスアベバ大学の地理学研究室に保存されている黄ばんだ写真の束が、何よりもその森林
消失の証拠である。一九三〇年代、エチオピア侵略をもくろむイタリアが、密かに写真家を送り
込んで撮らせた各地の記録である。
 どれを見てもうっそうと気が茂り、川や湖は澄んだ水を湛えている。ゴンダール州やウォロ州
などの干ばつ地帯を訪ねる度に、そんな風景は残されていないか探し求めた。だが、わずかにコ
プト教会の敷地内に残されているのを見かけただけだった。
 同大学の気象地理学の権威、ダニエル・ゲマチェ教授は「こんな事態を招いたのは、封建制度
と土地利用の失敗だ」といい切る。国民の八〇%が農民で、一九七四年の軍事クーデターで王政
が倒れる前には、大土地所有者と農奴さながらの小作人という中世そのままの封建制度がつづい
ていた。


186 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:30:24 ID:???

 小作人も不在地主も土壌や水の保全には関心を払わず、これが土壌の悪化を招いてきた。そし
て、この高原の国でも五〇年代以降、人口の爆発が始まった。五〇年に一八四〇万人だったの
が、私が滞在していた八〇年代半ばには三六〇〇万人を超えた(二〇〇〇年には六三〇〇万人に達
した)。最近では毎年約一〇〇万人ずつ増えつづけている計算である。
 また、家畜も人間の増加と正比例して増えていく。牛、山羊、羊は一九五〇年には全土で四〇
〇〇万頭いたのが、八〇年には七三〇〇万頭に増えた(九八年には九六〇〇万頭)。人間は、森林
を焼き払い、切り払って畑や放牧地に変える。さらに、薪集めのために膨大な森林が伐採され
る。家畜は、容赦なく緑を食べ荒らしていく。
 こうして人間と家畜の圧力によって緑が消え失せ、畑や放牧地の養分が枯渇し、斜面の乾き切
った表土が雨や風で流されはじめた。FAOの調査では、農耕地の五二%で土壌浸食を起こして
いて、総土壌流失量は年間一〇億トンを超える。毎秒にして三二トン。
 エチオピア飢餓を土壌流失による人災、と決めつけたスウェーデン赤十字のレポートは「一秒
ごとに、縦横五メートル、厚さ一メートルの土の塊が雨や風で運ばれていくのを想像できるだろ
うか」と、その激しさを形容している。
 表土は農業生産に欠かせないものだ。最重要の「農業資源」といってよいだろう。この世界最
貧国のエチオピアは、その貴重な資源の世界最大級の「輸出国」である。無償でナイル川の下流
に提供しているのだ。雨季にナイル川上流地帯の河辺に立つと、たっぷりと赤褐色の土を含んだ
水が流れていく。苛立たしい光景である。本来ならば、この土がエチオピアに大地の実りをもた
らすはずだったからだ。


187 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:31:25 ID:???

 エチオピアの地質学者、メスフィン・ウォルデ・マリアムは『エチオピアの地質入門』(一九
七二年)で、こう慨嘆している。
「エチオピア北部は、侵食によって表土を失い農業はほとんど潰滅してしまった。農業が長い年
月続けられ、森林が姿を消してしまったこれらの地域で、今や農業の潜在的能力がなくなってし
まったのは驚くにあたらない。だが、同じ環境の過程が何の対策もとられないままに、南部諸州
に拡大しているのは驚くべきことだ」
 農業国家にとって土壌浸食は破局的な問題である。何よりも、世界でも最低水準に落ち込んで
しまったエチオピアの栄養水準が、この記述を裏付けている。一日一人平均一七二〇キロカロリ
ー。七〇年代から一三ポイントも減少して、必要量の七四%しかとれない(一九九七年時点でも
一八五〇キロカロリーで依然として必要量を下回る)。四分の一の人口がつねに、海外からの援助に
頼っている計算になる。


188 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:33:46 ID:???

人間侵略の歴史

 首都アディスアベバを取り巻く丘陵地帯の過去を振り返ると、大地を侵略する人間の恐ろしさ
が改めて浮かび上がってくる。一八八七年に皇帝メネリク二世がこの地を首都と定めたとき、豊
かな杉林に囲まれ、澄んだ流れが縦横に走っていた。アディスアベバは「新しい花」という意味
だ。皇帝がこう命名したほど美しい所だったのだろう。
 しかし、首都となって人間の流入が開始されるや、乱伐と土壌浸食が始まった。この一〇〇年
余の間に、首都周辺の利用可能な土地はすべて耕され、炭焼き業者は半径百数十キロの森林を丸
坊主にしてしまった。首都を流れるアワシュ川とその支流は、土砂で埋まり水も濁って遷都当時
の面影は跡形もなく消え失せた。
 東アフリカで長年生態学の調査に打ち込んできたレスリー・ブラウンは著書『東アフリカ山地
と湖』の中で、「エチオピアを北から南に旅していけば、この国の発達の歴史と土壌悪化の跡を
たどれる」と述べている。
 古くは古代エジプト文明の影響を受けて農耕がはじまったとされるこの国の開発は、北部、つ
まりいまや恒常的な飢餓地帯となってしまった一帯から進んできた。その歴史は現在も進行して
いるように、木を伐り尽くし土地の生産力を食いつぶしては南下していくという略奪的なものだ
った。


189 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:36:05 ID:???

 建国以来、首都所在地を追っていくと、アンコベール、アリュアンバ、デブレバーハン、リチ
ェ、エントト、ホレタ、スルルタを経てアディスアベバに至る。首都周辺の森林を伐り尽くして
エネルギー危機に見舞われると、遷都するという繰り返しである。
 その最後のアディスアベバも、遷都後三〇年にして深刻な薪不足をきたし、再び首都の移転を
考えたほどだ。それは、メネリク皇帝が一九〇五年から開始したユーカリ植樹の奨励でやっと切
り抜けた。
 現在でも、この都市を支えているのはユーカリだ。薪のほぼ一〇〇%、建築材の九〇%がユー
カリである。町を歩いていると、夕方に牛車やトラックに満載されてユーカリの丸太や薪用の枝
が運び込まれてくるのによく出くわす。だが、そのユーカリも年々少なくなっている。最近また
遷都論が浮上している。


190 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:42:26 ID:???

貧者のエネルギー危機

 干ばつ地帯の中心にあるデシの町は、各国の援助団体のマークをつけた車に混じって、背中に
炭や薪の束を背負った人やラバの大群が歩き回る。沿道で炭の袋を積み上げて売っている人にた
ずねると、以前に比べて、干ばつがひどくなるにつれて、価格が暴落しているという。八〇年半
ばには半額以下になってしまった。
 干ばつで不作となった農民は、まず家畜を売って穀物に換えた。農民がつねに家畜を一頭でも
増やそうとしてきたのは、こうした緊急時に備えるためだった。被災地では、一斉に売りに出た
ために、牛の値段が一〇分の一にまで暴落した。次に換金できるものは、薪や炭しかなかった。
 大切にされてきた急傾斜の山腹の林も、水源林も片端から伐られて薪や炭になっていった。そ
れも伐り尽くして何もなくなった農民が、村を捨てて飢餓センターへと流れ出した。炭の値段の
暴落は、この大量の伐採が原因である。飢餓のたびに森林が失われていくのは、干ばつで木が枯
れたとばかり思っていたが、それは単純な思い込みだった。


191 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:44:01 ID:???

 エネルギー源を薪や炭に頼るエチオピアでは、国民ひとりが年間約一立方メートルの木を消費
する計算だ。最近では、エチオピアにおける森林破壊の最大の原因は、開墾ではなく薪取りのた
めだ。一九六五年ごろを境に、薪の消費量が木の生長量を上回り、この二〇年間に森林の二〇%
が主として薪のために姿を消した。
 すでに、薪が手に入りにくくなってきた。薪集めは水運びと同様に女性の仕事だが、その仕事
も次第に過酷の度を加えている。場所によっても大きく異なるが、平均して週三回、一回六〜八
時間かけて遠くに薪集めに出かけるというのが標準だ。一回に三〇キロもの薪を運ぶのは、大の
おとなでも重労働だ。
 とくに薪炭の購入に頼る都市住民の場合は、経済的な負担が大きくなっている。通常の家計で
は、薪購入が所得の三〇〜四〇%にも及ぶようになってきて、エンゲル係数ならぬエネルギー係
数が都市住民の家計を圧迫している。都市周辺の緑は燃料用に持ち去られて姿を消し、ときには
町の中の街路樹まで枝を折られたり樹皮をはがされたものも目につく。
 薪の手に入らない人は、牛フンやトウモロコシの茎などの作物屑を燃料に使う。牛フンを燃や
す習慣は、インドやネパールなどのように、早くから森林が失われたところでは普通に見られる
が、アフリカでも最近は急速に普及してきた。薪の不足地帯を歩くと、女性がカゴを持って放牧
地で牛フンを拾い、それをこねて円盤状にして干している光景をよく見かける。
 だが、フンは本来、畑に還元して肥料にすべきものだ。アフリカでは化学肥料がほとんど普及
していないため、フンや作物屑がもっとも重要な肥料源になっている。FAOの専門家は、牛フ
ンを燃やすことによって、通常のトウモロコシやソルガムなどの場合、一ヘクタール当たり年間
五〇キロの収量減になっていると、はじいている。この行き着く先も、畑の不毛化→不作→飢餓
という道筋である。


192 :私事ですが名無しです:2006/12/25(月) 00:54:49 ID:???

 薪不足を少しでも軽減しようと、ボランティア・グループは各国で「改良かまど」の普及に力
を入れている。アフリカの農村のかまどは、たき火のまわりに石を三つ置いただけ。その上にな
べや鉄板をのせて料理する。いかにも燃料の効率が悪そうだ。これを七輪のような閉鎖的なもの
にすれば、薪の消費が数分の一ですむ、というのがもくろみだった。だが、現実には一部を除い
て思ったよりは普及しなかった。
 村人に聞いてみると、それも当然である。かまどは煮炊きするだけのものではない。暗い小屋
の中では、照明であり、雨季には零度近くまで気温の下がる砂漠地帯では、暖房としても欠かせ
ない。けむいかまどを我慢しているのは、マラリア蚊などを防ぐ意味もある。改良かまどは結果
として、場所によっては生活実態を無視した押し付けとなった。
 エチオピアの北部で国道を走っていると、村に入ったとたんに一面にアスファルトがはぎ取ら
れて大きな穴になり、普通の乗用車では通れないような場所に出くわす。理由は夕暮れになって
わかった。付近の主婦がザルと斧を持って次々に姿を現し、アスファルトをたたき割って持ち帰
る。燃やすものが何もなくなって、アスファルトを燃料代わりに使っていたのだ。
 実はこの薪不足地域は、飢餓地域と重ねるとぴたり一致する。根は同じ森林の破壊にある。一
方で、農地や放牧地を荒廃させ、他方で燃料不足に追い込んだのである。薪を集める、畑を広げ
る、家畜に草を食べさせる、こうした毎日の生活の積み上げが、やがて森林を枯渇させ土壌を悪
化させる。
 そこに干ばつが襲ってくると、大地は作物をつくり家畜を育むことを拒否する。エチオピアの
姿は、意図せずに自然を収奪しつくしていく人類のサガをみる思いがして仕方がない。


193 :私事ですが名無しです:2006/12/26(火) 01:12:07 ID:???

勢いを増す砂漠

 理由もないのに、ふと思い出すことがある。あのサハラ砂漠の近くの村人たちは、いまどうし
ているだろう。村に住んでいたときの情景が、白昼夢のように次々と浮かんでくる。好奇心に目
を輝かせて、私をつけまわしていた人なつこい子どもたち。木陰でお茶を飲みながら、終日おし
ゃべりに明け暮れるヒゲ面の男たち。文句ひとついわずに黙々と働く女たち。あの村にも、オー
ブンに放り込まれたような暑い季節がめぐってきたころだ。ことしの収穫はどうだったろうか。
 数ヵ月間の村での生活は、「生きている」ことの意味を考えさせられる毎日だった。電気も水
道もなく、太陽が昇れば起き出して働き、沈めば寝る。水を汲み、薪を集め、家畜の世話をす
る。父親や祖父や曾祖父がしたのと同じように、雨季が近づけば畑を耕し、乾季になれば家畜を
連れて放牧に出かける。そうした生活が何百年とつづいてきたはずだ。
 年間降水量は人間が定住する限界でもある。だが、こんな過酷な土地でも、近年じりじりと人
口と家畜が増えつづけ、生態系への圧力がしだいに高まっている。わずかな樹木が伐採されて姿
を消し、酷使された畑の土壌は疲れ果てて、砂漠は勢いを増していく。
 それでも、村人は生活を変えられない。変える術もない。同時に、こんな奥地の村にまでグロ
ーバル化する経済が触手を伸ばしてきた。スーダン北西部の砂漠の村に住み込んだときの記録で
ある。


194 :私事ですが名無しです:2006/12/26(火) 01:14:50 ID:???

砂漠の村を目指して

 スーダンの首都ハルツームから、西端の北ダルフール州の州都エルファシャに向かう国連のチ
ャーター機に乗って、さまざまに表情を変える砂漠を眺めていた。飛行機は、上昇気流に煽られ
て大きな上下動を繰り返しながら飛びつづける。眼下のサハラ砂漠は、褐色の大海原をそのまま
静止画像にしたような光景だ。
 巨大な大波がうねるような砂丘。さざ波や三角波のような風紋が大地に大胆な模様を刻む。白
褐色、茶褐色、赤褐色、黒褐色……砂の色は刻々と変化する。子供のころ夢をはせたあの地図
帳の「空白地帯」は、こんな色だったのだ。
 カナダで会った作家のマイケル・オンダーチェから、「美しい砂漠を探している」と相談を受
けたとき、私は躊躇なくこの一帯を推薦した。自作の『イングリッシュ・ペイシェント』を映画
化するために、冒頭の砂漠のシーンを探していたのだ。公開直後に映画館に駆けつけた。生涯で
もっとも感激した映画だった。とくに砂漠のシーンには思わず涙が出た。


195 :私事ですが名無しです:2006/12/26(火) 01:16:51 ID:???

 エルファシャから4WDに乗り換えて目的の村に向けて出発した。町を出て間もなく、車は半
砂漠に突っ込んだ。砂の中にトゲだらけの低木が点々とのぞくだけの疎林地帯。木々は乾季で葉
を落としているので、冬枯れの原野を行くような荒涼とした光景だ。
 この一帯は、「サヘル地方」と呼ばれる。サハラ砂漠の南縁に沿って、スーダンからチャド、
マリ、ニジェールなどを通ってアフリカ大陸を横切り、西海岸のセネガルまで伸びる幅二〇〇〜
五〇〇キロの砂漠と森林の緩衝地帯だ。繰り返し干ばつに襲われ、アフリカの飢餓地帯、貧困地
帯の代名詞にもなった。
「サヘル」とは、アラビア語で「岸辺」の意味だ。文字通り、緑の岸辺である。六月下旬になっ
て前線の北上とともに雨季は緑を伴ってくる。木々は一斉に芽を吹き、草が萌え出す。一二〜一
月の雨季の最盛期には数十キロからところによっては二〇〇キロも、砂漠が緑に変わる。
 エルファシャから約一八〇キロ。ミシュランの地図には、頼もしげな太い道路の線が書き込ま
れている。だが、道路といっても、砂のなかにかすかに残る轍でしかない。砂に車輪を取られて
は立ち往生を繰り返しながら、八時間以上かけてブルーシ村に近づいた。
 小高い砂丘の上から集落を見下ろすと、二〇〇戸ほどのワラ小屋が肩を寄せ合っている。大海
原に浮かぶゴミみたいで心もとない。緑の波は近くにまできているはずだが、まだここまでは届
いていない。


196 :私事ですが名無しです:2006/12/26(火) 01:19:06 ID:???

 やっと村にたどり着いたときには、よれよれになっていた。日本製の温度計は、上限の五〇度
で振り切れたまま。暑いというよりも、脳みそがグツグツと煮えている気分である。エアコンの
スイッチひとつで、快適な環境が保証される生活に慣れた体には、かなりこたえる。
 村の中央で車を降りると、のしかかるような強烈な太陽の下で、誰もが木陰や軒下で眠ってい
た。ここはイスラム系の住民。ちょうどイスラム暦の第九月、ラマダン月にあたる断食期間中だ
った。日の出から日没まで、食べ物も水もとれない。この暑さと空腹で、村人はひたすら寝てい
たわけだ。
 私が居候するのは、村の長老のイブラヒム・ユセフさん一家。息子が同州政府の農業相で、そ
の紹介状を持参してきた。村では一族ごとにワラでつくった塀で敷地を囲い、その中に円錐形の
ワラぶきの小屋が並ぶ。
 不意の客を迎えたユセフ家のワラ塀の中は、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。小屋の一
つから寝ぼけまなこの若い男が追い出され、ベッドやら水がめやらが次々に運び込まれてゲスト
ハウスに早変わりした。直径五メートルほどの円形の室内は、風通しもよく快適である。


197 :私事ですが名無しです:2006/12/26(火) 01:21:28 ID:???

干ばつ後遺症

 一夜明けると、空はきなこ色に曇っていた。「砂曇り」といったらよいだろうか。北に広がる
サハラ砂漠から、細かな砂が風で舞い上げら
れ運ばれてくるのだ。村は朝五時には活動が
はじまっていた。ロバの背に皮袋を積んで井
戸に水くみに出かける子どもたち。斧を担い
で薪取りに出かける女たち。人口一〇〇〇人
ほどの平和そのものの村である。
 外国人はほとんどやってきたことがない村
では、日本人の来訪はそれだけで大ニュース
となった。私の目的は、最近この村を襲った
干ばつに伴う環境変化の調査である。どこに
いっても黒山の人だかりになり、聞き取り調
査に足を運ぶ必要がないぐらいだった。同行
の通訳を通じて、集まった村人に「まず、干
ばつの様子から聞きたい」と水を向けるや、
われ先に話し出した。
 どの村民も「こんな干ばつは初めて」と口
をそろえる。この一帯の長期の雨量を見る
と、一九六〇年から七〇年代にかけての機構の順調な時期には、年三六〇ミリ前後も降った。と
ころが、七年ごろから雨量は確実に減りはじめていた。


198 :私事ですが名無しです:2006/12/26(火) 01:23:34 ID:???

 何とかしのいできた村民も、八〇年代半ばに力尽きた。農業にもっとも重要な八月の雨量が、
平常時の一割以下の一〇ミリになってしまい、作物は壊滅状態になった。タネまで食べ尽くして
まき付けのできなかった農民も多かった。
 アブデル・ラーマンさんは、「うちは娘一人を死なせてしまったんだ」と目をうるませる。二
五歳から七歳までの一〇人の子持ちだった。ちょうど一年前、ミレット(キビの一種の主食穀物)
が底をついた。
 口に入るものなら何でもかき集めた。家畜の餌にしかならないゴマ油のしぼりかすまで食べ
た。それも手に入らなくなって、三日、四日と何も食べられない日が増えていった。もともと体
の弱かった九歳の娘の衰弱がひどくなり、朝起きたら死んでいた。
 この話に人の輪が大きく頷く。「ほら、モヘッドのことも話さなくちゃ」とせっつかれて、ユ
セフ・サビールさんが重い口を開いた。モヘッドは野生の木の実だ。これをつぶして一週間以上
水にさらして毒を抜いて食べるのだ。これが村民最後の非常食となった。だが、さらし方が足り
ないとひどい下痢を起こす。
 どこの家でも、総出でモヘッドの実を探しまわった。ユセフさんの家ではこれを探しに出かけ
たすきに、水につけてあった実を空腹に耐えかねた五つの孫が食べてしまった。下痢が止まら
ず、脱水症状を起こして死んだ。


199 :私事ですが名無しです:2006/12/26(火) 01:25:36 ID:???

 話の途中で、やじ馬の子どもが遣いに走らされ、モヘッドの実を持ってきた。サクランボ大の
果実の中に大豆ほどの実が入っていた。わかっているだけで二五人が餓死、一二人が中毒死し
た。死者の多くは子どもと老人だった。死者は、畑も家畜も持たない村の貧困家庭に集中していた。
 一九七〇年前後からつづく干ばつの理由を村人に問うと、インシュアラー(アラーのおぼし召
し)という答えとともに、「村のまわりの自然がすっかり変わってしまったのが、これと関係あ
るのでは」という心細そうな返事が返ってくる。
 とくに、乾季に移動放牧(移牧)をしている人にとっては深刻だった。アダム・モハメドさん
は七月、いつもの通り畑のタネまきを終わると、牛一九頭、山羊一〇頭を連れて南へ移動放牧に
出た。タネまきを終えると、畑を荒らすので家畜の放し飼いはできなくなる。しかも、村に四つ
ある井戸はすべて私有で水が有料なので、負担を少なくするために、収穫期まで男が家畜を連れ
て旅に出るのだ。
 子供のころから父親に連れられて三〇年も放牧をしているので、この一帯は知り尽くしてい
る。いつも草が多い場所に家畜を連れていったが、まったくない。毎年必ずできる水たまりもな
い。長年培った経験が役に立たなくなっていたのだ。そこから一週間かかる次の水場を目指し
た。その途中にも草はなく、家畜は次第に弱って一頭ずつ死んでいった。二ヵ月後にやっとの思
いで村に帰り着いたときには、牛は一頭、山羊は三頭に減っていた。


200 :私事ですが名無しです:2006/12/26(火) 01:28:21 ID:???

活動を始めた休眠砂丘

 村民の訴えを聞きながら、片時も頭から離れない光景があった。ハルツーム大学環境科学研究
所で見た二枚の人工衛星写真である。一九六八年と八四年に、北ダルフール州一帯を上空から写
したものだ。六八年の写真には、勝手きままな区画でミレット畑が広がっている。どこにでもあ
る光景だ。八四年の写真を見ると、畑の中にクジラの腹のようなヒダヒダが何十本もうねり、畑
は一〇キロ以上も南へ押しやられていた。
 そのヒダヒダの正体をどうしても探ってみたい。農業普及員のエルドマ・スレイマンさんに案
内を頼んだ。彼は「実は私の畑もひどいことになっちまって」と、苦り切った表情だ。
 村を少し出たところに小高い砂の山が続いていた。ゆるい傾斜を登るのも苦労するほど砂がサ
ラサラ流れる。その中からわずかに顔をのぞかせているのは、枯れたミレットの茎。畑だったの
だ。「危ないと思ってはいたが、ついに昨年から砂が動きだした」


201 :私事ですが名無しです:2006/12/26(火) 01:31:29 ID:???

 砂漠化といっても、さまざまな侵略の方法をとる。サハラ砂漠の最前線は、ここから北にまだ
数十キロある。砂漠の本体が押し寄せるのでなく、こんな離れたところにゲリラ戦法で攻撃を仕
掛けてくるのだ。地質図には、この一帯を「ゴーズ」と記してある。ゴーズとは、アラビア語の
古い砂丘のことだ。サハラ砂漠は地球的な気象の変動に伴って、何回も緑におおわれたり砂漠に
なったりを繰り返してきた。
 一万二〇〇〇年前に、サハラ砂漠が今よりも数百キロも南に拡大した最盛期があった。この一
帯も砂丘が張り出していた。だが、八〇〇〇年前になると、再び湿潤な「緑のサハラ」といわれ
る時期を迎えて、砂丘は草で覆われて有機物がたまり、あるいは鉄分が固まって、パンの皮のよ
うに厚さ一五〜二〇センチの層ができた。それ以来、砂丘は動きを止めた。
 このパンの皮は、農業や放牧には最適だった。砂地と違って水持ちがよい。養分も多い。草も
茂る。一九六〇年代の順調な天候でこの地域に進出してきた人々は、ここでミレットをつくり、
家畜を放牧した。気づかない間に、「波打ちぎわ」を北に大きく踏み出していた。


202 :私事ですが名無しです:2006/12/26(火) 01:33:23 ID:???

 増えつづける人口や家畜は、薄い層に重圧を加えた。土を休ませずにミレットがつくられる。
家畜は根こそぎ草をあさり、ひづめで踏み抜く。これに干ばつが追い討ちをかけ、ついにパンの
皮はあちこちで破れはじめた。中身の砂が流れ出し、眠っていた砂丘が数千年ぶりに活動を再開
したのだ。これこそ、ヒダヒダの正体であった。やがて、動き出した砂丘はつながり合い、緑を
失って無防備になった土地を飲み込んで、サハラ砂漠の一部となっていくことになる。スーダン
北部では、年平均五キロずつサハラ砂漠が拡大している。
 よく耳にする「砂漠化」は、サハラ砂漠が一方的に拡大して侵略するように考えられがちだ
が、実際にはこのように周辺の半乾燥地帯で人間と家畜に屈してミニ砂漠ができ、それがつなが
り合って次第に勢力を増し、迎合するようにサハラ砂漠にすり寄っていくのだ。


203 :私事ですが名無しです:2006/12/26(火) 17:37:56 ID:???

歯車が狂いだす

 人間と自然のバランスの崩壊は、一九六〇年代に入って人口の急激な増加とともにはじまっ
た。村の歴史は意外に新しい。四〇年ごろは、水の出の悪い井戸を取り巻くように二五家族の約
二〇〇人ほどが住んでいただけだったらしい。
 一度汲み上げると次に湧いてくるまで時間がかかり、井戸のまわりには寝転んで待つためにい
つもゴザが敷いてあった。そのゴザをアラビア語で「ブルーシ」といい、これが村の名になった
――というのは居候元のイブラヒムさんの説である。
 六〇年代のアフリカ大陸は稀に見る順調な天候に恵まれ、ほとんどの国が食糧を自給自足して
いた。次々と植民地の鎖を断ち切って独立、「暗黒の大陸」が「希望の大陸」に生まれ変わった
ころでもある。この村も、六〇年代に入って、この一帯の地盤を形成するヌビア砂岩層から水脈
が相次いで見つかり、井戸が五ヵ所に増えた(その後一ヵ所は涸れた)。
 当時の雨量はかなり多く、雨季とともに「緑の前線」も現在より一〇〇〜二〇〇キロも北へ上
がってきていた。この一帯は土が肥え、北ダルフール州の穀物倉とさえいわれていた。


204 :私事ですが名無しです:2006/12/26(火) 17:40:00 ID:???

 人も家畜もこの半乾燥地へと移り住んできた。年三%を超える自然増に加えて、この社会増が
人口を膨張させていった。このころ人口は五〇〇人を超えたようだ。村人に出身をたずねると、
その当時に親が東や南から移住してきた人が圧倒的に多いのも、それを裏づける。
 家畜頭数の資料は乏しいが、州政府が行った一九五六年と八三年の州全域の調査では、牛が二
・八倍、山羊が三・四倍、羊が三・〇倍になっている。ブルーシ村では、これを上回る増加をし
たことは間違いない。このあたりでは、人がひとり増えると家畜が四〜五頭増える計算だから
だ。ひとり分の肉やミルクを確保するには、それだけの家畜が必要である。
 ここのように、正常でも雨量が三〇〇ミリもないところでは、土中の水分と養分を回復させる
ために、三〜四年耕作をつづけると、四〜八年ほど畑を休ませる。土を守るための知恵である。
人口増は、まず穀物の需要増となってはね返ってきた。
 人々は知らず知らずのうちに、畑を増やしていった。といっても、可耕地には限度があり、村
から畑までの距離も一〇キロほどが通える限界だ。手っ取り早い増産手段として、休耕期間が短
縮されていった。


205 :私事ですが名無しです:2006/12/26(火) 17:40:35 ID:???

 その一方で家畜も増えていく。乱伐で木が少なくなったうえ、家畜の侵入を阻んでいた枯れ枝
の堆積が、畑や家の囲い用に持ち去られて、家畜が林内を自由に出入りできるようになった。山
羊や羊は、木にまで登って葉や枝を食べ、芽生えてきた木の実生を根こそぎ食い尽くしていっ
た。その結果、トゲが鋭くて家畜が食べられないトルティリスやラディアナといった役に立たな
いアカシアばかりがはびこることになった。
 一九七二〜七三年が頂点となった前回の干ばつ後、半減した収量を補うために、開墾が一段と
加速された。そして、一九八三〜八四年が最悪となった干ばつは、貯えもなく、自然も前回の痛
手から立ち直っていないところを突かれた。
 七〇〜八〇年代にかけて、村の半径一〇キロ以内の森林は以前の二〜三割に減ってしまったと
推定され、畑も放牧地も乾燥の極に達していた。牛と山羊の九割が死に絶え、男たちは出稼ぎに
出て、人口は半分以下になった。


206 :私事ですが名無しです:2006/12/27(水) 20:45:30 ID:???

アラビアゴムノキの壊滅

 こんなアフリカ大陸の奥深い砂漠の村でも、世界と太い絆で結ばれている。村人の誰も知らな
いその絆は、アカシア・セネガルの樹脂であるアラビアゴムである。スーダンは世界のアラビア
ゴム需要の八割をまかなう最大の生産国だ。アラビアゴムといっても、昔使われていた円錐形の
ビン入りのゴム糊ぐらいしか思い浮かばないが、実は日常生活の思わぬところまで深く入り込ん
でいる。
 ジュース、アイスクリーム、キャンデー、チューインガムなどには、成分を均一に保つ乳化
剤。粒状チョコレートやキャラメルには製品の形を整える添加物。医薬品では薬の錠剤を固めた
り、液状の薬品の成分の分離を防ぐ安定剤。このほかミリン干しの照りをだすのにも使われ、カ
ーボン紙や水彩絵の具にも入っている。
 日本はアラビアゴムの世界最大の輸入国である。しかし、村ではカゼを引いたときに火にくべ
て煙を薬として吸い込んだり、水に溶かして煤を加えコーランを筆写するときのインクにするぐ
らいにしか利用されない。


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